この記事、ものすごい長いです。
思うままに、覚えておきたいことをただひたすら書いたので。
気が向いた方だけ見ていただければ。。
ほぼ自己満足なので!
ペルシャ猫、チンチラゴールデンのさくらが我が家にやってきたのは、私が中学二年生のときでした。
初めて家にやってきた日、さくらはとても慎重で、入れられていたカゴの中でこっちにお尻を向けたまま、ちっとも顔を見せてくれませんでした。
猫に触れるのが初めてだったうえ、さくらはその時すでに二歳で、思いのほか大きい体に少しの怖さととまどいを感じたのを覚えています。
なんとかカゴから出しても、すぐにソファーの下にもぐりこんでしまい、警戒した視線をこちらに向けるさくら。
呼びかけても、全然出てきてくれません。
私は、なんとかさくらに心を許してもらおうと、好物と聞いていたチーズで気を引く作戦に出ました。
チーズにつられて、少しずつ姿を現したさくら。
ペルシャ猫という響きに、ものすごく高貴な姿を想像していたのだけれど、ソロソロと腰を落として地面を這うように歩く姿は全然高貴じゃなく、まるでタヌキみたいで、一気に私はさくらを好きになりました。
それからは、さくらになんとか私を好きになってもらおうと、チーズを少しずつちぎって廊下から私の部屋までの床に置いておびき寄せたり、猫が喜ぶポイント(額や喉のところ)を覚えて撫でてみたり、一生懸命つくしました。
ゴロゴロいってくれた時は、本当に嬉しかった!
さくらの瞳は光があたると透き通るようなグリーンで、ガラスみたいにとても綺麗だったのだけど、その半面、いつもちょっとだけ舌が出ていて、その綺麗な瞳とのアンバランスさがなんだか間抜けで大好きでした。
だって、撫でていて気持ちがいいと、ゴロゴロいいながら、段々舌も出てきちゃうし。
1人で留守番していると、ほどよい距離感で私の側にいてくれました。
ベッタリじゃなく、何気ない感じで。
いつからか、さくらは私のお姉さんのような存在になりました。
いつも私、見守られてるの。
うたた寝していて、ハッと目を覚ますとさくらがすぐ側で私を見ていたり、何か気配がするなと思うと、ドアの外からちょっと覗いていたり。
父が言うには、私が寝た後、一度私の部屋まで来て、まるでちゃんと寝てるって確認するみたいに私の姿を見てから、自分も眠りに着いていたらしい。
ある日私が1人、部屋で泣いていた時には、ベッドの上で私を目を細めて見つめて、体をすりつけながら励ましてくれたりもした。
ただ、臆病な性格は相変わらずで、人が来ると必ずソファの下に逃げ込んで出てこないし、窓から外に出てしまった時も、怖かったのか一晩中出た場所(窓の真ん前)から一歩も動けずにじっとしていたり、引っ越しをした時には、靴箱の下に何時の間にか逃げ込んでいて、姿が見えないと大騒ぎにもなった。
あの時は、いなくなってしまったかもと考えただけで悲しくて、ほとんど泣きながら、近所を探し回ったなぁ。
靴箱の下の奥の奥で見つけた時には、ほっとして力が抜けたけど、変な場所にいたから笑っちゃった。
隙間とか、狭いところが大好きで、引き出しの中や、押し入れの中、いろんなところに潜り込んでは行方不明事件が起こっていました。
あまりに静かに潜むので、気付かずに閉じ込めちゃうことも、しばしば。
だいたい缶詰めを叩いて、ご飯だよ~と言うと、どこからか気配がするから、家族みんなで耳をすまして探したものでした。
私はさくらが可愛くてたまらず、臆病で外が苦手だから、地震で家が崩れたりしたら、さくらは逃げ遅れる!と勝手に思い込み、地震があるたびにさくらをかかえて、外に飛び出すのがいつしか習慣になりました。
さくらはいつも迷惑そうだったけどね。
月日はたって、私は実家を出るという一大決心をしました。
その決断には、両親も反対でした。
たくさんケンカをして、無理矢理私は家を出ました。
家を出た後気になったのは、さくらのことでした。
さくらに会いたいなと心では思いつつ、両親とは微妙な感じになってしまっていたので、あまり会いに行くこともできませんでした。
