これは2006年に我が家の実話をもとに書いたものです。
★ ★
今、LDやADHD、アスペルガー等、発達障害を持つ子供達が16人に1人、1クラスに 1~2名はいると言われています。
目に見えない障害といわれている通り、教育現場では 課題のひとつとなっています。
昔からもいてたであろうこの子達が、なぜ今あえて障害と いわれるようになったのか・・・?
昔にあって今に失われつつあるもの・・・
彼らはそんな何かを教えにきてくれた子達だと感じています。
小さなボタンと大きな花マル
ドッドッドッドッ 息子の早(そう)が帰ってきた。
(あっ・・あいつ又なんかしでかしてきたな)
私は、その重い足音を聞きネギをきざむ手を止めた。
「おかえり!うがいと手洗いしーや。もうすぐご飯できるし」
チラリと私の目を見た早は、慌てて手を洗い自分の部屋に 消えていった。
こういう日は決まって誰かから電話がかかってくる。
案の定その日も、夜の八時を過ぎた頃、和也君のお母さんから 電話がかかってきた。
「もしもし!春田ですけど、今日夕方公園でお宅の早君がウチの和也の自転車を乗り回して おまけに怪我までさせられたんです!」
「あ・・・申し訳ありません。すぐに息子を連れて謝りに行きますので。怪我は大丈夫でしょうか?本当に申し訳ありません」
私は早を呼び、大声で怒鳴った。
「またかいな!今日はいったい何したんよ!何回言うたらわかるの?悪い事ばっかりして!なんで?言うてみ!」
早は、うつむいたまま何も言わないので、私の声は更に大きくなるのが常でした。
我が家は六人家族。食品会社に勤める夫と四人の子供達。
姉(美沙)と妹(貴子)(香里)の間に息子の早がいました。
早は小さい頃から四人の中でも一番手のかかる子でした。
幼稚園に入園した三日目には園長先生から、
「今日廊下に 立たせました」
とお叱りを受ける程じっとしていない言う事を聞かない子。
小学校に入学してすぐには、校庭内のジャングルジムから 落ちて鼻を骨折。入院、手術。
二年生の時には、一輪車に乗っていて転倒し腕を複雑骨折 入院、手術。
大好きな外遊びには一目散に飛んでいき、友達の前では 派手なパフォーマンスを繰り返し皆を笑わせることが
大好きだったので、いつも調子に乗りすぎてそのツケは 生傷という形で絶えることはありませんでした。
しかしこの頃は私も夫も、男の子は元気が一番!とまだ 笑って過ごしていた時期でした。
三、四年生にもなってくると下級生もでき周りのお友達も 落ち着きが出てきて、そろそろウチの子も・・
と思っていたのだが、早はますます活発になり悪ふざけも増え友達との トラブルが多くなっていったのでした。
勉強は体育と音楽だけが良くてあとはさっぱり・・ 宿題も机に向かわせるまでが毎日一苦労でした。
集中力に欠け、先生からは毎日注意されていた早だったが
注意されたその先から又同じ事を繰り返していたのでクラスでも手のかかる子だったようです。
連絡帳にはいつも嬉しくない報告が書かれてあり、決まって [家でもしっかりご指導ください]とある。
電話がかかってくる時は、人に怪我をさせてしまった時と 物を壊したしまった時。
担任から電話がなければ直接保護者からすごい剣幕でかかってくる。
早だけじゃなく数名で問題があったと聞いたときは、その (だけじゃなく)にどれほど救われた事か・・・。
この頃には、月一回の参観日と懇談会は私にとって恐怖の 視線日だった。
美沙と貴子のクラスがあった事は不幸中の幸いだった。
たしか・・一年生の時の担任も二年生の時の担任も
「早君はやんちゃですが、お友達も多く優しい心も持っています。高学年になる頃には落ち着きもでてきて勉強もがんばっていると思います」
そう言ってくれてたよな・・・
そんな言葉を思い出しながら、今その高学年になろうとしている早と照らし合わせ、私は深くため息をつくのでした。
謝りに行った帰り道。
「なぁ早、もうあんたもこんな事ばっかり嫌やろ お母さんも嫌やわ。
スイマセンいうて謝って これから仲良くしてね と言うてくれる親なら良いけど
今日みたいに一方的に話もさせてくれんと、早が悪い悪い
言われたら、お母さんだんだん腹立ってきて、
ドア蹴飛ばして帰ってきたくなるわ!せやけどそれをしたら
負けやろ・・お母さん全部が全部、早が悪いなんて
思ってへんで。一緒に謝りにいく訳は、あんたにも何か
言いたいことがあればちゃんと言わせてあげたいと思って
行くんや。 まぁ今日はちょっと例外やったけどな。
あんな大人もおるっていう事や!ちょっとは勉強しーや」
本当は、悪い事をした早を叱らなければいけないとは
分かっているのですが、いつもより落ち込んでいる早を
見ていると、そんな言葉で励ましながら帰っていくのでした。
★
早。六年生。
新しく赴任してきた女の先生が担任となった。
家庭訪問は無理を言って、最後の日の最後の時間に して頂き、たっぷり時間をとってもらった。
息子のためならPTA。PTAの略が何なのかさえよく分かって
いない私でしたが、自分に気合いを入れる為に心の中で
この言葉を繰り返していました。
「こんにちわ。田中です」
「先生!お待ちしていました。どうぞどうぞ中へ入って ください」
「おじゃまします」
「先生!早は無事ですか?」
「は?無事?」
「あっいえ・・早の周りの子供達は無事ですか?」
「お母さん、どうしたんですか?」
私は、さっきまで、あれも言おうこれも言おうと考えていた事が、
先生を前にして何から話せばいいのか分からなくなっていました。
「早のこと、他の先生方から、もうすでに聞いてもらってると
思うのですが・・とにかく手のかかる子なんです。遊びにかけては天才なんですが、勉強はからっきしダメ。最近は反抗期も重なってか、私の言うことは聞きません。もう高学年ですし 本当にこれから大丈夫かといつも心配で・・・」
「お母さん、そんなに心配しないで下さい。早君は、まぁ ちょっとヤンチャですけど、そんな子クラスにたくさんいますよ!
