再開ブログの1回目 家の近所のこと
昨年の秋に引っ越した今の家は古い町並みで近所には名所・旧跡がたくさんある。
さんぽがてらの紹介をしていこう
今日は『五智国分寺」
家を出ると狭い道路がある。西側に向かってだらだらとしたゆるい上り坂になっている。
この坂の突き当りの高台に「国分寺」がある。
途中にやはり狭い道路との十字路があり、ここを右に行くといわくありげな水場がある。
『養爺清水」というらしい、その昔、浄土真宗の開祖の親鸞聖人が京の都からこの地に流されて国分寺境内の
庵でしばらく暮らされたとのこと、そのときに生活用水としてつかわれたそうで、今でもこんこんと湧き出ている。
屋根もつくられてあり、聖人ゆかりの地のひとつとして名所となっている
この脇から昇る道がありその上に住んでいた庵『竹之内草庵」がある、この道は今はとおれなくなっており
草庵は復元されたものが指定文化財として建っている。
かたわらには聖人の象
先ほどの十字路まで戻り、もうチョット坂を上ると古びた石段がある
ここを登ると本堂前の右端に出る。
この右手の奥に先ほどの聖人ゆかりの竹之内草庵や聖人象がある。
順を追って見るために一旦境内を通り抜けて正門前まで出て見る。
ここが正面入口で、右側に石柱がありなにやら、梵字で刻まれた文字があるがなんと書いてあるか読めない
この左の見えない所に駐車場がある。
入口からまっすぐ山門を通って本堂まで石畳の参道が伸びている。
これが境内への入口、山門(仁王門)両側には仁王象、頭上には山号の安国山野文字板が掲げられている。
門をくぐると正面に本堂が見える
本堂までの両側にも建物がある。
三重ノ塔:ガイド誌によるとこれは未完成らしい、どこがなのだろうか?くわしく知りたい!
鐘楼、この梵鐘はステンレス製のめずらしいもののよう!
これは、経倉・・・とても古い建物らしい
その横には白山神社の神輿殿:このお寺は天智天皇が全国に建てた国分寺のひとつ、宗派は天台宗
仏教が伝来し広まった時代には古来の神道もありいわゆる神仏習合で寺の境内に神社があったり、その逆も
あったらしい・・・ここにも白山神社が祭られていたらしい、いまは少し離れた山中に移されているが、毎年
5月3日にはこの境内で五智祭りとして両方のお祭りが催される。
本堂からの境内をみるとこんな感じ
芭蕉の句碑などまだいろいろあるが、長くなるのでこのくらいで終りにする。
昨年の秋に引っ越した今の家は古い町並みで近所には名所・旧跡がたくさんある。
さんぽがてらの紹介をしていこう
今日は『五智国分寺」
家を出ると狭い道路がある。西側に向かってだらだらとしたゆるい上り坂になっている。
この坂の突き当りの高台に「国分寺」がある。
途中にやはり狭い道路との十字路があり、ここを右に行くといわくありげな水場がある。
『養爺清水」というらしい、その昔、浄土真宗の開祖の親鸞聖人が京の都からこの地に流されて国分寺境内の
庵でしばらく暮らされたとのこと、そのときに生活用水としてつかわれたそうで、今でもこんこんと湧き出ている。
屋根もつくられてあり、聖人ゆかりの地のひとつとして名所となっている
この脇から昇る道がありその上に住んでいた庵『竹之内草庵」がある、この道は今はとおれなくなっており
草庵は復元されたものが指定文化財として建っている。
かたわらには聖人の象
先ほどの十字路まで戻り、もうチョット坂を上ると古びた石段がある
ここを登ると本堂前の右端に出る。
この右手の奥に先ほどの聖人ゆかりの竹之内草庵や聖人象がある。
順を追って見るために一旦境内を通り抜けて正門前まで出て見る。
ここが正面入口で、右側に石柱がありなにやら、梵字で刻まれた文字があるがなんと書いてあるか読めない
この左の見えない所に駐車場がある。
入口からまっすぐ山門を通って本堂まで石畳の参道が伸びている。
これが境内への入口、山門(仁王門)両側には仁王象、頭上には山号の安国山野文字板が掲げられている。
門をくぐると正面に本堂が見える
本堂までの両側にも建物がある。
三重ノ塔:ガイド誌によるとこれは未完成らしい、どこがなのだろうか?くわしく知りたい!
鐘楼、この梵鐘はステンレス製のめずらしいもののよう!
これは、経倉・・・とても古い建物らしい
その横には白山神社の神輿殿:このお寺は天智天皇が全国に建てた国分寺のひとつ、宗派は天台宗
仏教が伝来し広まった時代には古来の神道もありいわゆる神仏習合で寺の境内に神社があったり、その逆も
あったらしい・・・ここにも白山神社が祭られていたらしい、いまは少し離れた山中に移されているが、毎年
5月3日にはこの境内で五智祭りとして両方のお祭りが催される。
本堂からの境内をみるとこんな感じ
芭蕉の句碑などまだいろいろあるが、長くなるのでこのくらいで終りにする。
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