お久しぶりです。
先月の2017年5月24日水曜日、僕は何時ものように症状が重たくなり、仕事をまた途中で切り上げました。
このままでは明日、明後日も仕事にいけないと思い、とりあえず鬱の薬を増やして貰おうとかかりつけの病院に原付を走らせました。
到着したのは11時40分、予約外の受付の時間の10分オーバーでした。
本来、精神病患者がSOSのサインをだし緊急できているので10分くらい…と思いますが、
「受付時間外です。帰ってください。」
精神科の受付の女性に単刀直入に言われました。
僕はそこでこの上ない怒りと悲しみを覚えました。
どうしようかと思い、とりあえず携帯のマイク音声に「この近くの心療内科」と、入力しました。
そこで1番最初にでてきた某クリニックに電話をしました。
「まだ診察やってますか⁉︎」
「はい、12時半までに受付できるなら…」
「今から行きます‼︎」
なんとか間に合いました。
とりあえず薬を増やして欲しい、その一心でした。
診察室に入ると小柄で優しそうな先生がいました。
とりあえずこれこれこうでと話しを聞いてもらいました。
30秒ほど考えこまれました。
「見えたぞ。」、呟かれました。
「あなたはもう薬を飲まなくていいです。その代わり月に一度の筋肉注射を打ちましょう。」
えっ⁉︎
うそやろ?そんな嘘みたいな話しあるんかいな⁇
半信半疑でした。
このクリニックにくるのは初めてで、この先生がどんな先生なのかも知らない…
正直怖かったです。
1日考える時間を貰いました。
帰ってその日あったことを病院で看護師を勤める長年付き合っている恋人に相談しました。
恋人が言うには、
その先生知ってる‼︎その先生はうちの病院にも臨時医師として勤めている。1人1人のことを本当に親身になって聞いてくれ考えてくれ、その人にあった投薬、治療を提供してくれる。あの先生に診て貰った患者はみんなどんどん元気になってるよ。信じてついて行き‼︎
その言葉で決心が着きました。
そういえば診断して貰ったとき、僕の後に二、三人いたのに1時間近く話しを聞いてくれていたことを思い出しました。
またその筋肉注射は一本、5、6万円するとのことでした。ただ僕は保険が適用され2500円でいけるとのこと。
そんなに高額のものなら…
かといっても10年以上飲み続けてきた投薬をいきなり断ち、注射一本に切り替える…
不安はかなりありました。
信じよう。
次の日、その筋肉注射を打ち投薬を断ちました。
その日の夕方から凄いウエイトが身体にかかりフラフラになりました。
しかし、気分は妙にハイでした。
いとこの嫁が誕生日だったので、フラフラになりながら誕生日ケーキをもっていきました。
次の日の朝、5時に目がパッチリ開きとても爽やかな朝だったのを覚えています。
とりあえずランニングをしました。
何か動きたいという気分でした。
いつも9時から10時出勤でしたがその日は8時に原付を走らせ、とりあえずトイレ掃除とグランド周りの草引きをしました。
その日は別人のように仕事に集中でき、仕事を2週間ぶりに最後まで働く事が出来ました。
流石に疲れるなと思い、明日はダウンするだろうと思いましたが、不思議なことに次の日も朝5時にパッと目が覚めランニングをしました。
そしてその日も8時に行き、トイレ掃除と草引きをし、その日は夕方6時まで仕事場にいました。
職員みんなに心配されました。
「どしたん⁇大丈夫か⁇無理してないか⁇」
無理しているつもりは全くありませんでした。
身体は悲鳴をあげていましたが、気持ちは前を向く一心でした。
ただ、改めて実感しました。
(15年苦しんだ、会話や仕事や物事に対する集中を妨げる、妄想やソワソワ感が段々小さくなってきている…これがもの事に集中するということなのか⁉︎)
オーバーワークしているのは十分自覚していました。
ただ、どうしても物事に集中して取り組める喜びから身体が動いてしまいました。