私は中央小学校から転任してきたのですが、 その小学校は数年前とても荒れていたんです。
いわゆる 学級崩壊っていうやつです。でも私が担任となったそのクラスは見事に変わりましたよ。安心してください。
お母さんが大事な話があるので・・と言われていたので こちらも心配していたんですが、そんな事だったんですね」
私は(そんな事)と言われて、まだ続きを話さなくては・・と思ったが、先生の(安心してください)と言う一言に すっかり安心してしまい、ベテランのこの先生に任せれば もう大丈夫だと思ったのだった。
そして、長い夏休みも無事に終わりニ学期に入った頃
忘れ物が多いと注意されるようになった。
給食のエプロン 絵の具 習字 たて笛etcは常習犯
自分の興味のある物は、しっかり覚えて帰ってくるのだが、
それ以外はスッカラカンだった。
水筒や体操服も、靴を履いているうちに玄関に置き忘れて
しまい、たとえ持っていっても、今度は学校のロッカーに
入れ、入れたことを忘れてしまうという始末・・
ある日、先生より
「今日で4回連続、習字の用意を忘れています!お家に ありますか!」 と、あきれ声で連絡があった。
「え~?4回も忘れているんですか?本人は何も言わないので 知りませんでした。明日持たせます。申し訳ありません」
私はやれやれ・・本当に情けない・・とため息をついてから
ふと、息子はその4回の習字の時間中いったい何をしていたのだろうかと気になりだしたのだった。
息子はもうすでにランドセルを放りだして家には いなかったので、私はその足で習字の道具を持って 学校へ走った。
「先生。いつもすみません。これ持ってきました。 また忘れるといけないので。
あの・・・ところで 息子は4回もの習字の時間、何をしていたのでしょうか・・」
「あ~1回目は貸しましたけど、2回目からは忘れた罰として
他のプリントをさせていました。何回も言ったんですけどね」
私は、その光景を思い描きながら、少し悲しくなってきて
「先生、できれば連絡帳に書いて頂けませんか? 私毎日、息子の連絡帳には目を通しています。
忘れ物が書かれてあれば絶対に持たせますから」
すると担任は怪訝な顔をして
「え~、お母さん。早君はもう六年生ですよ! 自立させるためにも、そんな事は出来ません」
「自立することが大切なのはよく分かります。でも そのために、早がボーと何時間も授業を受けられずに いた事を考えると・・・
一行でいいんです。一行でいいので お願いできませんか・・・」
私は担任からの意外な返答に、たった一行をお願いしている自分は本当に親バカなのかと自問自答しながら
帰っていったのだった。
そしてその日は突然やってきた。
★
ある朝、何度起こしても早が起きてこなかったのだ。
朝支度を終え、ゆっくりテレビを見ていた美沙や貴子たちに
先に行くように伝え、私は早を再度起こしに行った。
「遅刻やで、ち・こ・く!」
「お腹痛い・・」
「え?熱ないやん。どうしたん」
私は数日前に見ていた新聞の記事を思い出していた。 (不登校の始まりはお腹が痛い・・から)と。
まさか?いじめ?ありえないありえない。と不安を 打ち消すかのように早の布団をはがし、
大声で 早く行きなさい!と叱ったのだった。
早はトイレへ駆け込んだので、本当に下痢でもしているのだろうか・・・と気になったのだが、ほどなくそれは
駆け込んだのではなく、逃げ込んでいたのだと分かった。
やっと出てきた早に、私は制服を持って待ち構えていた。 すると今度はテーブルを挟んで追っかけあいが 始まった。
「学校へ行きなさい!」
「嫌や。しんどい」
「嘘ついたらあかん」
「嘘ちゃう」
「ホンマのこと言いなさい!何で行きたくないの?」
「先生が大嫌いなんや!学校の先生みんな嫌いやねん!」
「え・・・」
「いっつもオレばっかり怒られるねん、みんなの前で 服とか髪の毛とか引っ張られて、オレばっかり 怒られるねん!」
私は思ってもみなかった早の言葉に、その場に立ちすくんでしまいました。涙をうっすらと浮かべて真顔で言ったその言葉は
ウソをついてるとは思えなかったのです。
「休み・・」
そう言うと早はホッとした表情を見せました。
その姿に何かただならぬものを感じたのでした。
早はそれから度々、遅刻や欠席をするようになりました。
学期末懇談の日が近づいていたので、私はこの日に
勇気をだして話をしようと決めていました。
懇談の日
「あの・・実は最近ちょくちょく休んでいるのは病気ではないんです。不登校のはじまりではないかと・・」
「え~!?早君に限ってそんなことは無いですよ」
私は担任からいきなり笑って否定されたことで、そのいきさつを話すことが出来なくなってしまいました
そして、この日を待っていたかのように担任は早口で話始めました
「今日は、お母さんにしっかり話しておきたい事があります。 今学期の通知表、算数に1をつけました。
授業態度もよくないですし、放課後に残して補習をしようと言っても逃げていません。
テストは5分もたたないうちに裏返して落書きしています。 ハッキリ言って、もう私はこれ以上教えられません!
教師の私が言うのも何なんですが、塾にでも行かせはったら どうですか?
それとですね、この前、体育の授業でドッチボールをした時のことなんですが、早君がルールを守らずにいたので見学させたんですよ。そしたらそれに腹をたてたのか、休み時間に運動場の砂の上に(田中死ね)と大きく私の名前を書いていたんですよ!後で生徒に聞いた話ですが、教室の机にも彫刻等で (田中死ね)と彫っていたらしいですわ。 それとですねーーー」
担任の感情が高ぶっていくのを私は感じていた。
情けない、申し訳ないという気持ちを通り越して腹立たしさと共に、早は本当にこの先生のことが大嫌いなんだと言う事が、
この時ハッキリと分かった。
家に帰っても私の気持ちはおさまらなかった。
算数に1がついた事ではない。早が担任から問題児扱い されている事が許せなかったのだ。
その晩、私は元教職員で校長をしていた叔父の良夫に会いに行き、事の全てを話した。
「おじさん!くやしいー。どうしていいか分からない。 おじさん!教師って勉強を教える立場じゃないの?
教師ってどんな子も守っていく立場じゃないの? 問題や問題やと言う教師のほうが問題教師じゃないの!?」
「はっはっはっー 問題教師かぁ よう言うたもんやなぁ」
「笑い事ちゃうよ!教育委員会に訴えようと思ってるくらいなんやから!」
「はっはっー 教育委員会も忙しくなる筈や」
「だから、笑い事ちがうって!」
「まぁまぁ夕ちゃん。落ち着いて。こういう問題は 感情論でぶつかって解決する問題じゃない。
じっくり 冷静に話しあっていく以外にないんや」
「そんな・・・」
「先生も悩んでる。親も悩んでる。でも一番苦しんでるのは 早と違うかなぁ・・
学校行っては叱られ、家に帰っても叱られ、勉強はついていけない。こんな毎日楽しいか・・・?」
そう言うと、叔父の良夫はどこからか一冊の本を 持ち出してきて私に言った。
「早のこと、ちょっと気になってたんやけどなぁ・・ 発達障害って聞いたことあるか?
