もりおか自由時間 ogasawarahiromi

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宮沢賢治と清養院

2006年08月08日 | 寺院

 

  清養院の開山等については江戸後期と、明治期の火災により史料焼失してさだかではありませんが、当初、上田門前町の地に開創、その後現在地に移転(1487年)したと伝えられており、現在の本堂は明治30年の火災の後、13年かかりで再建されたといわれております。 清養院は宮沢賢治が盛岡中学時代に新舎監排斥運動で退寮を命じられて、下宿をしていたお寺です。もっとも、排斥といっても内容はいかにも子供じみたもの。舎監の部屋の明かりを消したり、二階の廊下の床を踏み鳴らしたりといった、いやがらせ程度だったのですが、事態を重く見た学校側は4年生と5年生全員に退寮処分を言い渡しました。現在、知客寮と呼ばれている12畳半の部屋で3カ月の間下宿していたと伝えられていますが、詳細は不祥です。 賢治は近隣の徳玄寺、教浄寺にも下宿していて、報恩寺には参禅に出向いていたとされている。
 
清養院の山門向かって右には「天気塔」が安置されています。この「天気塔」をヒントに賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる「天気輪の柱」が作られたとされています。近年、この「天気塔」が「銀河鉄道の夜」の原点だという説の賢治研究者もいるようです。又社会事業にも力を入れ関口(現愛宕町)に農繁託児所を開設、昭和5年岩手県常設認可第一号託児所となり岩手県の保育施設の先覚的存在です。(寺院資料抜粋)
 

 

                                                                                                                                                              

  


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