2011年3月11日金曜日に起きた巨大地震。今まで経験したことのない激しい揺れでした・・・立ってる事も歩くこともままならない、もうこのまま終わってしまうのではないかと思うくらいの恐怖でした。
パパはシッターで留守、私と高野さんはちょうどホテルのワンコのお散歩の時間で、最後に九龍くんと嵐くんの散歩に行く途中でした。なんか、揺れてる・・・と思ったらいきなり激しい横揺れに・・少し止んだと思ったらもっと強い揺れが・・・家にはホテルのワンコとむっちゅがいたので、とにかく家に戻らなければと必死で帰ろうとしたけど、揺れが激し過ぎて、前に進めない。田んぼ道だったので田んぼの水がバチャバチャと揺れ帰る道路には亀裂が入って今にも裂けるんじゃないかというくらい左右に揺れていました。
やっとの思いで家にたどり着くと、庭の植木が散乱し家に入ると玄関の棚からも落下物が・・・急いで2階のむっちゅの所に行くと、ごちゃごちゃで水もひっくり返って水浸しに・・・リボンはケージの中にいたのですが、シェリーとバービーは物がひっくり返る中ベットの中で私たちが行っても動けずに固まっていました。
むっちゅはとりあえず、車に避難させ、ホテルを見に行きました。ホテルティッシュの箱が一つ床に落ちていただけで、ほぼ何事も無かったかのようでした・・・・三太郎くんたちアルトはケージに入っていたので、かえって良かったと思いました。
地震直後はまだ電話が通じたので、岩手の実家の母とは話す事ができ、安心しました。その後は電話も不通で水道電気が使えなくなりました・・・・・
その夜は叔父と叔母も、家に来て物置の奥深く眠っていたストーブを出し、明りには結婚式の時に記念品であった長く大きなロウソクもあったので、それを付けてむっちゅも一緒に一階の部屋で雑魚寝しました。でも何度も起きる大きな余震のたびにバービーもぶるぶる震え、私達も眠れない夜を過ごしました。あんなに早く朝になって欲しいと思ったことはなかったかもしれません。
次の日は三本木町の方の工場で働いていた弟も来ました。工場は復帰までどれだけかかるかわからないそうです・・・・
しかし人出が増えて心強くなりました。男達は駐車場で火をおこし、そこで鍋でご飯を炊いたり調理もできました。
ホテルにお泊りしていた、三太郎くん九龍くん、嵐くんも共に地震を体験し、暗く寒いなか余震で怖かったろうに、みんな元気で乗り越えてくれました。
うちの辺りは、地震から3日目に水道も出て、4日目には電気も来ました。電気がついてテレビを見て初めて恐ろしい光景を目にしました。私には気仙沼に叔母家族、大船渡に従姉妹家族、釜石に以前お店を手伝ってくれてた佐藤くん家族が住んでいます。無事かどうか何も情報がなく、心配で仕方がありませんでした。
仙台に住む叔父は仕事で女川に行っていたそうです。でも少し高台の方にいたので津波の恐怖を体験しながらも、次の日に無事に帰って来たようです。
気仙沼の叔母家族も無事で、従姉妹も佐藤くんからも昨夜ようやく電話があり、みんな無事だと知らされました。本当に良かった。
お客様の中にも避難所生活をしたり、家がめちゃくちゃになった方もいました。ただ皆さんご無事ということでした。
未だに燃料、食料が不十分で、避難所生活をして寒い中にいる方もいっぱいいます。でも、先が見えないわけじゃないです。少しずつ流通も動いて来たようです。みなさん、頑張りましょう!