野田村の海岸で焚かれた塩は、盛岡近在に多く運ばれ、穀物と交換されていました。この塩は、牛の背につけて運ばれたことを残す石碑が寺町通りに置かれています。長くて厳しい東北の冬を越すには、保存食に頼しか術がなく、当時の人々にとって、塩は野田塩ならずとも生活に欠くことのできない貴重なものでした。その命の塩を運ぶ塩の道は、牛が通るだけの狭い厳しい山道ながらも、海と山を結ぶ切っても切れない人の道でもあったようです。
☟の2画は北いわて広域観光ポータルサイトからの抜粋写真です。
野田村の海岸で焚かれた塩は、盛岡近在に多く運ばれ、穀物と交換されていました。この塩は、牛の背につけて運ばれたことを残す石碑が寺町通りに置かれています。長くて厳しい東北の冬を越すには、保存食に頼しか術がなく、当時の人々にとって、塩は野田塩ならずとも生活に欠くことのできない貴重なものでした。その命の塩を運ぶ塩の道は、牛が通るだけの狭い厳しい山道ながらも、海と山を結ぶ切っても切れない人の道でもあったようです。
☟の2画は北いわて広域観光ポータルサイトからの抜粋写真です。
この道は 各地に見られますが険しい道のよう
苦労がしのばれます
馬なら早いような気がしますが、無理?
今ならトラックで日帰りできそうですが、昔の人は何日もかけて、盛岡に来たのでしょうね。
その当時は良質の塩は高値で取引された思いますね。
今は化学塩、岩塩が余るくらい出回っています。
塩分摂り過ぎとかで、私たちの体には毒扱いされています。
敵に塩を送る、戦いにしても塩を絶つのは武士に非ず。