振り返ってすみませんが、
まだまだ続きます。
お付き合い頂ける方は、
よろしくお願い致します
2日目
塩釜で2回中継をして、
いよいよ石巻へ向かいます
本塩釜駅から、
JR仙石戦で行くんですが、
途中、まだ、震災の影響で、
運休区間があります。
そこは、代行バスで
なので、バスに乗り換える
松島海岸駅での待ち時間にも
1回中継
取材しようと
駅周辺を少し歩いてみると、
この辺りも津波が来ているので、
壊れたままの家もありましたし、
仮店舗で営業再開された方のお話も
聞きました。
やっぱりここでも、
「これからが、本当の復興で大変だと思う。」
という声が聞かれました。
でも、皆さん、
ほんとイヤな顔せず、
お話聞かせて下さいます。
中継していると、バス到着
大型バス2台満席で、
バスは出発!
バスは、
1000人以上の方が亡くなっている
東松島市を通ります。
野蒜駅という駅の辺りから、
ふと、バスの中の空気が、
変わったように感じました。
静かなバスの中で、
時折、携帯カメラのシャッター音が響きます…
んっ…?と窓の外を見ると、
言葉にならない程の光景。
木は根元から折れて枯れ、
家は、ほとんどが流され、
家があるはず、
あったはずの場所に家が何もない。
そんな中、
窓も扉も壊れて、
中が丸見えの家や、
大きく傾いた家が、
広い土地にャcン…ャcンと
残っていました。
あー、津波が来るまでは、
ここにたくさんの穏やかな生活が、
あったんだろうなぁ…。
そんな事を思っていると、勝手に涙が溢れてきて、止まりませんでした。
いつもテレビの映像で見ているはずなのに…
私の隣には、
もちろん、人が座っていたし、
泣いちゃダメだと思ったけど、
不思議なくらい涙はとまらず…
他にも埋もれたままの線路、
壊れて斜めになったた踏切、
曲がったガードレール。
次々に目に飛び込んできます。
なんでこんなに涙が出るんだろう…
って、自分でも不思議なくらい
とめどなく涙が溢れました。
壊れた家の前に
小さな花が供えてある家もありましたし、
この日は、
東日本大震災から、
ちょうど一年。
喪服を着た遺族の方達が、
何も無くなってしまった家の前に、
花を供え、手を合わせている姿も見ました。
そしてバスは、
矢本駅に着き、再び電車に乗り換え
女の子なのにハンカチを持っていない私は、
鼻水ジュルジュル、
洋服の袖で涙を拭いて…
すると、バスを降りる時、
私の後ろに座ってたのかな?
男性が、
「これ使って下さい。」
と、さりげなくティッシュを下さいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/41/cc2761e473e053eea43b50527ccadab4.jpg)
惚れてまうやろ~
なんて、泣いてるのに
つい叫びたくなるくらい
さり気ない優しさでした。
ありがとうございます
そして、石巻駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/35/b5633b31165f92616104d614795e196f.jpg)
石巻駅にも津波は、
押し寄せています。
忘れないように
その記録も記されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/7d/068a27714ddcfe836c6b243cda3825c6.jpg)
そんな駅に着いてすぐ、
「次、15分後、中継出来る?」
と、ディレクター
石巻の復興商店街があるであろう場所に
急ぎました。