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2012年夏の終わりのあの夕暮れは、われわれ家族と、郵便局の駐車場の捨て猫が不思議に交差したほんのわずかな時間です。おそらく私や夫や息子なら、そんな運命のよびかけに気がつかなかったかもしれません。しかし、なにごとにも敏感で好奇心旺盛な十歳の女子は、交差した時間を見逃さなないいんですよ。
まったく。気がつかなくてもよかったのに。
気難しい先住猫も怒っていました。「なんでこんな汚い子をひろってくるのよ!まったくゴミよゴミって!」(そう、数年前に里親の会で、ゲージの中でひときわ大きくなっていた私。どんどんかわいくて小さい子がもらわれていく。焦る気持ち。ああ、それから三年、そんな過去はもう忘れたわ。)
この夏の終わりは、先住猫だけでなく、こちら家族側にとってもいろいろ問題が勃発しており、正直、心のゆとりがありませんでした。しかしだ、瀕死状態の子猫、それがどんなにぼろ雑巾のようであっても連れてこられたら黙っていられない私の性格を、娘はよく知っているのでした。
この写真はレトラが拾われた数日後、病院での治療も終わり、脱水症状も治って元気になってきたころです。生後およそ三ヶ月になっているかなっていないかの時。鼻づまりとくしゃみがとまらず、後ろ足もよたよたしていて。そして左目に黒曜石が入っていることがわかり始めたころです。
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