広島に続いて長崎での被爆の日。
長崎市愛宕町出身の父親は生きてたら99歳か・・・・・
典型的な「飲まなかったらいい人」
長男に生まれたプレッシャーがあったんやろなぁ。
自分の気持ちを日々押し殺してた分、
酒がやめられず、酒に勢いをもらって発散・・・
覚めて反省・・・・・の毎日を繰り返してたんやって
それでも朝になったら早くから起きて
小さな子供だった自分たちの食事の支度をして、
仕事もちゃんと出て行ってたねぇ。
そこらへんは大人になってから感謝にかわってたけど。
そんな父親やったから
子供のころは話すことがほとんどなく、
戦争の話だってこれっぽっちも聞くことはなく・・・・・
ただ右腕の「大和魂」とだけ入った入れ墨は
父親の弱い心…よく言えばやさしい心・・・を隠すための
見栄や虚勢やったんやろなぁ・・・・
晩年は兄の家で半身不自由ながら孫を見ての
好々爺で人生終えたけど・・・
それでも戦争については絶対口に出さなかったなかで
ほんのちらっと、
「満州に行ってた」っていうのは耳にしたことがあった。
終戦後、ふるさとに居ずに違う土地に住み
9人もいる兄弟とも疎遠で過ごしてきた。
やっぱり、長男というしがらみは一生とれなかったんやろなぁ。
自分が大人になってから少し父親を許せた・・・
長崎原爆の日は
長崎生まれやった父親をふっと思い出す日・・・・・