今では16人に1人はいると言われていて、教育現場でも 課題のひとつとなってる。
二次障害を起こすと不登校や引きこもり、適応障害や鬱が始まる場合もあるらしい。
夕ちゃん、一度きちんとした所で、早のこと教育相談受けてみたらどうや」
「発達障害?早が障害持ってるっていうの?」
「違う違う、早とちりしたらあかん。今のままでは悪循環ばかりやろ、専門家にアドバイス受けてみる事もひとつの方法じゃないかと思うんや」
私は叔父から差し出された本をパラパラとめくってみた。
ーADHD- 注意欠陥・多動性障害
主な症状として、落ち着きがない 飽きっぽい 順番を守れない 人から言われたことをするのが苦手 すぐ気が散る 静かに遊べない おしゃべりで、人の邪魔をする 人の話をよく聞かない 忘れ物が多く、後先考えずに突っ走ったり、キケンな行動をするー - -
「これって早に全部あてはまってるやん・・」
叔父の良夫は優しくウンと頷いた。
一ヵ月後
その日、私は教育相談センターで、早の心理テストの結果を待っていた。
「お母さんどうぞ」
「はい・・」
「まず、早君を色々な方面からテストをさせて頂いた結果ですが、早君は明らかに支援が必要なお子さんです」
「支援?あの・・やっぱりADHDとかいうのですか?」
「早君には、その傾向性があります。知的に障害はないのですが、出来る事と出来ない事の差が大きく、その為周りから誤解を受けやすく、的はずれな叱責を受け、本人が一番しんどい思いをしてきたと思われます」
的はずれな叱責。。本人が一番苦しんできた。。
「先生、私、ずっとずっと叱り続けていました・・」
「お母さん、無理もないですよ。この障害は目に見えない障害といわれているんです。幸い早君はお友達も多く、運動面で活躍できる場があったから今までがんばってこれたのだと思います。しかし、大きな劣等感と闘いながら心が傷ついていることは事実です。早君の行動には必ず意味があります。失敗したときには、ゆっくり話を聞いてあげて下さい。そして良い所を見つけて、どんどん褒めてあげてください。それだけで随分改善されることがあるんです」
帰り道
この数年間の出来事が一気に思い返された。
あの時も・・この時もそうだったんだ・・
(ごめんね)そう思うと涙が止まらなかった。
しかし、その晩、早のことで私達夫婦はもめにもめる事となった。
「発達障害やって。ADHDの傾向性があるって」
「なっなんて?ABCD?」
「ADHD。んーとにかく学習面でも、生活面でも支援が必要な子やって」
「支援て、どんな支援?」
「早の場合は、見る力も聴く力も平均以上あるらしい。でもそれが同時におきた時、極端にその力が弱くなるらしい。例えば学校の先生が黒板に字を書きながら話し出すと、たちまち内容が分かりにくくなるって。あと、アレとコレとソレをしなさいっていう指示を一度に言われると頭が混乱して、どれも中途半端になってしまうって。あと、言語能力も低くて、言葉で説明することが苦手なんやて」
「言語?早はちゃんとしゃべれるのにか?」
「しゃべれるのと、説明ができる事は違うらしい。言われている事は理解できてても、いざ説明しなさいとなると大変らしい。あっ!脳のメモ帳といわれている記憶しておく部分が人より少ないから忘れる事が多いんやって」
「なんか別に誰にでも多かれ少なかれありそうな事やけど」
「うん。早の場合はそういう力が極端に弱いんやって。なんか何にもしらんと早をいっぱい責めたかもしらんわ・・」
「で、その何とか言うアルファベット並べた病気は治るんやろうな」
「いや・・病気じゃないから治るとか治らないとかとは違うと思うけど・・」
「けど、って、そこが一番大事なとこやろ。何を相談しに行ってきたんや!早の将来が一番大事なんや。中学、高校、大学行ってちゃんと働ける人間にならないとな」
「今はそんな先のことより、目の前の課題をひとつひとつ乗り越えて行かないと・・・」
「目の前にある課題って何?」
「いや・・だから・・早を叱らんと分かりやすく・・」
「アルファベット並べられて、感傷的になって、甘やかせばいいとでも思ってるんか!」
「ひどい!そんなんじゃないって!」
「勉強もせんと、ちょろちょろしてたら落ちこぼれていくのは当たり前のことや!本人の努力次第なんや!
努力さすのが親の役目やろ!」
「それはそうや!それはわかってるよ!でもADHD---]
「やったら何やねん!!」
夫はもうこれ以上聞きたくないと言わんばかりに話を遮った。
「私も同じこと考えてずっと悩んできた。けど今わかった。 英語の名前つけられたんは、私らにや!