時々帰っても、今までみたいに長い時間一緒にはいてあげられませんでした。
この頃から、さくらが怒っているような気がして、さくらとの間に今までとはちょっと違う距離感を感じるようになりました。
急にいなくなって、私を捨てた。
そんな風に、さくらは感じていたのかなと思うと、今でも胸が苦しいです。
しかも、それからしばらくして、私は新しく暮らしている場所で、新しくペットを飼うことを決めました。
それは、ロシアンブルーの子猫。
すごく可愛い子で、私はさくらよりも身近なその子に夢中になっていました。
罪悪感はあったけれど、さくらのいないさみしさを埋めてくれる大切な存在でした。
けれど、あまりにもやんちゃで、私が不在の間にケガをしたこともあり、やっぱり留守がちな私のところでは飼えないかもしれない…という結論に達しました。
飼うと決めたこと自体が、ものすごく甘い決断だったのだけど、さらに甘い判断でその子猫を実家に連れて帰ることにしました。
もちろん臆病なさくらは、大興奮。
というか、私が別の猫を連れてきたことがショックだったんだと思う。
普段の穏やかな姿からは考えられないぐらい、唸って威嚇をして、子猫のゲージに体当たり…。
ものすごく怒っていた。
結局、実家で二匹を一緒に飼うことは無理となり、ロシアンブルーは里親に譲ることになりました。
この件に関しては、いろんなことの読みが甘かったと心から反省しています。
子猫を手放すのはものすごくつらかったし、何よりこのことでさくらとの距離感は決定的になったような気がしていたから。
それからは、ときどき私が帰っても、あまり私に寄って来てくれることもなく、目が合っても、2人で留守番をしていた頃のような、何とも言えない通じあった感じはもうありませんでした、
年齢のせいもあると思うけど、ものすごく穏やかで何をしても怒らなかったのに、すぐに怒るようになりました。
これは、私にだけかもしれないけど。
きっと一連のことで、私に裏切られたと思ってるんだろうなって、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、すごく寂しかった。
その後、二年ほどして、仕事も落ち着いて来たこともあり、我が家にはハクがやってきました。
このブログを見てもらえれば分かると思うけど、本当に可愛くて、ハクと過ごすことで、いっぱい元気をもらっています。
だけど、やっぱり実家に帰るたびに、さくらのことは気になる。
今度はハクを連れて帰るようになって、さくらはやっぱり怒っていたかな。
一度対面させてみたけど、渾身の猫パンチを繰り出していたから、好きではなかったみたい(笑)
私からも、ハクの匂いがぷんぷんしてただろうしね。
それでも、私はさくらとの関係をなんとか修復したくて、夜中さくらが寝ているリビングにこっそり行って、ごめんねって謝ってみたり、なるべく優しくなでてみたり、距離を縮めるべく試行錯誤していました。
すると、少しずつあきらめたのか、ボケたのか(笑)、私に対しても少しだけ甘えてくるようなそぶりを見せてくれたり、撫でてと催促してくれるようになりました。
それでもちょっと調子に乗ると、威嚇されちゃうんだけど。
床で新聞を読んでいるときに、新聞に乗って邪魔されたときは、昔に戻ったみたいで嬉しかったな。
でも、私、やっぱり調子に乗りすぎちゃったのかな。
ハクがいることは、さくらにとってきっと落ち着かない状況だったんだよね。
母から、さくらの目がおかしいと聞いたのは、私がハクを連れて一週間ほど実家に滞在してからしばらくたったときでした。
病院に行ったところ、角膜が破れているとのことでした。
大嫌いな病院に行き、どこにそんな力があったんだ!と言うほど抵抗したさくら。
とりあえずは目薬で様子を見ることになりました。
定期的に病院に通い、だんだんと目の状態は良くなっていき、小さくなっていた目も、少しずつ元に戻り一安心。
気づけばさくらも18歳!
