尖閣戦時遭難事件
というものをはじめて知った。
ことのあらましはこうである。
大東亜戦争末期
沖縄の人たちが台湾へ疎開しようと計画されていた。
2隻の船が疎開地へ向かう。
ところが米軍がそれを攻撃した。
船は何日も漂流した。
食料は尽き、水もない。
ところが魚釣島には真水があった。
かつて鰹節の生産やアホウドリの羽毛の採集で
最盛期には248人がこの島にくらしていた。
古賀辰四郎がこの島に入ったとき
「木が生えている。ということはこの島には保水能力がある。」
と考えた。
その島に入って生きながらえた遭難船。
尖閣諸島が立派な日本領である証。
詳細は
「尖閣1945」(産経新聞出版)門田隆将著
で。
というものをはじめて知った。
ことのあらましはこうである。
大東亜戦争末期
沖縄の人たちが台湾へ疎開しようと計画されていた。
2隻の船が疎開地へ向かう。
ところが米軍がそれを攻撃した。
船は何日も漂流した。
食料は尽き、水もない。
ところが魚釣島には真水があった。
かつて鰹節の生産やアホウドリの羽毛の採集で
最盛期には248人がこの島にくらしていた。
古賀辰四郎がこの島に入ったとき
「木が生えている。ということはこの島には保水能力がある。」
と考えた。
その島に入って生きながらえた遭難船。
尖閣諸島が立派な日本領である証。
詳細は
「尖閣1945」(産経新聞出版)門田隆将著
で。