私らの為や!早の為と違う。私らにゆっくり考える時間を持たすためについたんや。
何もなかったら私ら早を責めるだけしかしなかった。でも障害って付いた途端にほら・・一歩立ち止まってこうして考えてる。
何も分からんけど少なくても理解していこうって考えてる。今はこの事が大事なんじゃないかなぁ・・・」
長い沈黙が続いた。
-目に見えない障害ー この言葉がぐるぐると頭の中を 駆け巡っていた。
★
この心理テストの結果は教育センターより、担任と校長へも全て申し送りをして頂いていた。
しかし担任は「だからどうすればいいんですか!?」 という言葉しかなかった。
結局、この担任とはその後も理解し合えることはなく 冷戦状態のままで卒業することとなった。
私達夫婦も含め、マニュアルのない息子の心を知ろうと 努力することは並大抵のことではなかったのだ。
一方息子はといえば・・私と背くらべをしては、 「もうすぐ抜かすで~」 とのんきな事を言って喜んでいる。
実際、この一年間で10センチ近く身長が伸びた早は 私をゆうに超えていった。
そして早は中学生になった。
どうか、良い先生に恵まれますように! そんな、祈るような思いで入学式に臨んだ。
早の担任となった高橋先生は、生活指導も担当している体育教諭の若い男の先生だった。
入学してすぐに、私は中学の校長と担任に早のことをお願いしにいった。
授業中だというのに教室や廊下からドンドンパンパン 聞こえてくる物音。先生や生徒達の怒涛が飛び交う。
担任は、「すみません。ちょっと失礼します・・・」と言って 何度か席を立ち出ていった
美沙から、ある程度中学が荒れていることは聞いていたが、 まさかこんなにも・・と思った。
もう息子の話どころではなかった。息子さえよければなんて 思っている次元でもなかった。
ここにも又、有り余るパワーを持て余し、問題児という レッテルを貼られている子達がいる・・
もしかしたらこの子達もまた・・・?そんな共鳴する何かを 感じながら帰って行ったのだった。
晩ごはんを食べながら、その日の話題は中学の話になった。
「早、中学はどうや?担任の先生は体育やったなぁ。 ピッタリやなぁ」
「さっそく、運動神経がえーなーって言われたわ」
「で、勉強はどうや?」
「勉強は分からん。長いし、うざい」
「・・・」
「クラブは野球部に決めたんやろ、思いっきりがんばれよ」
早はクラブをがんばるという約束で父から携帯を買ってもらうことが出来たので、その携帯を見ながらウンと頷いていた。
「そやそや。今日3年の悪い子らが暴れてて三階からロッカー落としてんで!ホンマに最近エスカレートしてきてるわ」
美沙が唐突に言った。
「何?ロッカー!?」
夫はビールをふきだして目が点になっていた。
「ウン。美沙のクラスは授業中断して全員で反省会やってん めっちゃ迷惑」
「ラッキーやな~」
早が笑いながら言ったので、私は早の携帯を取り上げ頭をこついた。
「保健室も満員御礼続きやったから、とうとう 職員室に引越ししたんよ」
「なんやそれは。大丈夫なんかその学校」
「まぁね。先生達も毎日体鍛えてるしね」
「・・・」
その時、早の携帯が鳴った。
♪ツッパルことが男の~♪たったひとつの勲章だって
この胸に信じて生きてきた~♪
「はぁ?ツッパリなんとかロックンロール・・・?」
夫はまたビールを噴出して言った。
「うん。昔、流行っててんやろ。今オレが流行らせてんねん めっちゃえー曲やろ」
そう言って曲が鳴り止むまで踊ってみせた。
「兄ちゃん、不良にあこがれてるんやろー」 貴子も話にのってきた。
すかさず夫は
「はいはい!終わり。子供は勉強第一。勉強して寝る。 はい終わり」そう言って部屋から消えていった。
たしかに、夢と希望のある話ではなかった。
でも私には、そんな他愛もない話がとても楽しかった。
ー他人事ー そう捉えている間は、とても楽しかった。
★
しかし、そんな平穏な日は長く続かなかった。
早の持つエネルギーは半端ではなかった。
それは中間テストが散々な結果で返ってきた日の事
私がうっかり「あんたホンマにアホやな」と言ってしまった事が きっかけだった。
「オレはアホ。どうせアホ。何をやってもアホなんや!」
そう叫び、糸の切れた凧がうわーと舞って行くかのように 早は飛んでいってしまった。
たった数ヶ月前までのランドセル姿の息子はもうそこには なかった。
学ランを着て、髪を染め、眉を剃り、あの不良と よばれる先輩達と同化していったのだ。
それが何を意味するかということは容易に想像できた。
喧嘩をした。ガラスを割ったと言っては学校に呼び出された。
夜の徘徊、他校侵入、万引き、窃盗で補導され警察にも何度もお世話になった。
私の声はもはや届かず、空回りの悪戦苦闘でしかなかった。
本当にそれは全てがあっという間の出来事だった。
★
ある夜、おじの良夫が心配して訪ねてきてくれた。
「みんな元気かー。早はがんばってるらしいなぁ」
「がんばってるも何も、さっきも言い合いになって出ていってしまったわ!」
「はっはっはっー。早も居場所があってえーなぁ」
「笑い事ちがうって!もう最近は成るようにしかならんって 思ってしまうねん・・」
「えらい弱気やな。夕ちゃんらしくないで」
「おじさん・・発達障害って何?いったい何者なん? どっかの病院行って治せるもんなら、どんな遠くても
どんなに高いお金かかっても連れて行って治してやるのに・・・ わかってるよ。自分の甘さをそんなせいにしてる
こともわかってるよ!でもわからない。どうすればいいのか わからんねん!!」
「夕ちゃん、啐啄(そつたく)って言葉しってるか? 逃したらまたと得がたい良い時期という意味や。
卵の中のヒナ鳥が殻を破ろうとしている時、親鳥も同時につついてはじめて殻が割れるんや。
どっちか片方だけがんばっても絶対に割れることは無い。 要するに、時を逃したらあかんという事なんや。
今こそ、しっかりと先生達と連携とってがんばる時とちがうか? 治るという事は成長するという事やで」
時を逃したらあかん・・
その言葉はなぜか私の胸にストンと入ってきた。
「うん・・でも・・」
その時、玄関先から大きな声が聞こえた。
★
「こんばんわー。高橋です。夜分にすいません」
「あっ。高橋先生!また・・何か・・」
「いえいえ。実は今日学校で早君ともみ合いになりまして・・ 大切なシャツのボタンがちぎれてしまったんです」
そう言って担任は、小さなボタンを大事そうに私に手渡し深々と頭を下げた。
「それと・・国語の副担任より、忘れ物のプリントを預かってきましたので早君に渡してあげて下さい」
そこには、早が書いた漢字の書き取りが、ぎっしりと詰まっていて、恥ずかしくなるくらいの大きな花マルが書き添えられていた。
「先生・・」
「あっ!明日なんですが、出来れば朝少しばかり早く登校させてもらえませんか?早君は今 力の出し方を間違っているだけなんです。彼が本当の力を出し切れるまで、とことん関わっていきますので宜しくお願い致します!」
私はその小さなボタンと大きな花マルを見つめながら、その場を動けないでいた。
体中からふつふつと湧き上がるものを感じながら、先生に感謝せずにはいられなかった。
「夕ちゃん、時はピッタリやなぁ」
叔父の良夫が出てきて言った。
「先生、こんなに遅くまでご苦労様です。先生を見てると 私もOBとして今夜は夜回りでもして帰りたくなりました」
叔父の良夫は笑いながら本当に嬉しそうに担任へ話かけていた
二人の帰る姿を最後まで見送った後、私は満天下に輝く星を見上げながら、大きく深呼吸をして心の中で「よし!」と叫んだ。
「美沙~、貴子~、裁縫道具持ってきて~!ボタンボタン !ボタンつけるから~!!」
小さなボタンと大きな花マル
先生からの贈り物
ここから始まる大切な未来
無限の可能性を信じていこう
どこまでもどこまでも信じていこう
いつか早が本当の力を出しきれるその日まで・・・
おわり
このブログを書いた日から12年。
今でこそ発達障害は知られるようになりましたが当時はまだまだでした。
冒頭に書いた「昔にあって今に無いもの」
それは人と人との暖かい血の通ったつながりだと感じています。
その社会が当たり前になればきっと発達障害から障害という文字は消えていくのだと思っています。
息子は現在25歳。しっかり成長しています。と・・・思います(;^ω^)
2018年3月21日
★ ★
今、LDやADHD、アスペルガー等、発達障害を持つ子供達が16人に1人、1クラスに 1~2名はいると言われています。
目に見えない障害といわれている通り、教育現場では 課題のひとつとなっています。
昔からもいてたであろうこの子達が、なぜ今あえて障害と いわれるようになったのか・・・?