確かに会話が治療する前に比べ、頭にどんどん残る感覚がわかりました。一つ一言に対して、もの凄く意味を考える自分がいました。そして視野がもの凄く広がりました。冷静に物事に対して起点が効くようになりました。
気がつけば仕事中は携帯はサイレントモードにし以前に比べ全く携帯を触らなくなりました。
もの事に対して集中できる心の余裕から、いかに以前までの自分がデリカシーのない行動、発言をしていたのか、という羞恥心に変わっていきました。
僕の中で世界が変わりました。
先生が言われました。
「これから月単位で状態が良くなっていくよ。上がる事があっても下がることはない。
それが本当のもともとの、あなたなんですよ。」
その次の週は仕事に対して集中して取り組める喜びから、涙を流しながら仕事をする事もありました。
流石に疲れて夜8時に寝てしまう日もありました。
ただ、次の日には5時にはいつも通りパッと目が覚め疲れはとれ、8時に仕事にいき、5時、6時まで働けました。
10年近く封印されていた性機能も回復し、体液もしっかり出るようになりました。
このルーティンが2週間続きました。
少し安心しています。
といいつも、少しの事で、ああ、また昔の状態に戻るんじゃないかと、毎日が恐怖との戦いで違う意味で今、敏感になっています。
やはり調子が維持できるといってもある程度の妄想と、月に一度の注射を打ちながらという現実とは付き合っていかないのかと思うと、悲しくなる時もあります。
ここからは、少し理屈が入るかもしれませんがお許し下さい。
僕は、今回肌で実感しました。
よく、精神病患者は「地に足が着いていない状態」で物事に対して行動、発言しているように捉えられます。
しかし、あれは地に足が着いていないんじゃないんです。
地に足が着けられないだけなんです。
病気という病魔が横から邪魔して。
僕は年齢を人から聞かれた時、たまに
「永遠の13歳です。」と、答える時があります。
僕の精神が壊れ始めたのが14歳の頃からです。
13歳のあの時、部活も勉強も何を取り組むにしても無我夢中でした。
15年間苦しみました。もう戻ることはないと思っていた感覚でした。
今ではあの日10分遅れて門前払いをくらわした受付の女性にあの時は、怒りを覚えましたが今では土下座して感謝したいです。
僕の中では大袈裟かもしれませんが、
「奇跡の10分」、です。
筋肉注射の名は「ゼプリオン」。
僕にはこの注射がたまたま適合しただけです。
母親に言われました。
「このまま順調に回復すれば、あんたの集中力と体力があれば、いろんな仕事ができるようになると思う。
でも今の職場にいて恩返しをしなさい。」
3月まで長年お世話になった先生の言葉を思いだしました。
「いい別れの後には、必ずいい出会いがある。」
今では、つい先月別れをしたおばあちゃんが統合失調症という重たい重たい荷物を小さい身体で必死に背負いながら、あっちの世界にもっていってくれたんかな…と、思う時があります。
可能性があるのに、ここで終わるのは勿体無すぎる、と、最近よく思うようになりました。
しにたいから絶対しにたくないに変わりました。
そして、今、現在僕が通所している事業所では、毎日みんな必死に葛藤し苦悩し自分と向き合いながら懸命に自分自身と闘われています。
みなさん病気をもたれていますが、決して病人ではないです。
病人とは病気になり、希望の光を失い前を向けなくなった人のことを言うと僕は思っています。
最後に…僕はこの15年間、薬漬けになったときも、布団から出られなくなったときも、高い所から飛び降りて足の骨を折り入院したときも、
『相手を思いやる心』
だけは、自信を持って持ち続けていたと言えます。
正直な心、相手を思いやる心、そして根本に闘う心、この三つの心を持ち続けていれば人は必ず救われます。道が遅かれ早かれ開けます。
究極を言えば報われず人生を終えたとしても、悪い所に行く訳がないと思っています。
僕が29年間の病気と向き合う人生で確証を得ました。自信を持って言えます。
ブログ活動は少しお休みします。
対して活動していませんが…
ありがとうございました