体にも色々ガタがくるよね、なんて家族と話してた。
またそれからしばらくたったあと、母から電話。
さくらの様子がおかしいとのこと。
急に足が動かなくなり、ものすごい声で鳴いていたそう。
おとなしくて滅多に鳴かないさくらが鳴くのは、かなり珍しいこと。
母が言うには、ものすごい声だったそう。
とにかく入院ということになり、私は会社が終わってすぐに病院に向かいました。
病院で話を聞くと、足の付け根に血栓がつまり、片足が麻痺しているということでした。
治療としては、血栓を溶かす薬を点滴で打つのだそう。
先生からは、突然亡くなることも多い病気だと言われました。
ただ、発見が早かったから、希望は持てるとも言われました。
その後、病室にさくらに会いに行きました。
さくちゃんの腕には点滴が打たれていたけれど、私と父の姿を見ると、いつもの不機嫌そうな顔で(笑)むくっと起き上がりました。
私と父はそれぞれ、さくらに頑張るんだよ!と声を掛け、その日は病院を後にしました。
その後、私は家に帰ったものの、何だか気持ちが落ちつかず、インターネットでさくらの病気、血栓について調べてみました。
出てくるページは、絶望的な内容ばかり。
何より辛かったのは、血栓は激痛を伴うと知ったことでした。
辛かったんだろうな…。今もしんどいんだろうな…。
さくらは大丈夫!と言い聞かせても、気づけば涙が溢れていました。
この時になって始めて、私はさくらが居なくなるかもしれないことを、実感として感じて怖くなりました。
距離は離れてしまったけれど、やっぱりさくらは大切な家族なんだと思い知りました。
ひたすら、さくらが回復することを願いました。
次の日も、本当は病院に行く予定でいました。
けれど、風がものすごく強い日で、次の日に行くように予定をずらしました。
お見舞いに行った父からは電話があって、今日は20分ぐらい個室で抱っこさせてもらったのだそう。
足のとこ触ったら怒ってたよ、と聞いて、なんか安心しました。
明日の夕方は行くからと伝えて、電話を切りました。
次の日、会社に出勤してしばらくたつと、携帯が鳴りました。
ものすごく胸騒ぎがしました。
あわてて出ると、胸騒ぎは的中していました。
窓から、さくらがきれいに咲いているのが見えました。
なんとか気持ちを落ちつかせようと思うけど、涙が止まりませんでした。
ひとしきり泣いて、仕事に戻りました。
その日のことは、あんまり覚えてません。
ただ気を抜くと涙が出そうで、一生懸命違うことを考えようとしていたような気がします。
さくらは、お寺で埋葬されることになりました。
けれど、仕事が終わってからでは間に合わず、さくらの姿は、そのまま見ることができませんでした。
ただ、ものすごくきれいだったと母が言っていました。
私が、ハクを連れて一週間も家に居なければ、
私が別の猫を連れて行ったりしなければ、
何より私が実家を出ていなければ。
後悔することばかり。
さくちゃん、本当にごめんね。
本当にごめん。
さくらのお陰で、私は1人の留守番もさみしくなかったのに。
それなのに、さくらを置いて行ってごめんね。
今はただ、ただ、本当にさみしい。
もう一度会いたかったな。
さくらはきっと、私に弱った姿を見られたくなかったんだと思う。
だって私のお姉さんだもんね。
お陰でさくらの元気な姿しか記憶に残ってないよ。
思い出す姿は、いつも通りのまま。
さくちゃん、18年間私のお守り、ありがとう。
絶対に忘れないよ。
思うままに、覚えておきたいことをただひたすら書いたので。
気が向いた方だけ見ていただければ。。
ほぼ自己満足なので!
