千歳川と石狩川の合流点より発信…

水彩画と近況 思い出

hisaoギャラリ-

2013-05-17 08:18:02 | 
 昨日の大相撲解説 北の富士氏の解説歯切れが良くて好感持てた。何時もは何か歯切れが悪い感じがしていた ! 向こう正面に武隈親方が居たからかな ? かって取り組んでいた中だからね !
 これからもよろしくお願いします。 北海道の北の富士フアンより…。







                      

hisaoギャラリ-

2013-05-16 09:08:46 | 
 大相撲 昨日の稀勢の里の相撲 なんだあれは !
 大関と言ったら角界を代表する力士の見本である立場の人のはず…だ。
時間前にも何度も仕切って居ながら待ったを何回も…この~。腰をわっていながら手をつかず、合わせようとしている様には見えない、一回の待ったも不愉快なのに大関でありながら何と言うことだ !!!!! 相撲フアンのことは考えない自分勝手な相撲取りだ…審判部は厳重に注意すべきだ、協会は待ったをする力士は何日かの出場停止の規約を作るべきだ。
 審判が注意するだけでは無くならない。 稀勢の里はこのまま姿勢で横綱になんかなったら相撲観戦はしないことにする!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。






               

hisaoギャラリ-

2013-05-15 10:57:21 | 
 この何日か 終戦後を書いてた。この辺で一時休憩して近況にすることにした。

 15年ほど所属して参りました水彩画グル-プの「彩の会」を退会することにした。水彩画はこれからも画き続けて行きますが、長い間ご指導下さった栗山巽先生有り難うございなした、そして楽しい年月を楽しく過ごさせて貰いました会員の皆様お世話になりました。 これからは、例会には出席出来ませんが何かとお世話になることがあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。




                   

コラ-ジュ廊下展  公民館

2013-04-04 10:03:30 | 
日本はそんな時代なので昭和12年支那事変が勃発すると父は戦地に召集され行き、焼夷弾による負傷で傷病兵として国内の病院に入院していたようだ。私が三才のころ母の祖父が母と私をつれて父の実家のある岩手県滝沢での煙たい五右衛門風呂に入った思い出はあるが、その後あちこち日本を旅行したらしいが記憶にはない。父に面会したことも覚えていない。(父は秋田の病院だったらしい)父が帰ってきたのは何年だったのかは分からないが、おそらく私が小学校に上がる1年ぐらい前でないかと思う。その頃の覚えていることがジ-ゼルの運転席に乗せてもらったことや高く雪の積もった軌道を除雪している風景、夏はさらさらと清らかな水の流れる小川、今の時代には見ることの無いような大人の背丈以上の太さの丸太の置かれた貯木場、その皮のむけた木の虫食いの穴から真っ白の子供の指ほどの虫が甘く美味しかったこと、皮の鞄のような役所との連絡用の携帯電話で遊んだこと、が蘇る。





                   

コラ-ジュ廊下展  公民館

2013-04-03 11:27:28 | 
そんな時代の小学校へ上がる前まで保恵と母の実家のある内路で育った。内路では使用人もいたり母の兄弟が15人いたので人は大勢いた、大人ばかり、しかし、かわいがられた。この頃遊んだ子供など全然思い出にない。太平洋の広い海、広い家、そして船から魚を木で出来た「しょいこ」で船と陸との間に渡り板を渡し陸揚げしている人々などの風景は鮮明に覚えている。この頃食べた魚の味がが後々北海道で食べて違うことを知った、おいしさが何か記憶にあるのと違う…な~と!/font>