19世紀末に 「ボンダイ ビーチ 」 が一般に開放されましたが、
(それまでは個人の所有地 )
それは海水浴のためではなく、
ビーチ ピクニックなどを楽しむためでした。
19世紀のオーストラリアでは、
人前での水着姿は不道徳であるとされ、
昼間の遊泳は法律で禁止されていました。
(12月29日のブログ参照 )
20世紀に入りようやく遊泳が認められるようになると、
海水浴はあっという間に人気のアクティビティになりました。
そこで問題となったのが水難事故です。
1907年10月18日、
ボンダイ ビーチで世界最初の人命救助隊が発足しました。
「Surf Life Saving サーフ ライフ セービング 」
(水際の人命救助隊 )
赤と黄色がシンボル カラーです。
ボランティアによる運営が特徴で、
職業として監視や人命救助を行う
『Life Guard ライフ ガード 』 とは一線を画しています。
(ライフ ガードのシンボル カラーはブルー )
注: オーストラリアのビーチではライフ ガードは毎日、
週末はサーフ ライフ セービングが加わって
パトロールというのが一般的
『Surf Carnival サーフ カーニバル 』 というイベントでは、
「サーフ ライフ セービング 」 の日ごろの修練が披露されます。
1938年2月6日 日曜日、ボンダイ ビーチで、
後に 『Black Sunday ブラック サンデー 』 と呼ばれる
悲劇が起きました。
この日、およそ35,000人が埋め尽くす砂浜を
突然不規則な大波が襲い、
300人近い人が波に飲み込まれました。
その時、週末のイベントで居合わせていた
「サーフ ライフ セービング 」 のメンバー (約 80人 ) が
救助に当たり、多くの命を救いました。
(犠牲者は 5人 )
世界初のボランティア救助隊が誕生したボンダイ ビーチ ・・
しかもイベント当日に起きたこの出来事は、
センセーショナルに世界中に伝わり、
「サーフ ライフ セービング 」 の名前を
広く知らしめることになりました。
現在、「サーフ ライフ セービング 」 は世界的な組織となり、
人命救助のための様々な技術を競い合う
世界大会も開かれています。
『サーフ ライフ セービング オーストラリア 』 の公式HPによると、
これまでに救った命は約 60万人におよぶそうです。
jfk-world