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人生の迷子。

さぼり癖、ではない。

2020-10-12 05:22:01 | 日記_2020
毎度お付き合いいただきましてありがとうございます。
今週もどうぞよろしく。

最近ちょっと天気の都合でぐったりしていることが多くて。
それゆえにどうしても画面と向き合うのがつらいので休んでます。
今までなんとなくやり過ごしていた痛みとかがガンガン表に出てきているような気がして、なんでじゃろか?と思っていたんですが、カイロプラクティックが主たる要因であることは明確。

ガッチガチになっていた各所の具合が徐々にほぐれてきて、滞っていたものがジャンジャン流れるようになったようで。
体は軽くなってきているけれど、同時に堰止められていたいろいろなものがジャンジャン流れてきて、今まで狭まっていた各所の回路が大解放されたがゆえに不必要に負荷がかかっている様子。
今までなら起きなかった天気痛が予想外に出ているのでまぁなかなかの頭痛頻度である。
こうなってくると画面を凝視する作業(特に画像関係)は体にこたえるし、あちこち張ってくるような作業は避けたいわけで。
そんで休みがちになる。
絶好調!っていうときにまとめ書きすることが多いのでそういう日がなければそりゃ書くこともなかなかかなわぬ、ってところでしょうか。
わかりやすく書くこともない、ってのもあるんですけど…。
昔は書きたいこと山のようにあったのに、なんかそういうものもしぼんじゃったなぁと画面にむきあったり日記書いてると思います。
なんで書くことなくなったというか、書きたいっていう感情がしぼんじゃったのか考えてみたんですけど。
単純に世界が狭まって観ている世界が小さくなって行動半径が小さくなったことが原因だな、と気づいた。
書きたい!と思ったりいろいろ考えていたときってまだまだ若くて世界に希望があったんですよね。
そのころから約20年ほど経ったら見える世界も感覚もだんだん自分のいる狭い世界に最適化されて封じてしまった感情なんかもあって頭に湧き出てくるよしなしごとが小さく小さくなって自分の奥底から聞こえてくる声もどんどん小さくなっていて。
あきらめにも似た何かなのかな、と変わらぬ景色を見て思うわけです…。

なんか、希望も何もないんですが、最近いろんなことを考えなくなったなぁと思います。
目の前にある小さいどうでもいいことなんかよりも遠くにうすぼんやり見えることに不安を感じたり希望を抱いたりしていたころが懐かしい。
今は目の前に落ちている小さなどうでもいいことに一喜一憂することもなく、ただ「うどんおいしいなぁ(にこにこ)」っていう気分で毎日を過ごしている。

…それはそれで幸せな人生だな。

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