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■ ハンドルネームを五代雄三としている理由

2011-05-21 16:07:05 | ■ 福岡・街Now
ハンドルネームを五代雄三としている理由、

幕末、薩摩藩士、五代友厚(幼少時 才助)がいた、

藩内では西郷隆盛、小松帯刀、藩外では、高杉晋作、坂本竜馬と交流があった、

英国に留学し、諸外国を視察して回った、

神奈川県 生麦村事件(薩摩藩主の父・島津久光の行列を乱した、騎馬のイギリス人を、

薩摩藩士が殺傷)によって起きた薩英戦争、

五代友厚が乗船していた見回り艦が拿捕された、

拿捕されたと言うより、英語力がある五代友厚の停戦交渉の末、

自ら、寺島宗徳(IT(電信)の元祖)と共に俘虜となったと推測します、後、横浜で釈放される、

俘虜になったことで薩摩藩から不評が出たが、切腹せず長崎に隠れた、

長崎で会った薩摩藩士 野村盛秀の取り成しにより身分回復が出来た、

後、長崎造船所(三菱)の設営、他、多くの業績を残し、

大阪商工会議所の第一期会頭になった、大阪経済界の恩人と言われている、

大正天皇の英語の教師も勤めた

私は、約30年前、五代友厚を知って以来、

世界を見据えて、柔軟に且つ果敢に行動していった、

薩摩藩士 五代友厚を尊敬する人物として、

五代友厚の”友厚”を”雄三”に代えて五代雄三とし、

約30年間、ペンネームとしている。


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