ペルシャ猫、チンチラゴールデンのさくらが我が家にやってきたのは、私が中学二年生のときでした。
初めて家にやってきた日、さくらはとても慎重で、入れられていたカゴの中でこっちにお尻を向けたまま、ちっとも顔を見せてくれませんでした。
猫に触れるのが初めてだったうえ、さくらはその時すでに二歳で、思いのほか大きい体に少しの怖さととまどいを感じたのを覚えています。
なんとかカゴから出しても、すぐにソファーの下にもぐりこんでしまい、警戒した視線をこちらに向けるさくら。
呼びかけても、全然出てきてくれません。
私は、なんとかさくらに心を許してもらおうと、好物と聞いていたチーズで気を引く作戦に出ました。
チーズにつられて、少しずつ姿を現したさくら。
ペルシャ猫という響きに、ものすごく高貴な姿を想像していたのだけれど、ソロソロと腰を落として地面を這うように歩く姿は全然高貴じゃなく、まるでタヌキみたいで、一気に私はさくらを好きになりました。
それからは、さくらになんとか私を好きになってもらおうと、チーズを少しずつちぎって廊下から私の部屋までの床に置いておびき寄せたり、猫が喜ぶポイント(額や喉のところ)を覚えて撫でてみたり、一生懸命つくしました。
ゴロゴロいってくれた時は、本当に嬉しかった!
さくらの瞳は光があたると透き通るようなグリーンで、ガラスみたいにとても綺麗だったのだけど、その半面、いつもちょっとだけ舌が出ていて、その綺麗な瞳とのアンバランスさがなんだか間抜けで大好きでした。
だって、撫でていて気持ちがいいと、ゴロゴロいいながら、段々舌も出てきちゃうし。
1人で留守番していると、ほどよい距離感で私の側にいてくれました。
ベッタリじゃなく、何気ない感じで。
いつからか、さくらは私のお姉さんのような存在になりました。
いつも私、見守られてるの。
うたた寝していて、ハッと目を覚ますとさくらがすぐ側で私を見ていたり、何か気配がするなと思うと、ドアの外からちょっと覗いていたり。
父が言うには、私が寝た後、一度私の部屋まで来て、まるでちゃんと寝てるって確認するみたいに私の姿を見てから、自分も眠りに着いていたらしい。
ある日私が1人、部屋で泣いていた時には、ベッドの上で私を目を細めて見つめて、体をすりつけながら励ましてくれたりもした。
ただ、臆病な性格は相変わらずで、人が来ると必ずソファの下に逃げ込んで出てこないし、窓から外に出てしまった時も、怖かったのか一晩中出た場所(窓の真ん前)から一歩も動けずにじっとしていたり、引っ越しをした時には、靴箱の下に何時の間にか逃げ込んでいて、姿が見えないと大騒ぎにもなった。
あの時は、いなくなってしまったかもと考えただけで悲しくて、ほとんど泣きながら、近所を探し回ったなぁ。
靴箱の下の奥の奥で見つけた時には、ほっとして力が抜けたけど、変な場所にいたから笑っちゃった。
隙間とか、狭いところが大好きで、引き出しの中や、押し入れの中、いろんなところに潜り込んでは行方不明事件が起こっていました。
あまりに静かに潜むので、気付かずに閉じ込めちゃうことも、しばしば。
だいたい缶詰めを叩いて、ご飯だよ~と言うと、どこからか気配がするから、家族みんなで耳をすまして探したものでした。
私はさくらが可愛くてたまらず、臆病で外が苦手だから、地震で家が崩れたりしたら、さくらは逃げ遅れる!と勝手に思い込み、地震があるたびにさくらをかかえて、外に飛び出すのがいつしか習慣になりました。
さくらはいつも迷惑そうだったけどね。
月日はたって、私は実家を出るという一大決心をしました。
その決断には、両親も反対でした。
たくさんケンカをして、無理矢理私は家を出ました。
家を出た後気になったのは、さくらのことでした。
さくらに会いたいなと心では思いつつ、両親とは微妙な感じになってしまっていたので、あまり会いに行くこともできませんでした。