昔にあって今に失われつつあるもの・・・
彼らはそんな何かを教えにきてくれた子達だと感じています。
小さなボタンと大きな花マル
ドッドッドッドッ 息子の早(そう)が帰ってきた。
(あっ・・あいつ又なんかしでかしてきたな)
私は、その重い足音を聞きネギをきざむ手を止めた。
「おかえり!うがいと手洗いしーや。もうすぐご飯できるし」
チラリと私の目を見た早は、慌てて手を洗い自分の部屋に 消えていった。
こういう日は決まって誰かから電話がかかってくる。
案の定その日も、夜の八時を過ぎた頃、和也君のお母さんから 電話がかかってきた。
「もしもし!春田ですけど、今日夕方公園でお宅の早君がウチの和也の自転車を乗り回して おまけに怪我までさせられたんです!」
「あ・・・申し訳ありません。すぐに息子を連れて謝りに行きますので。怪我は大丈夫でしょうか?本当に申し訳ありません」
私は早を呼び、大声で怒鳴った。
「またかいな!今日はいったい何したんよ!何回言うたらわかるの?悪い事ばっかりして!なんで?言うてみ!」
早は、うつむいたまま何も言わないので、私の声は更に大きくなるのが常でした。
我が家は六人家族。食品会社に勤める夫と四人の子供達。
姉(美沙)と妹(貴子)(香里)の間に息子の早がいました。
早は小さい頃から四人の中でも一番手のかかる子でした。
幼稚園に入園した三日目には園長先生から、
「今日廊下に 立たせました」
とお叱りを受ける程じっとしていない言う事を聞かない子。
小学校に入学してすぐには、校庭内のジャングルジムから 落ちて鼻を骨折。入院、手術。
二年生の時には、一輪車に乗っていて転倒し腕を複雑骨折 入院、手術。
大好きな外遊びには一目散に飛んでいき、友達の前では 派手なパフォーマンスを繰り返し皆を笑わせることが
大好きだったので、いつも調子に乗りすぎてそのツケは 生傷という形で絶えることはありませんでした。
しかしこの頃は私も夫も、男の子は元気が一番!とまだ 笑って過ごしていた時期でした。
三、四年生にもなってくると下級生もでき周りのお友達も 落ち着きが出てきて、そろそろウチの子も・・
と思っていたのだが、早はますます活発になり悪ふざけも増え友達との トラブルが多くなっていったのでした。
勉強は体育と音楽だけが良くてあとはさっぱり・・ 宿題も机に向かわせるまでが毎日一苦労でした。
集中力に欠け、先生からは毎日注意されていた早だったが
注意されたその先から又同じ事を繰り返していたのでクラスでも手のかかる子だったようです。
連絡帳にはいつも嬉しくない報告が書かれてあり、決まって [家でもしっかりご指導ください]とある。
電話がかかってくる時は、人に怪我をさせてしまった時と 物を壊したしまった時。
担任から電話がなければ直接保護者からすごい剣幕でかかってくる。
早だけじゃなく数名で問題があったと聞いたときは、その (だけじゃなく)にどれほど救われた事か・・・。
この頃には、月一回の参観日と懇談会は私にとって恐怖の 視線日だった。
美沙と貴子のクラスがあった事は不幸中の幸いだった。
たしか・・一年生の時の担任も二年生の時の担任も
「早君はやんちゃですが、お友達も多く優しい心も持っています。高学年になる頃には落ち着きもでてきて勉強もがんばっていると思います」
そう言ってくれてたよな・・・
そんな言葉を思い出しながら、今その高学年になろうとしている早と照らし合わせ、私は深くため息をつくのでした。
謝りに行った帰り道。
「なぁ早、もうあんたもこんな事ばっかり嫌やろ お母さんも嫌やわ。
スイマセンいうて謝って これから仲良くしてね と言うてくれる親なら良いけど
今日みたいに一方的に話もさせてくれんと、早が悪い悪い
言われたら、お母さんだんだん腹立ってきて、
ドア蹴飛ばして帰ってきたくなるわ!せやけどそれをしたら
負けやろ・・お母さん全部が全部、早が悪いなんて
思ってへんで。一緒に謝りにいく訳は、あんたにも何か
言いたいことがあればちゃんと言わせてあげたいと思って
行くんや。 まぁ今日はちょっと例外やったけどな。
あんな大人もおるっていう事や!ちょっとは勉強しーや」
本当は、悪い事をした早を叱らなければいけないとは
分かっているのですが、いつもより落ち込んでいる早を
見ていると、そんな言葉で励ましながら帰っていくのでした。
★
早。六年生。
新しく赴任してきた女の先生が担任となった。
家庭訪問は無理を言って、最後の日の最後の時間に して頂き、たっぷり時間をとってもらった。
息子のためならPTA。PTAの略が何なのかさえよく分かって
いない私でしたが、自分に気合いを入れる為に心の中で
この言葉を繰り返していました。
「こんにちわ。田中です」
「先生!お待ちしていました。どうぞどうぞ中へ入って ください」
「おじゃまします」
「先生!早は無事ですか?」
「は?無事?」
「あっいえ・・早の周りの子供達は無事ですか?」
「お母さん、どうしたんですか?」
私は、さっきまで、あれも言おうこれも言おうと考えていた事が、
先生を前にして何から話せばいいのか分からなくなっていました。
「早のこと、他の先生方から、もうすでに聞いてもらってると
思うのですが・・とにかく手のかかる子なんです。遊びにかけては天才なんですが、勉強はからっきしダメ。最近は反抗期も重なってか、私の言うことは聞きません。もう高学年ですし 本当にこれから大丈夫かといつも心配で・・・」
「お母さん、そんなに心配しないで下さい。早君は、まぁ ちょっとヤンチャですけど、そんな子クラスにたくさんいますよ!
