介護の仕事をしています。
患者さんを通じて親しくなった、患者さんのお母さん。時々お昼ごはんも一緒に食べていました。
身体が少しずつ弱くなり、認知も入ってきました。御家族と一緒に暮らしていたけれど、転倒して近くの市立病院へ入院。御見舞いにも行き、元気になってくれるのを首を長くして待っていました。リハビリ目的で私の病院に入院。私の病棟にいらっしゃいました。認知はあっても私の名前は覚えていました。「貴方の名前を忘れたらおしまい」と、いつも言ってくれます。
いままで、ずっと「お母さん」と呼んでいた私には、その人の名前を呼ぶことが出来なかった。よそよそしく感じられて名前を呼ぶのが申し訳なくて。名前で呼ばなくてはいけないことは解っているけど、まだ呼べていません。
ずっとしっかりしていて綺麗で品のあるお母さんでした。髪の毛は短く切られ、介助をされるたびに「すみません、すみません」と言うお母さんをみていると、無性に悲しくなってしまいます。
普通に、介助されている姿が、なんとも可哀想でならないんです。入院していたのは息子さん。生まれて2歳で脳性まひを患いそこからお母さんは息子のために沢山の苦労をしてきました。親として当たり前のことをしてきただけ。「私はあの子に何もしてあげられていないの」と話すお母さん。優しい前向きな、いつもきちっとしていたお母さん。
後姿を見ながら、ふと、泣けてくる毎日です。
患者さんを通じて親しくなった、患者さんのお母さん。時々お昼ごはんも一緒に食べていました。
身体が少しずつ弱くなり、認知も入ってきました。御家族と一緒に暮らしていたけれど、転倒して近くの市立病院へ入院。御見舞いにも行き、元気になってくれるのを首を長くして待っていました。リハビリ目的で私の病院に入院。私の病棟にいらっしゃいました。認知はあっても私の名前は覚えていました。「貴方の名前を忘れたらおしまい」と、いつも言ってくれます。
いままで、ずっと「お母さん」と呼んでいた私には、その人の名前を呼ぶことが出来なかった。よそよそしく感じられて名前を呼ぶのが申し訳なくて。名前で呼ばなくてはいけないことは解っているけど、まだ呼べていません。
ずっとしっかりしていて綺麗で品のあるお母さんでした。髪の毛は短く切られ、介助をされるたびに「すみません、すみません」と言うお母さんをみていると、無性に悲しくなってしまいます。
普通に、介助されている姿が、なんとも可哀想でならないんです。入院していたのは息子さん。生まれて2歳で脳性まひを患いそこからお母さんは息子のために沢山の苦労をしてきました。親として当たり前のことをしてきただけ。「私はあの子に何もしてあげられていないの」と話すお母さん。優しい前向きな、いつもきちっとしていたお母さん。
後姿を見ながら、ふと、泣けてくる毎日です。