1939年、
チェコスロヴァキア共和国は、ナチスドイツの保護下におかれます。
プラハ入城を果たしたドイツ軍によりムハは逮捕されます。
「ムハの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」
という理由からです。
ナチスはムハを厳しく尋問しました。
それは当時79歳の老体には苦痛であり、
表現の自由を奪われることは耐えられないものだったはずです。
その後ムハは釈放されたますが、4ヶ月後に体調を崩し、
祖国の解放を知らないまま生涯を閉じました。
第二次世界大戦後、社会主義国家として独立した祖国・・
共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、
ムハの存在を黙殺しました。
しかし、民衆のムハへの敬愛は生き続け、
ソ連支配下における民主化運動
「プラハの春」の翌年1969年には、
ムハの絵画切手数種が制作されます。
ムハの絵に表れる繊細さや優しさは、
チェコの人々の心の象徴なのでしょう。
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