はなす手★つなぐ手

障害のある家族を支えるのは誰・・・伝えたい想い

もみじの手★    

2007年04月19日 11時22分22秒 | Weblog
これは、2001年に書いたものです。
聴こえない娘から教えられた大切なことを
忘れない為にと 自分の為に書きました。


この原文は講談社の漫画原作募集に応募して
佳作となりおしゃべりな指の天使たちという
タイトルで漫画化されました。





       ★もみじの手★


 暖かな陽ざしが心地よい四月のある朝、待望のわが子は産まれた。
名前は春。春の陽ざしの様に暖かい心を持った女の子にとの
想いから名づけたのだった。

我が家に家族が増え、パパもママも大忙しで春を中心に幸せな時を過ごしていた。  そう・・・あの日までは。

あれは二歳の誕生日。本当ならハッピーバースデイの歌を唄い
クラッカーを鳴らし、おじいちゃんおばあちゃんも呼んで
手作りのケーキでお祝いするはずだった。
その大切な日に、病院での悲しい宣告は下された。

「残念ですが、娘さんの両耳は全く聞こえていません」

どうやって家にたどり着いたのか・・
体の力が抜け、無邪気に笑って遊んでいる春を見てただただ
涙が止まらなかった。


 ママの顔からは、次第に笑顔が消えていった。
毎晩寝る前に唄っていた子守唄も唄わなくなった。
どうせ聞こえないのだから・・とピアノもピタリと
さわらなくなった。

 春は公園が大好きでいつもママと出かけていた。
ある日、同じくらいの女の子から
「どうしてこの子しゃべらないの?」と聞かれ
「遊びに夢中だからよ」と私はまだ遊びたがっていた春の手を
ひっぱって連れて帰った。
たぶん、あの時の私は鬼より怖い形相だったと思う。
 以来、家に閉じこもるようになってしまった。

 パパはそんなママにいつも優しく声を掛けてくれた。
「がんばっていこうよ・・・」と。
でもママには耐えられなかった。
春の将来にたくさんの夢と希望を持っていたママには
(聴覚障害)という大きな壁に到底耐えられるはずが無かったのだ。


 桜が咲きほこる四月
春が四歳になった時ママは春と二人で、聾学校の門をくぐった
・・・  未知の世界だった。
そこには同じ年の子供達の可愛らしい笑顔がたくさんあった。
そしてお母さんたちも又明るく生き生きとしている人達ばかりだった。
私は妙な安堵感を覚え、心の中に一筋の光が差し込んでくるような、そんな気持ちにとらわれていた。

 春もママも聾学校に馴染んでいく事にそう時間はかからなかった。
 お母さん達はみな聞こえる人達ばかりだったが、一人だけ
聞こえないお母さんがいた。   優くんのママだ。
 優くんのママは若くてキレイで明るくて毎日ママの運転で
優くんと通っていた。 凄い!!友達になりたい!!

そう思ったママはすぐにFAXを買い迷惑を顧みず毎日優くんのママに「聴こえない事ってどんな世界なの?」とFAXを送り続けていた。

ある日、私の考えを180度変えてくれる言葉がそこに送られてきた。

「聴こえるお母さんは、聴こえない子供が産まれてくる事がそんなにショックなの?」
優くんママの素朴な言葉だった。

私はハッとさせられた。
聴こえない事は可愛そうなこと。不幸なこと。とどこかで
線を引き話をしていた自分に気づいたからだった。
 
この事がきっかけとなりママは心のバリアを取り除いて
春の聾教育に力を注ぐようになった。


 聾学校の幼稚部では、ほとんどの時間が言葉の発声練習に費やされます。 聴こえる子供は耳から入る言葉で自然に
言葉は身につきますが、聴こえない子供は耳からの情報が
全く閉ざされているので訓練をしないとしゃべれないのです。

あ い う え お  まずここから始まります。
とは言っても春には、あいうえおとは聞こえません。

口を大きく開けて息をだすことが あ
歯を閉じて唇を開けて息をだすことが い
唇をとがらせて息をだすことが う
母音はまだしも、ラ行となると、先生がウェハウスを口の中に入れ、それに舌の先をくっつけて息をだす。など
この51音の発声練習は毎日毎日続いていたのでした。

 教室の中では、うまく発音出来る子が良い子で下手な子は・・・・という暗黙の競争のようなものがあり、次第に
お母さん達の気持ちの中でもとにかく上手くしゃべって!というあせりがありました。なかんずく誰よりもその気持ちが強かったのは私でした。

 家に帰ると嫌がる春を私の目の前に座らせ、手作りの絵カードを一枚一枚めくり言葉の練習をするのです。

「う お ー」
違うよ!ぶ ど う
「う お お」
違う。もう一回!パシッ!

春にしたらこの頃から少しづつストレスがたまっていたと思います。なにせ、ママの怖い顔と口パクが毎日続いていたのですから・・・
  
 そうして過ごしていく時間の中で、私は又大切な事を忘れてしまっていったのでした・・・

 そして今度は春がその事を教えてくれました。

ある日、春が家で声を出さなくなり、手話だけで話すようになったのです。  
 
 私は春に言いました。
「ママには手話がわかっても、近所のお友達や、おじいちゃん、おばあちゃんにはわからないの。だから春ががんばって言葉の練習をして上手く話せるようにならなきゃ駄目」と。

 春は泣きながら言いました。
「どうして私だけが、がんばらなきゃいけないの?どうしてみんな手話をしらないの?春は上手くしゃべれなくてもお友達と遊べるよ!どうしてー!」

 春の精一杯の心の叫びを聞いた時、私は春を抱きしめていました。
私は知らず知らずのうちに春を聴こえる世界に無理やりひっぱりこもうとしていたのです。
それは、足のない人にしっかり歩きなさい。
目の見えない人にしっかり読みなさい。
と言ってる事と同じでした。

 春は聴こえない分、それに変わる何かを持って生まれてきているはず。その何かを探しもしないで上手く話すことだけに
必死になっていたのです。
障害を持っていたのは紛れもなく私の心でした。

 その日、春と手話でたくさんのお話をしました。
私には感じることの出来なかった春風の心地良さや、
色とりどりの花の美しさまで伝えてくれた春。
ママの心の冬をゆっくりととかしていってくれたのです。

 そう!春は今近所でも有名な手話の先生です。
明るい笑顔でもみじの様な手を巧みに動かし
みんなに春を運んできてくれています。

 いつの日か手話が共通語となり、みんなで話せられる日を
夢見て、今日も春とママはがんばっています。
ありのままの姿で・・・




                     おわり


 
 








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