時々帰っても、今までみたいに長い時間一緒にはいてあげられませんでした。
この頃から、さくらが怒っているような気がして、さくらとの間に今までとはちょっと違う距離感を感じるようになりました。
急にいなくなって、私を捨てた。
そんな風に、さくらは感じていたのかなと思うと、今でも胸が苦しいです。
しかも、それからしばらくして、私は新しく暮らしている場所で、新しくペットを飼うことを決めました。
それは、ロシアンブルーの子猫。
すごく可愛い子で、私はさくらよりも身近なその子に夢中になっていました。
罪悪感はあったけれど、さくらのいないさみしさを埋めてくれる大切な存在でした。
けれど、あまりにもやんちゃで、私が不在の間にケガをしたこともあり、やっぱり留守がちな私のところでは飼えないかもしれない…という結論に達しました。
飼うと決めたこと自体が、ものすごく甘い決断だったのだけど、さらに甘い判断でその子猫を実家に連れて帰ることにしました。
もちろん臆病なさくらは、大興奮。
というか、私が別の猫を連れてきたことがショックだったんだと思う。
普段の穏やかな姿からは考えられないぐらい、唸って威嚇をして、子猫のゲージに体当たり…。
ものすごく怒っていた。
結局、実家で二匹を一緒に飼うことは無理となり、ロシアンブルーは里親に譲ることになりました。
この件に関しては、いろんなことの読みが甘かったと心から反省しています。
子猫を手放すのはものすごくつらかったし、何よりこのことでさくらとの距離感は決定的になったような気がしていたから。
それからは、ときどき私が帰っても、あまり私に寄って来てくれることもなく、目が合っても、2人で留守番をしていた頃のような、何とも言えない通じあった感じはもうありませんでした、
年齢のせいもあると思うけど、ものすごく穏やかで何をしても怒らなかったのに、すぐに怒るようになりました。
これは、私にだけかもしれないけど。
きっと一連のことで、私に裏切られたと思ってるんだろうなって、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、すごく寂しかった。
その後、二年ほどして、仕事も落ち着いて来たこともあり、我が家にはハクがやってきました。
このブログを見てもらえれば分かると思うけど、本当に可愛くて、ハクと過ごすことで、いっぱい元気をもらっています。
だけど、やっぱり実家に帰るたびに、さくらのことは気になる。
今度はハクを連れて帰るようになって、さくらはやっぱり怒っていたかな。
一度対面させてみたけど、渾身の猫パンチを繰り出していたから、好きではなかったみたい(笑)
私からも、ハクの匂いがぷんぷんしてただろうしね。
それでも、私はさくらとの関係をなんとか修復したくて、夜中さくらが寝ているリビングにこっそり行って、ごめんねって謝ってみたり、なるべく優しくなでてみたり、距離を縮めるべく試行錯誤していました。
すると、少しずつあきらめたのか、ボケたのか(笑)、私に対しても少しだけ甘えてくるようなそぶりを見せてくれたり、撫でてと催促してくれるようになりました。
それでもちょっと調子に乗ると、威嚇されちゃうんだけど。
床で新聞を読んでいるときに、新聞に乗って邪魔されたときは、昔に戻ったみたいで嬉しかったな。
でも、私、やっぱり調子に乗りすぎちゃったのかな。
ハクがいることは、さくらにとってきっと落ち着かない状況だったんだよね。
母から、さくらの目がおかしいと聞いたのは、私がハクを連れて一週間ほど実家に滞在してからしばらくたったときでした。
病院に行ったところ、角膜が破れているとのことでした。
大嫌いな病院に行き、どこにそんな力があったんだ!と言うほど抵抗したさくら。
とりあえずは目薬で様子を見ることになりました。
定期的に病院に通い、だんだんと目の状態は良くなっていき、小さくなっていた目も、少しずつ元に戻り一安心。
気づけばさくらも18歳!
