[ここでの話]
いくらでも幸せになるには、"事実最大"と言う話になります。
[事実最大とは?]
自分にやってきたものの事実が最大と言う事です。
たとえば、自分に今後の何気ない不安があったとします。仕事を続けようかとか、結婚できるのかや、貯金しなきゃとか。
そう言った不安を度外視(どがいし)して、自分にやってきた事実を見てそれは最大だと捉えます。
これらを簡潔に事実最大にすると、「仕事を続けようか」は「元気で働ける幸せ」。
「結婚できるのか」は「素敵な人が現れるのが楽しみ」、「貯金しなきゃ」は「借金もないし、これから貯めれば良い話だ、問題ではない」と、不安より事実を見て、それが最大だと捉えます。
事実を最大として捉えると、いくらでも幸せになると言う事です。
[試練は幸せと思えなくていい]
ただ、事実を最大にするのは、試練と困難はやらなくていいです。
試練や困難は、辛いものだからです。誰も味わいたくないものだからです。
だから、試練や困難の場合は事実を最大と捉えなくていいです。
[事実最大と偽(にせ)最大]
事実最大とは、自分にやってきた事実を最大と捉えると言うものでした。
その逆があり、いくらでも不幸になれる"偽最大"と言うものがあります。
偽最大とは、明日お金を盗まれたらどうしよう、誰かから嫌われないか心配、雷が自分に落ちたらどうしようとか、事実ではない偽を最大にしているものです。
それをすると、不幸になれます。
しかし、その偽最大を上手く使えば、いくらでも幸せになれます。
例えば、「明日お金盗まれたらどうしよう」と言う偽最大を、事実最大にして「後3日仕事に行けば給料日だ、ご褒美にスイーツ買おう楽しみ」と捉えます。
いくらでも幸せになれると思いませんか?!
他には、「誰かから嫌われないか心配」の偽最大を、事実最大にしてみると「友達も数人いるし、家族もいるし、職場でも仲良くしてくれる人がいる、自分に今いる人達を大事にしよう」と捉えます。
その他には、「雷が自分に落ちたらどうしよう」と言う偽最大から、事実最大にすると「電柱にひかれてる電線にそって歩けばいい話、今日も無事に過ごせた幸せ」と捉えます。
そうやって、事実の最大と、偽の最大を上手く使えば、いくらでも幸せになると言う話になります。
[まとめ]
いくらでも幸せになるには、"事実最大"と言う話になります。
自分にやってきたものの事実を最大にして、いくらでも幸せになると言うものです。
その時の秘訣が、"偽最大"と"事実最大"を上手く使います。
自分にやってきたものに対して実際には起きてない不安などの偽を最大したものを、自分の事実を最大したものへ捉えると言うものです。
そうすると、いくらでも幸せになれます。