私は中央小学校から転任してきたのですが、 その小学校は数年前とても荒れていたんです。
いわゆる 学級崩壊っていうやつです。でも私が担任となったそのクラスは見事に変わりましたよ。安心してください。
お母さんが大事な話があるので・・と言われていたので こちらも心配していたんですが、そんな事だったんですね」
私は(そんな事)と言われて、まだ続きを話さなくては・・と思ったが、先生の(安心してください)と言う一言に すっかり安心してしまい、ベテランのこの先生に任せれば もう大丈夫だと思ったのだった。
そして、長い夏休みも無事に終わりニ学期に入った頃
忘れ物が多いと注意されるようになった。
給食のエプロン 絵の具 習字 たて笛etcは常習犯
自分の興味のある物は、しっかり覚えて帰ってくるのだが、
それ以外はスッカラカンだった。
水筒や体操服も、靴を履いているうちに玄関に置き忘れて
しまい、たとえ持っていっても、今度は学校のロッカーに
入れ、入れたことを忘れてしまうという始末・・
ある日、先生より
「今日で4回連続、習字の用意を忘れています!お家に ありますか!」 と、あきれ声で連絡があった。
「え~?4回も忘れているんですか?本人は何も言わないので 知りませんでした。明日持たせます。申し訳ありません」
私はやれやれ・・本当に情けない・・とため息をついてから
ふと、息子はその4回の習字の時間中いったい何をしていたのだろうかと気になりだしたのだった。
息子はもうすでにランドセルを放りだして家には いなかったので、私はその足で習字の道具を持って 学校へ走った。
「先生。いつもすみません。これ持ってきました。 また忘れるといけないので。
あの・・・ところで 息子は4回もの習字の時間、何をしていたのでしょうか・・」
「あ~1回目は貸しましたけど、2回目からは忘れた罰として
他のプリントをさせていました。何回も言ったんですけどね」
私は、その光景を思い描きながら、少し悲しくなってきて
「先生、できれば連絡帳に書いて頂けませんか? 私毎日、息子の連絡帳には目を通しています。
忘れ物が書かれてあれば絶対に持たせますから」
すると担任は怪訝な顔をして
「え~、お母さん。早君はもう六年生ですよ! 自立させるためにも、そんな事は出来ません」
「自立することが大切なのはよく分かります。でも そのために、早がボーと何時間も授業を受けられずに いた事を考えると・・・
一行でいいんです。一行でいいので お願いできませんか・・・」
私は担任からの意外な返答に、たった一行をお願いしている自分は本当に親バカなのかと自問自答しながら
帰っていったのだった。
そしてその日は突然やってきた。
★
ある朝、何度起こしても早が起きてこなかったのだ。
朝支度を終え、ゆっくりテレビを見ていた美沙や貴子たちに
先に行くように伝え、私は早を再度起こしに行った。
「遅刻やで、ち・こ・く!」
「お腹痛い・・」
「え?熱ないやん。どうしたん」
私は数日前に見ていた新聞の記事を思い出していた。 (不登校の始まりはお腹が痛い・・から)と。
まさか?いじめ?ありえないありえない。と不安を 打ち消すかのように早の布団をはがし、
大声で 早く行きなさい!と叱ったのだった。
早はトイレへ駆け込んだので、本当に下痢でもしているのだろうか・・・と気になったのだが、ほどなくそれは
駆け込んだのではなく、逃げ込んでいたのだと分かった。
やっと出てきた早に、私は制服を持って待ち構えていた。 すると今度はテーブルを挟んで追っかけあいが 始まった。
「学校へ行きなさい!」
「嫌や。しんどい」
「嘘ついたらあかん」
「嘘ちゃう」
「ホンマのこと言いなさい!何で行きたくないの?」
「先生が大嫌いなんや!学校の先生みんな嫌いやねん!」
「え・・・」
「いっつもオレばっかり怒られるねん、みんなの前で 服とか髪の毛とか引っ張られて、オレばっかり 怒られるねん!」
私は思ってもみなかった早の言葉に、その場に立ちすくんでしまいました。涙をうっすらと浮かべて真顔で言ったその言葉は
ウソをついてるとは思えなかったのです。
「休み・・」
そう言うと早はホッとした表情を見せました。
その姿に何かただならぬものを感じたのでした。
早はそれから度々、遅刻や欠席をするようになりました。
学期末懇談の日が近づいていたので、私はこの日に
勇気をだして話をしようと決めていました。
懇談の日
「あの・・実は最近ちょくちょく休んでいるのは病気ではないんです。不登校のはじまりではないかと・・」
「え~!?早君に限ってそんなことは無いですよ」
私は担任からいきなり笑って否定されたことで、そのいきさつを話すことが出来なくなってしまいました
そして、この日を待っていたかのように担任は早口で話始めました
「今日は、お母さんにしっかり話しておきたい事があります。 今学期の通知表、算数に1をつけました。
授業態度もよくないですし、放課後に残して補習をしようと言っても逃げていません。
テストは5分もたたないうちに裏返して落書きしています。 ハッキリ言って、もう私はこれ以上教えられません!
教師の私が言うのも何なんですが、塾にでも行かせはったら どうですか?
それとですね、この前、体育の授業でドッチボールをした時のことなんですが、早君がルールを守らずにいたので見学させたんですよ。そしたらそれに腹をたてたのか、休み時間に運動場の砂の上に(田中死ね)と大きく私の名前を書いていたんですよ!後で生徒に聞いた話ですが、教室の机にも彫刻等で (田中死ね)と彫っていたらしいですわ。 それとですねーーー」
担任の感情が高ぶっていくのを私は感じていた。
情けない、申し訳ないという気持ちを通り越して腹立たしさと共に、早は本当にこの先生のことが大嫌いなんだと言う事が、
この時ハッキリと分かった。
家に帰っても私の気持ちはおさまらなかった。
算数に1がついた事ではない。早が担任から問題児扱い されている事が許せなかったのだ。
その晩、私は元教職員で校長をしていた叔父の良夫に会いに行き、事の全てを話した。
「おじさん!くやしいー。どうしていいか分からない。 おじさん!教師って勉強を教える立場じゃないの?
教師ってどんな子も守っていく立場じゃないの? 問題や問題やと言う教師のほうが問題教師じゃないの!?」
「はっはっはっー 問題教師かぁ よう言うたもんやなぁ」
「笑い事ちゃうよ!教育委員会に訴えようと思ってるくらいなんやから!」
「はっはっー 教育委員会も忙しくなる筈や」
「だから、笑い事ちがうって!」
「まぁまぁ夕ちゃん。落ち着いて。こういう問題は 感情論でぶつかって解決する問題じゃない。
じっくり 冷静に話しあっていく以外にないんや」
「そんな・・・」
「先生も悩んでる。親も悩んでる。でも一番苦しんでるのは 早と違うかなぁ・・
学校行っては叱られ、家に帰っても叱られ、勉強はついていけない。こんな毎日楽しいか・・・?」
そう言うと、叔父の良夫はどこからか一冊の本を 持ち出してきて私に言った。
「早のこと、ちょっと気になってたんやけどなぁ・・ 発達障害って聞いたことあるか?
