京都 東山三十六峰の真ん中あたり ・・・
若王子山 (にゃくおうじやま ) の麓に鎮座する
熊野若王子神社 (くまのにゃくおうじじんじゃ )
後白河天皇 (1127年ー1192年 ) の勅願により
1160年に創建 ・・・
熊野詣 (くまのもうで ) の起点となる由緒ある神社です。
(1890年頃 伊藤快彦の師であった原田 直次郎 作
伊藤快彦 肖像 京都市美術館所蔵 )
伊藤 快彦 (いとう やすひこ 1867年ー1942年 )
熊野若王子神社 第26代宮司
伊藤快彦は、幼少より天賦の才にあふれた画家でした。
しかし、神職という責務は重く、
志半ばで画家の道を断念しました。
(1895年 伊藤快彦 作 『厨の春 』 京都国立美術館所蔵 )
伊藤快彦の作品は、いまも高い評価を受けています。
新島 襄 (にいじま じょう 1843年ー1890 )
クリスチャンネームは Joseph Hardy Neesima
同志社英学校 (現 同志社大学 ) の創立者。
新島襄は、伊藤快彦と深い親交がありました。
同志社英学校の創立 (1875年 ) のため
アメリカから招聘した宣教師の死に際し、
新島襄は伊藤快彦に相談を持ちかけました。
当時、キリスト教は耶蘇教 (やそきょう ) ・・・
つまり邪教とされ、新島襄は
宣教師の埋葬場所を探すことに窮していたのです。
伊藤快彦は、
自社の裏山を提供しました。
47才という若さでの他界 ・・・
新島襄もここに埋葬されています。
以来、新島襄を慕う多くの人が
ここに埋葬されるようになりました。
唯一無二の絶対神ではなく、
あらゆるものに神性を見い出す、
神道のしなやかさを物語る逸話だと思います。
仏教の言葉で言えば
『融通無碍 (ゆうずうむげ ) 』 ということでしょうか。
友人の死を悼んだ伊藤快彦は、
1891年 肖像画を描きあげました。
新島襄のこの肖像画は、
現在同志社大学の礼拝堂に掲げられています。
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