「筆の海」と呼ばれていた・・我が郷土は昔、多度郡である。多度郡には何故か「筆」に関係する地名が沢山ある。前出の「筆の海」・・備讃瀬戸だ。「硯が岡」・・多度津山だ。「筆岡」・・善通寺市にある地名。「筆の山」・・善通寺市にある五岳山の一つ。それに「水茎の丘」(筆の跡の意)・・五岳山の一つ火上山の麓に有る丘。等々である。あの西行法師が1167年、50歳で讃岐にやって来て「水茎の丘」の庵で数年暮らす。そこで詠ったのが・・「水茎の岡の港の波よりや筆の海てふ名にや立つらむ」・・「水茎の丘」はそれ以前に源頼政が弓矢の工房として使用していた所を西行法師に貸し与えたのである。源頼政は多度郡が左大臣藤原家忠の室の荘園(多度荘)になった時その管理の為都から派遣され10年余り過ごした。・・長くなるから止めるが・・こうなると「筆」のいう名はやはり弘法大師が名付けに関係してるようだ・・ね。あっ、序に書いておくが頼政が31歳で都に帰り、鳥羽天皇の蔵人(天皇の秘書的役)そして西行(この時は佐藤義清)は北面の武士(天皇の護衛)で懇意な仲だった。
家内の遊び
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