
京都 嵯峨野 ・・・
小倉山の麓に佇む 祇王寺 (ぎおうじ ) ・・・

鮮やかな緑を湛える苔 ・・・

草庵 ・・・

この小さな山寺には、
『平家物語 』 が伝える悲恋の物語りがあります。

祇王 (ぎおう )
生年は不明。
没年は 1172年。
近江の国 (現在の滋賀県 ) 生まれ。

白拍子(しらびょうし) となった祇王は、17才の時、
平 清盛 (たいら の きよもり 1118年ー1181年 ) の
寵愛を受けるようになりました。
注 : 白拍子とは、
舞いながら今様歌などを詠じた芸人のこと。

仏 御前 (ほとけごぜん 1160年ー1180年 )
加賀の国 (現在の石川県 ) 生まれ。
程なく、
清盛の心は、この新進の白拍子 仏 御前に移りました。

祇王の母 刀自 (とじ )

祇王の妹 祇女 (ぎにょ )

祇王は、失意のうち、母 刀自、妹 祇女を伴い出家 ・・・
尼僧として人生を終えました。
三人が身を寄せた山寺は、
やがて祇王寺と呼ばれるようになりました。

(仏 御前像 )
清盛の仏 御前への寵愛も長くは続かず、
捨てられた仏 御前もまた出家し祇王寺に身を寄せました。

祇王寺には、中央に大日如来 ・・・
その横に平 清盛 ・・・

向かって左には、祇王と母 刀自 (左端 ) ・・・

右には、
妹 祇女と仏 御前 (右端 ) の木像が安置されています。

(祇王寺 境内にある三人の墓。 仏 御前は郷里で死去 )
清盛の心変わりに際し、
祇王はこんな今様歌を残しています。
『萌え出づるも枯るるも同じ野辺の花
いずれか秋にあはで果つべき 』
祇王が思う諸行無常でしょう。

さて、祇王寺には、さらに続きの物語りがあります。
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