
1965年発売のアルバム 『Rubber Soul ラバー ソウル 』 の
中の 1曲 = 『In My Life イン マイ ライフ 』 ・・
その歌詞は、
『生涯忘れることのない場所 ・・
消えてしまったもの ・・
まだそこにあるもの ・・
それらすべてのものを愛し続ける ・・ 』
ビートルズにとって、ハンブルクはまさにその場所 ・・
結成当時のビートルズ ・・
リーゼントに皮ジャンスタイルの5人の若者たちです。

Stuart Sutcliffe
スチュアート・サトクリフ (1940年ー1962年)
21才の若さで急逝したビートルズの元ベーシスト ・・
彼の死後、ポール・マッカートニーが
ベース ギターを受け持つようになります。
1994年のイギリス映画 『Back Beat バック ビート 』 では、
彼の生涯が描かれています。

Astrid Kirchherr
アストリット・キルヒヘア (1938年ー )
ハンブルク生まれの彼女は、スチュアート・サトクリフの恋人 ・・
美術学校で写真を専攻した彼女は、
ハンブルグ時代のビートルズの写真を数多く撮っています。
(表題の写真も彼女の作品 )

ビートルズのセカンド アルバム (1963年発売 )
『With The Beatles ウイズ ザ ビートルズ』 の
レコード ジャケットに使われた
光と影のコントラスト = 『ハーフ シャドー 』 の手法は,
彼女のアイデアだといわれています。

幻冬舎文庫からは、
彼女とビートルズのエピソードが出版されています。

また、当時のドラマーはリンゴ・スターではありません。

Pete Best
ピート・ベスト (1941年ー )
ビートルズの元ドラマー ・・

彼の数奇な人生は、
光文社文庫の 『ビートルズになれなかった男 』 で、
とても興味深く紹介されています。

ハンブルクで少しづつ人気を集めていったビートルズは、
ついに伝説のライブ ハウス = 『Star-Club スター クラブ 』 の
オープニング ステージを飾ることになります。
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