先月の2017年5月24日水曜日、僕は何時ものように症状が重たくなり、仕事をまた途中で切り上げました。
このままでは明日、明後日も仕事にいけないと思い、とりあえず鬱の薬を増やして貰おうとかかりつけの病院に原付を走らせました。
到着したのは11時40分、予約外の受付の時間の10分オーバーでした。
本来、精神病患者がSOSのサインをだし緊急できているので10分くらい…と思いますが、
「受付時間外です。帰ってください。」
精神科の受付の女性に単刀直入に言われました。
僕はそこでこの上ない怒りと悲しみを覚えました。
どうしようかと思い、とりあえず携帯のマイク音声に「この近くの心療内科」と、入力しました。
そこで1番最初にでてきた某クリニックに電話をしました。
「まだ診察やってますか⁉︎」
「はい、12時半までに受付できるなら…」
「今から行きます‼︎」
なんとか間に合いました。
とりあえず薬を増やして欲しい、その一心でした。
診察室に入ると小柄で優しそうな先生がいました。
とりあえずこれこれこうでと話しを聞いてもらいました。
30秒ほど考えこまれました。
「見えたぞ。」、呟かれました。
「あなたはもう薬を飲まなくていいです。その代わり月に一度の筋肉注射を打ちましょう。」
えっ⁉︎
うそやろ?そんな嘘みたいな話しあるんかいな⁇
半信半疑でした。
このクリニックにくるのは初めてで、この先生がどんな先生なのかも知らない…
正直怖かったです。
1日考える時間を貰いました。
帰ってその日あったことを病院で看護師を勤める長年付き合っている恋人に相談しました。
恋人が言うには、
その先生知ってる‼︎その先生はうちの病院にも臨時医師として勤めている。1人1人のことを本当に親身になって聞いてくれ考えてくれ、その人にあった投薬、治療を提供してくれる。あの先生に診て貰った患者はみんなどんどん元気になってるよ。信じてついて行き‼︎
その言葉で決心が着きました。
そういえば診断して貰ったとき、僕の後に二、三人いたのに1時間近く話しを聞いてくれていたことを思い出しました。
またその筋肉注射は一本、5、6万円するとのことでした。ただ僕は保険が適用され2500円でいけるとのこと。
そんなに高額のものなら…
かといっても10年以上飲み続けてきた投薬をいきなり断ち、注射一本に切り替える…
不安はかなりありました。
信じよう。
次の日、その筋肉注射を打ち投薬を断ちました。
その日の夕方から凄いウエイトが身体にかかりフラフラになりました。
しかし、気分は妙にハイでした。
いとこの嫁が誕生日だったので、フラフラになりながら誕生日ケーキをもっていきました。
次の日の朝、5時に目がパッチリ開きとても爽やかな朝だったのを覚えています。
とりあえずランニングをしました。
何か動きたいという気分でした。
いつも9時から10時出勤でしたがその日は8時に原付を走らせ、とりあえずトイレ掃除とグランド周りの草引きをしました。
その日は別人のように仕事に集中でき、仕事を2週間ぶりに最後まで働く事が出来ました。
流石に疲れるなと思い、明日はダウンするだろうと思いましたが、不思議なことに次の日も朝5時にパッと目が覚めランニングをしました。
そしてその日も8時に行き、トイレ掃除と草引きをし、その日は夕方6時まで仕事場にいました。
職員みんなに心配されました。
「どしたん⁇大丈夫か⁇無理してないか⁇」
無理しているつもりは全くありませんでした。
身体は悲鳴をあげていましたが、気持ちは前を向く一心でした。
ただ、改めて実感しました。
(15年苦しんだ、会話や仕事や物事に対する集中を妨げる、妄想やソワソワ感が段々小さくなってきている…これがもの事に集中するということなのか⁉︎)
オーバーワークしているのは十分自覚していました。
ただ、どうしても物事に集中して取り組める喜びから身体が動いてしまいました。
