
中央マウイの平地 ・・
(2月20日のブログ参照 )

カフルイ空港に着陸する飛行機から、

一面に広がるサトウキビ畑を見ることが出来ます。

1800年初頭に砂糖の商品化が始まり、
サトウキビ プランテーションは、
その後100年以上主要産業としてハワイの経済を支えました。

Alexander & Baldwin Sugar Museum
アレクサンダー & ボールドウィン 砂糖博物館
カフルイ空港の近くにあります。

サトウキビ プランテーションは多くの労働力を必要とし、
ポルトガルをはじめ、中国、フィリピンなどから
多くの移民を受け入れました。
それが、今日の多民族ハワイの原点です。

1868年 明治元年 ・・
153人の日本人がハワイの地を踏みました。
最初の日本人移民です。
注: 写真は1899年にホノルルで撮影されたもの
入国審査を待つ日本人


移民は、
その名も 『Bango 番号 』 によって識別されました。

移民の中でも日本人は、

最も勤勉でハワイのサトウキビ産業の発展に貢献しました。

灌漑用水の確保のためには、

日本人は過酷な仕事に果敢に立ち向かいました。

そして、

独自の文化を守り続けた日本人移民 ・・

ハワイの社会で、
その実直さで一目置かれる日本人の礎は、
サトウキビ プランテーション全盛の時代に築かれたものです。

1907年のパイアの町 ・・
(5月30日のブログ参照 )
やがて、ハワイの多くのサトウキビ プランテーションは、
パイナップル栽培などに取って代わりました。

しかし、製糖産業としては衰退したものの、
いま 『バカス 』 と呼ばれる
搾汁後のサトウキビの皮 (燃料 ) は、
バイオマス (生物に由来する資源) = グリーン エネルギー
として活躍しています。
現在、マウイ島で使われる電力の数パーセントが、
サトウキビ (バカス ) によってつくられているそうです。
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