ふわりはぐれ雲 日々安穏・・・・

終戦から77年かぁ・・・父親考・・・

広島に続いて長崎での被爆の日。
長崎市愛宕町出身の父親は生きてたら99歳か・・・・・
典型的な「飲まなかったらいい人」
長男に生まれたプレッシャーがあったんやろなぁ。
自分の気持ちを日々押し殺してた分、
酒がやめられず、酒に勢いをもらって発散・・・
覚めて反省・・・・・の毎日を繰り返してたんやって

それでも朝になったら早くから起きて
小さな子供だった自分たちの食事の支度をして、
仕事もちゃんと出て行ってたねぇ。

そこらへんは大人になってから感謝にかわってたけど。

そんな父親やったから
子供のころは話すことがほとんどなく、
戦争の話だってこれっぽっちも聞くことはなく・・・・・

ただ右腕の「大和魂」とだけ入った入れ墨は
父親の弱い心…よく言えばやさしい心・・・を隠すための
見栄や虚勢やったんやろなぁ・・・・

晩年は兄の家で半身不自由ながら孫を見ての
好々爺で人生終えたけど・・・
それでも戦争については絶対口に出さなかったなかで
ほんのちらっと、
「満州に行ってた」っていうのは耳にしたことがあった。

終戦後、ふるさとに居ずに違う土地に住み
9人もいる兄弟とも疎遠で過ごしてきた。
やっぱり、長男というしがらみは一生とれなかったんやろなぁ。

自分が大人になってから少し父親を許せた・・・

長崎原爆の日は
長崎生まれやった父親をふっと思い出す日・・・・・

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