今では16人に1人はいると言われていて、教育現場でも 課題のひとつとなってる。
二次障害を起こすと不登校や引きこもり、適応障害や鬱が始まる場合もあるらしい。
夕ちゃん、一度きちんとした所で、早のこと教育相談受けてみたらどうや」
「発達障害?早が障害持ってるっていうの?」
「違う違う、早とちりしたらあかん。今のままでは悪循環ばかりやろ、専門家にアドバイス受けてみる事もひとつの方法じゃないかと思うんや」
私は叔父から差し出された本をパラパラとめくってみた。
ーADHD- 注意欠陥・多動性障害
主な症状として、落ち着きがない 飽きっぽい 順番を守れない 人から言われたことをするのが苦手 すぐ気が散る 静かに遊べない おしゃべりで、人の邪魔をする 人の話をよく聞かない 忘れ物が多く、後先考えずに突っ走ったり、キケンな行動をするー - -
「これって早に全部あてはまってるやん・・」
叔父の良夫は優しくウンと頷いた。
一ヵ月後
その日、私は教育相談センターで、早の心理テストの結果を待っていた。
「お母さんどうぞ」
「はい・・」
「まず、早君を色々な方面からテストをさせて頂いた結果ですが、早君は明らかに支援が必要なお子さんです」
「支援?あの・・やっぱりADHDとかいうのですか?」
「早君には、その傾向性があります。知的に障害はないのですが、出来る事と出来ない事の差が大きく、その為周りから誤解を受けやすく、的はずれな叱責を受け、本人が一番しんどい思いをしてきたと思われます」
的はずれな叱責。。本人が一番苦しんできた。。
「先生、私、ずっとずっと叱り続けていました・・」
「お母さん、無理もないですよ。この障害は目に見えない障害といわれているんです。幸い早君はお友達も多く、運動面で活躍できる場があったから今までがんばってこれたのだと思います。しかし、大きな劣等感と闘いながら心が傷ついていることは事実です。早君の行動には必ず意味があります。失敗したときには、ゆっくり話を聞いてあげて下さい。そして良い所を見つけて、どんどん褒めてあげてください。それだけで随分改善されることがあるんです」
帰り道
この数年間の出来事が一気に思い返された。
あの時も・・この時もそうだったんだ・・
(ごめんね)そう思うと涙が止まらなかった。
しかし、その晩、早のことで私達夫婦はもめにもめる事となった。
「発達障害やって。ADHDの傾向性があるって」
「なっなんて?ABCD?」
「ADHD。んーとにかく学習面でも、生活面でも支援が必要な子やって」
「支援て、どんな支援?」
「早の場合は、見る力も聴く力も平均以上あるらしい。でもそれが同時におきた時、極端にその力が弱くなるらしい。例えば学校の先生が黒板に字を書きながら話し出すと、たちまち内容が分かりにくくなるって。あと、アレとコレとソレをしなさいっていう指示を一度に言われると頭が混乱して、どれも中途半端になってしまうって。あと、言語能力も低くて、言葉で説明することが苦手なんやて」
「言語?早はちゃんとしゃべれるのにか?」
「しゃべれるのと、説明ができる事は違うらしい。言われている事は理解できてても、いざ説明しなさいとなると大変らしい。あっ!脳のメモ帳といわれている記憶しておく部分が人より少ないから忘れる事が多いんやって」
「なんか別に誰にでも多かれ少なかれありそうな事やけど」
「うん。早の場合はそういう力が極端に弱いんやって。なんか何にもしらんと早をいっぱい責めたかもしらんわ・・」
「で、その何とか言うアルファベット並べた病気は治るんやろうな」
「いや・・病気じゃないから治るとか治らないとかとは違うと思うけど・・」
「けど、って、そこが一番大事なとこやろ。何を相談しに行ってきたんや!早の将来が一番大事なんや。中学、高校、大学行ってちゃんと働ける人間にならないとな」
「今はそんな先のことより、目の前の課題をひとつひとつ乗り越えて行かないと・・・」
「目の前にある課題って何?」
「いや・・だから・・早を叱らんと分かりやすく・・」
「アルファベット並べられて、感傷的になって、甘やかせばいいとでも思ってるんか!」
「ひどい!そんなんじゃないって!」
「勉強もせんと、ちょろちょろしてたら落ちこぼれていくのは当たり前のことや!本人の努力次第なんや!
努力さすのが親の役目やろ!」
「それはそうや!それはわかってるよ!でもADHD---]
「やったら何やねん!!」
夫はもうこれ以上聞きたくないと言わんばかりに話を遮った。
「私も同じこと考えてずっと悩んできた。けど今わかった。 英語の名前つけられたんは、私らにや!
