もりおか自由時間 ogasawarahiromi

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黒田騒動と栗山大膳

2006年09月30日 | Weblog

九州福岡藩(俗称黒田藩)の2代藩主・忠之は寛永元年(1624)藩主就任後、その側近と筆頭家老・栗山大膳など宿老との間に軋轢を生じ、お家騒動へと発展した。忠之は仕えていた倉八十太夫を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じ豪華な大船・鳳凰丸を建造、更に200人の足軽を新規に召し抱えるなど、軍縮の時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に幕府より咎めを受けるに至った。改易を危惧した栗山大膳は一計を案じ、寛永9年(1632)6月、藩主が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴した。現代の内部告発にあたるのかもしれません。このため幕閣は大膳を尋問した。そこで藩の取り潰しを逃れるため一計を案じたことを陳述し、幕閣はこれに感銘した。寛永10年(1633)2月、幕府は所領安堵の触れを出し10年に及ぶ抗争に幕を閉じた。大膳は騒動の責を負って陸奥国南部盛岡藩預かりとなった。この武士としての忠節を評価するも、歴史家や作家の間で議論を呼ぶところである。恩流寺境内には大膳の碑が建立されている。碑文は同じ盛岡藩お預けの身であった僧・方長老 によるもので、忠節を讃えている。墓碑は恩流寺裏の愛宕山にある。


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