体にも色々ガタがくるよね、なんて家族と話してた。
またそれからしばらくたったあと、母から電話。
さくらの様子がおかしいとのこと。
急に足が動かなくなり、ものすごい声で鳴いていたそう。
おとなしくて滅多に鳴かないさくらが鳴くのは、かなり珍しいこと。
母が言うには、ものすごい声だったそう。
とにかく入院ということになり、私は会社が終わってすぐに病院に向かいました。
病院で話を聞くと、足の付け根に血栓がつまり、片足が麻痺しているということでした。
治療としては、血栓を溶かす薬を点滴で打つのだそう。
先生からは、突然亡くなることも多い病気だと言われました。
ただ、発見が早かったから、希望は持てるとも言われました。
その後、病室にさくらに会いに行きました。
さくちゃんの腕には点滴が打たれていたけれど、私と父の姿を見ると、いつもの不機嫌そうな顔で(笑)むくっと起き上がりました。
私と父はそれぞれ、さくらに頑張るんだよ!と声を掛け、その日は病院を後にしました。
その後、私は家に帰ったものの、何だか気持ちが落ちつかず、インターネットでさくらの病気、血栓について調べてみました。
出てくるページは、絶望的な内容ばかり。
何より辛かったのは、血栓は激痛を伴うと知ったことでした。
辛かったんだろうな…。今もしんどいんだろうな…。
さくらは大丈夫!と言い聞かせても、気づけば涙が溢れていました。
この時になって始めて、私はさくらが居なくなるかもしれないことを、実感として感じて怖くなりました。
距離は離れてしまったけれど、やっぱりさくらは大切な家族なんだと思い知りました。
ひたすら、さくらが回復することを願いました。
次の日も、本当は病院に行く予定でいました。
けれど、風がものすごく強い日で、次の日に行くように予定をずらしました。
お見舞いに行った父からは電話があって、今日は20分ぐらい個室で抱っこさせてもらったのだそう。
足のとこ触ったら怒ってたよ、と聞いて、なんか安心しました。
明日の夕方は行くからと伝えて、電話を切りました。
次の日、会社に出勤してしばらくたつと、携帯が鳴りました。
ものすごく胸騒ぎがしました。
あわてて出ると、胸騒ぎは的中していました。
窓から、さくらがきれいに咲いているのが見えました。
なんとか気持ちを落ちつかせようと思うけど、涙が止まりませんでした。
ひとしきり泣いて、仕事に戻りました。
その日のことは、あんまり覚えてません。
ただ気を抜くと涙が出そうで、一生懸命違うことを考えようとしていたような気がします。
さくらは、お寺で埋葬されることになりました。
けれど、仕事が終わってからでは間に合わず、さくらの姿は、そのまま見ることができませんでした。
ただ、ものすごくきれいだったと母が言っていました。
私が、ハクを連れて一週間も家に居なければ、
私が別の猫を連れて行ったりしなければ、
何より私が実家を出ていなければ。
後悔することばかり。
さくちゃん、本当にごめんね。
本当にごめん。
さくらのお陰で、私は1人の留守番もさみしくなかったのに。
それなのに、さくらを置いて行ってごめんね。
今はただ、ただ、本当にさみしい。
もう一度会いたかったな。
さくらはきっと、私に弱った姿を見られたくなかったんだと思う。
だって私のお姉さんだもんね。
お陰でさくらの元気な姿しか記憶に残ってないよ。
思い出す姿は、いつも通りのまま。
さくちゃん、18年間私のお守り、ありがとう。
絶対に忘れないよ。