私らの為や!早の為と違う。私らにゆっくり考える時間を持たすためについたんや。
何もなかったら私ら早を責めるだけしかしなかった。でも障害って付いた途端にほら・・一歩立ち止まってこうして考えてる。
何も分からんけど少なくても理解していこうって考えてる。今はこの事が大事なんじゃないかなぁ・・・」
長い沈黙が続いた。
-目に見えない障害ー この言葉がぐるぐると頭の中を 駆け巡っていた。
★
この心理テストの結果は教育センターより、担任と校長へも全て申し送りをして頂いていた。
しかし担任は「だからどうすればいいんですか!?」 という言葉しかなかった。
結局、この担任とはその後も理解し合えることはなく 冷戦状態のままで卒業することとなった。
私達夫婦も含め、マニュアルのない息子の心を知ろうと 努力することは並大抵のことではなかったのだ。
一方息子はといえば・・私と背くらべをしては、 「もうすぐ抜かすで~」 とのんきな事を言って喜んでいる。
実際、この一年間で10センチ近く身長が伸びた早は 私をゆうに超えていった。
そして早は中学生になった。
どうか、良い先生に恵まれますように! そんな、祈るような思いで入学式に臨んだ。
早の担任となった高橋先生は、生活指導も担当している体育教諭の若い男の先生だった。
入学してすぐに、私は中学の校長と担任に早のことをお願いしにいった。
授業中だというのに教室や廊下からドンドンパンパン 聞こえてくる物音。先生や生徒達の怒涛が飛び交う。
担任は、「すみません。ちょっと失礼します・・・」と言って 何度か席を立ち出ていった
美沙から、ある程度中学が荒れていることは聞いていたが、 まさかこんなにも・・と思った。
もう息子の話どころではなかった。息子さえよければなんて 思っている次元でもなかった。
ここにも又、有り余るパワーを持て余し、問題児という レッテルを貼られている子達がいる・・
もしかしたらこの子達もまた・・・?そんな共鳴する何かを 感じながら帰って行ったのだった。
晩ごはんを食べながら、その日の話題は中学の話になった。
「早、中学はどうや?担任の先生は体育やったなぁ。 ピッタリやなぁ」
「さっそく、運動神経がえーなーって言われたわ」
「で、勉強はどうや?」
「勉強は分からん。長いし、うざい」
「・・・」
「クラブは野球部に決めたんやろ、思いっきりがんばれよ」
早はクラブをがんばるという約束で父から携帯を買ってもらうことが出来たので、その携帯を見ながらウンと頷いていた。
「そやそや。今日3年の悪い子らが暴れてて三階からロッカー落としてんで!ホンマに最近エスカレートしてきてるわ」
美沙が唐突に言った。
「何?ロッカー!?」
夫はビールをふきだして目が点になっていた。
「ウン。美沙のクラスは授業中断して全員で反省会やってん めっちゃ迷惑」
「ラッキーやな~」
早が笑いながら言ったので、私は早の携帯を取り上げ頭をこついた。
「保健室も満員御礼続きやったから、とうとう 職員室に引越ししたんよ」
「なんやそれは。大丈夫なんかその学校」
「まぁね。先生達も毎日体鍛えてるしね」
「・・・」
その時、早の携帯が鳴った。
♪ツッパルことが男の~♪たったひとつの勲章だって
この胸に信じて生きてきた~♪
「はぁ?ツッパリなんとかロックンロール・・・?」
夫はまたビールを噴出して言った。
「うん。昔、流行っててんやろ。今オレが流行らせてんねん めっちゃえー曲やろ」
そう言って曲が鳴り止むまで踊ってみせた。
「兄ちゃん、不良にあこがれてるんやろー」 貴子も話にのってきた。
すかさず夫は
「はいはい!終わり。子供は勉強第一。勉強して寝る。 はい終わり」そう言って部屋から消えていった。
たしかに、夢と希望のある話ではなかった。
でも私には、そんな他愛もない話がとても楽しかった。
ー他人事ー そう捉えている間は、とても楽しかった。
★
しかし、そんな平穏な日は長く続かなかった。
早の持つエネルギーは半端ではなかった。
それは中間テストが散々な結果で返ってきた日の事
私がうっかり「あんたホンマにアホやな」と言ってしまった事が きっかけだった。
「オレはアホ。どうせアホ。何をやってもアホなんや!」
そう叫び、糸の切れた凧がうわーと舞って行くかのように 早は飛んでいってしまった。
たった数ヶ月前までのランドセル姿の息子はもうそこには なかった。
学ランを着て、髪を染め、眉を剃り、あの不良と よばれる先輩達と同化していったのだ。
それが何を意味するかということは容易に想像できた。
喧嘩をした。ガラスを割ったと言っては学校に呼び出された。
夜の徘徊、他校侵入、万引き、窃盗で補導され警察にも何度もお世話になった。
私の声はもはや届かず、空回りの悪戦苦闘でしかなかった。
本当にそれは全てがあっという間の出来事だった。
★
ある夜、おじの良夫が心配して訪ねてきてくれた。
「みんな元気かー。早はがんばってるらしいなぁ」
「がんばってるも何も、さっきも言い合いになって出ていってしまったわ!」
「はっはっはっー。早も居場所があってえーなぁ」
「笑い事ちがうって!もう最近は成るようにしかならんって 思ってしまうねん・・」
「えらい弱気やな。夕ちゃんらしくないで」
「おじさん・・発達障害って何?いったい何者なん? どっかの病院行って治せるもんなら、どんな遠くても
どんなに高いお金かかっても連れて行って治してやるのに・・・ わかってるよ。自分の甘さをそんなせいにしてる
こともわかってるよ!でもわからない。どうすればいいのか わからんねん!!」
「夕ちゃん、啐啄(そつたく)って言葉しってるか? 逃したらまたと得がたい良い時期という意味や。
卵の中のヒナ鳥が殻を破ろうとしている時、親鳥も同時につついてはじめて殻が割れるんや。
どっちか片方だけがんばっても絶対に割れることは無い。 要するに、時を逃したらあかんという事なんや。
今こそ、しっかりと先生達と連携とってがんばる時とちがうか? 治るという事は成長するという事やで」
時を逃したらあかん・・
その言葉はなぜか私の胸にストンと入ってきた。
「うん・・でも・・」
その時、玄関先から大きな声が聞こえた。
★
「こんばんわー。高橋です。夜分にすいません」
「あっ。高橋先生!また・・何か・・」
「いえいえ。実は今日学校で早君ともみ合いになりまして・・ 大切なシャツのボタンがちぎれてしまったんです」
そう言って担任は、小さなボタンを大事そうに私に手渡し深々と頭を下げた。
「それと・・国語の副担任より、忘れ物のプリントを預かってきましたので早君に渡してあげて下さい」
そこには、早が書いた漢字の書き取りが、ぎっしりと詰まっていて、恥ずかしくなるくらいの大きな花マルが書き添えられていた。
「先生・・」
「あっ!明日なんですが、出来れば朝少しばかり早く登校させてもらえませんか?早君は今 力の出し方を間違っているだけなんです。彼が本当の力を出し切れるまで、とことん関わっていきますので宜しくお願い致します!」
私はその小さなボタンと大きな花マルを見つめながら、その場を動けないでいた。
体中からふつふつと湧き上がるものを感じながら、先生に感謝せずにはいられなかった。
「夕ちゃん、時はピッタリやなぁ」
叔父の良夫が出てきて言った。
「先生、こんなに遅くまでご苦労様です。先生を見てると 私もOBとして今夜は夜回りでもして帰りたくなりました」
叔父の良夫は笑いながら本当に嬉しそうに担任へ話かけていた
二人の帰る姿を最後まで見送った後、私は満天下に輝く星を見上げながら、大きく深呼吸をして心の中で「よし!」と叫んだ。
「美沙~、貴子~、裁縫道具持ってきて~!ボタンボタン !ボタンつけるから~!!」
小さなボタンと大きな花マル
先生からの贈り物
ここから始まる大切な未来
無限の可能性を信じていこう
どこまでもどこまでも信じていこう
いつか早が本当の力を出しきれるその日まで・・・
おわり
このブログを書いた日から12年。
今でこそ発達障害は知られるようになりましたが当時はまだまだでした。
冒頭に書いた「昔にあって今に無いもの」
それは人と人との暖かい血の通ったつながりだと感じています。
その社会が当たり前になればきっと発達障害から障害という文字は消えていくのだと思っています。
息子は現在25歳。しっかり成長しています。と・・・思います(;^ω^)
2018年3月21日