50にして天命を知る
と、いう孔子の言葉があります。
意味としては、自分の人生が何のためにあるかを意識するということですが
わしは、いまだに自分の生きている事の意味を模索中ですw
しかしながら、「50にして49年の非を知る」という淮南子のことわざは
まさにそれなっ!と、ひしひしと感じておる次第です。
たぶん、他の誰よりも反省しなければいけない過去があると思われる。
他人に傷つけられる事を恐るばかりに、先に他人を傷つけてきたのだ。
反省の上に
これから残りの人生をどのように生きていくのか。
答えを出すにはまだ時間がかかるかもしれないが
そろそろ自分に優しく、自分を許してあげてもいいのかもしれない。
反省してばかりいても何も進まないのだ。