確かに会話が治療する前に比べ、頭にどんどん残る感覚がわかりました。一つ一言に対して、もの凄く意味を考える自分がいました。そして視野がもの凄く広がりました。冷静に物事に対して起点が効くようになりました。
気がつけば仕事中は携帯はサイレントモードにし以前に比べ全く携帯を触らなくなりました。
もの事に対して集中できる心の余裕から、いかに以前までの自分がデリカシーのない行動、発言をしていたのか、という羞恥心に変わっていきました。
僕の中で世界が変わりました。
先生が言われました。
「これから月単位で状態が良くなっていくよ。上がる事があっても下がることはない。
それが本当のもともとの、あなたなんですよ。」
その次の週は仕事に対して集中して取り組める喜びから、涙を流しながら仕事をする事もありました。
流石に疲れて夜8時に寝てしまう日もありました。
ただ、次の日には5時にはいつも通りパッと目が覚め疲れはとれ、8時に仕事にいき、5時、6時まで働けました。
10年近く封印されていた性機能も回復し、体液もしっかり出るようになりました。
このルーティンが2週間続きました。
少し安心しています。
といいつも、少しの事で、ああ、また昔の状態に戻るんじゃないかと、毎日が恐怖との戦いで違う意味で今、敏感になっています。
やはり調子が維持できるといってもある程度の妄想と、月に一度の注射を打ちながらという現実とは付き合っていかないのかと思うと、悲しくなる時もあります。
ここからは、少し理屈が入るかもしれませんがお許し下さい。
僕は、今回肌で実感しました。
よく、精神病患者は「地に足が着いていない状態」で物事に対して行動、発言しているように捉えられます。
しかし、あれは地に足が着いていないんじゃないんです。
地に足が着けられないだけなんです。
病気という病魔が横から邪魔して。
僕は年齢を人から聞かれた時、たまに
「永遠の13歳です。」と、答える時があります。
僕の精神が壊れ始めたのが14歳の頃からです。
13歳のあの時、部活も勉強も何を取り組むにしても無我夢中でした。
15年間苦しみました。もう戻ることはないと思っていた感覚でした。
今ではあの日10分遅れて門前払いをくらわした受付の女性にあの時は、怒りを覚えましたが今では土下座して感謝したいです。
僕の中では大袈裟かもしれませんが、
「奇跡の10分」、です。
筋肉注射の名は「ゼプリオン」。
僕にはこの注射がたまたま適合しただけです。
母親に言われました。
「このまま順調に回復すれば、あんたの集中力と体力があれば、いろんな仕事ができるようになると思う。
でも今の職場にいて恩返しをしなさい。」
3月まで長年お世話になった先生の言葉を思いだしました。
「いい別れの後には、必ずいい出会いがある。」
今では、つい先月別れをしたおばあちゃんが統合失調症という重たい重たい荷物を小さい身体で必死に背負いながら、あっちの世界にもっていってくれたんかな…と、思う時があります。
可能性があるのに、ここで終わるのは勿体無すぎる、と、最近よく思うようになりました。
しにたいから絶対しにたくないに変わりました。
そして、今、現在僕が通所している事業所では、毎日みんな必死に葛藤し苦悩し自分と向き合いながら懸命に自分自身と闘われています。
みなさん病気をもたれていますが、決して病人ではないです。
病人とは病気になり、希望の光を失い前を向けなくなった人のことを言うと僕は思っています。
最後に…僕はこの15年間、薬漬けになったときも、布団から出られなくなったときも、高い所から飛び降りて足の骨を折り入院したときも、
『相手を思いやる心』
だけは、自信を持って持ち続けていたと言えます。
正直な心、相手を思いやる心、そして根本に闘う心、この三つの心を持ち続けていれば人は必ず救われます。道が遅かれ早かれ開けます。
究極を言えば報われず人生を終えたとしても、悪い所に行く訳がないと思っています。
僕が29年間の病気と向き合う人生で確証を得ました。自信を持って言えます。
ブログ活動は少しお休みします。
対して活動していませんが…
ありがとうございました