一心寺 の北側、
逢坂 (おおさか) という
古風な名前の坂道を挟んで、
多くの寺が集まっている地域があります。
大阪市天王寺区下寺町 (したでらまち)
ここには25の寺が連なっています。
注:谷町筋までのこの界隈全体では約80カ寺。
上記地図の谷町筋より低い地形のため
下寺という名前が付いたのでしょう。
どの寺も
ゆったりとした敷地の立派な構えです。
何故ここに寺が集中したのか ・・・
それには諸説がありますが、
防衛上の理由というのが一般的です。
黄色の矢印が大阪城。
白矢印が下寺町です。
豊臣秀吉の時代、
下寺町のすぐ近くまで海でした。
海から攻めて来る敵を想定して、
堅牢な塀で食い止める ・・・
そのために寺を密集させた。
さらに、
重厚な門は、
寺に要塞としての役割を与えたと。
また、寺の広い敷地には、
火事による類焼を防ぐ目的があったとも。
それが、
豊臣秀吉が天下を取った頃のことなのか、
それとも大坂夏の陣以降のことなのか ・・・
これにも諸説があるようです。
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