ハリねずみの備忘録

備忘録として書きます。
メーガンのような人物に息子をさらわれた家族の記録。
なお現在進行形ではありません。

不穏な噂

2021-05-09 17:27:02 | 日記

 

 

 音信不通・・・20xx年9月

 9月に5日間の大型連休があった。音信不通となる。休み明けに友人の電話番号を教えてもらった。

 

 不穏な噂

20xx年の冬のことだったと思う。

主人が仕事上の会合出席時、当該地区の会長に呼び止められた。そこで耳打ちされた内容は意外なものだった。

「おいおいW(主人)さん、大丈夫か?お宅のお兄ちゃん(T彦)、『大学ですごいのに囲われてる』って話だよ。早く何とかしたほうがいいんじゃないの?このままじゃまずいよ。」

 主人は神妙な面持ちで私にその話を持ち帰った。『囲われている』とは穏やかではない。『すごい…』って一体どういう意味なのだろう。義母の話に時折り登場する名も知らぬ『先輩』のことが、私達の脳裏にそれぞれ浮かんだ。

主人が会長から『噂話』を持ち帰ったのを皮切りに、『息子を囲っている女性』の件で複数のルートから情報が寄せられるようになった。共通していたのはその人物像が詳細には語られなかったことだ。その女性に近い筋からの情報であったことから身元を警戒してのことである。しかし、「とにかく『まずい』から、早く何とかしたほうがいい」ということだけは異口同音に繰り返し忠告された。それによりその女性の『行動』は、周囲からは嫌悪感をもって観察されているということを、私達夫婦は嫌でも感じ取ったのだった。  


招かざる客

2021-05-09 16:58:48 | 日記

 

招かざる客・・・20xx年

 しばらく月日が経った頃、義母がため息交じりにこう言った。  

「『広くて、会合には使い易いお宅だからまた部員のみんなで寄らせて頂きます。』と言って帰って行ったのに、あれから部の人たちは誰も来ないわ…どうしたんだろう?でもね、『奇妙な』ことにあの女の人だけは『しょっちゅう』来るわ!まったく何のために来るんだろうねっ。」

 

 

2階侵入未遂事件

ある時義母が非常に憤慨して私に電話をかけてきた。「あの人には本当に頭が痛い!」という。後で分かったことだが、あの人とは先輩(M子)のことであった。

 T彦のテスト期間中のとある休日の早朝、彼女は突如としてやって来た。玄関の引き戸を勢いよく開け放つと、「T彦君に何かあったんですか~?大丈夫ですか~?」と、大声を張り上げながら三和土まで勝手に入り込んで来たのだという。

「T彦君、どうしたんですか~?何かあったんじゃありませんか~?」と、興奮して大声で捲くし立てるその先輩に、義母は閉口気味に答えたという。

 義母「T彦が一体どうしたっていうんです?」

 先輩(M子)「T彦君と連絡がつかないんです。T彦君がケータイに出てくれないんです。どうしたんですか?何か事件にでも巻き込まれたのではありませんか?」

義母は、一人で何やら派手に大騒ぎをしているその人を『怪訝』に思ったという。全てにおいてとにかく大袈裟

で芝居染みていたからだ。

義母「T彦だったら、2階の自室にいますよ。朝方まで試験勉強をしていたらしくまだ眠っています。ですからご心配には及びません。」

 先輩「では念のため、ちょっと様子を見せてもらいます!」 

 義母「いやいや、ちょっと待ってください。それは止めてください。まだそれほど寝ていないはずだから、かまわないでやって下さい!」

そんなやりとりが暫く続いたという。そしてその先輩は信じられないような強引さで義母と揉み合い、玄関脇の階段から勝手に2階へ上がろうとしたのだ、という。

 

すったもんだの末義母は、興奮して手強い彼女をなだめすかし「まあそう焦らずにちょっとお茶でもいかがですか?どうぞ茶の間にお上がり下さい…。」と、難を逃れるために家に上げ話し相手をした。体力差がある以上仕方がないという判断からだ。昼近くになりT彦が2階から降りて来るまでそれは続き、その後T彦が着替えるとそのまま二人で外出して行ったのだという。

義母はその後姿を見送りながら、「休日くらい、もっとゆっくりと寝かせてやりたかった。寝たばかりの人間を待ち構えていて連れ出すなんて…あれじゃT彦の疲れが取れないよ。おまけにテスト期間中だっていうのに、全く『非常識』な…。」と苦々しく思ったという。

それと同時に、「先輩か何か知らないが、日曜の朝から他人の家に押しかけてきて、大騒ぎの挙句勝手に2階に上がろうとするなんて、一体全体どういう了見なんだろうねっ!正気の沙汰ではないのよ!何をしでかすかと心配でトイレにも行けなかった。そもそもあの人だって自分のテスト勉強があるだろうに。」と怒り心頭であった。

「せっかくの日曜日、朝から疲労困憊…もう金輪際こんなのはごめんだよっ。」とも、言っていた。

私は相槌を打つより他なかった。

 


架空の部会

2021-05-08 22:45:00 | 日記

留年と退学・・・20xx年

 3月、進級できなかったT彦は自宅に帰省し退学希望を申し出た。もう一年やってみてどうしても嫌なら退学もやむなしということになった。部活に関しては、悪ふざけが過ぎ出入り禁止になっている居酒屋も複数あり、居心地が悪く馴染めないと話していた。

部活の会合は、義母宅で・・・20xx年 

  20xx年のある休日、私達夫婦は義母宅を訪ねた。

その前年の4月に夫を亡くした義母(T彦の祖母)はT彦の大学のある町で一人暮らしを始めていた。その後大学を留年したT彦が私達の知らぬ間にその家に居候として転がり込んでいたのだ。

夫を亡くして寂しかった義母は、『大人になったT彦』を喜んで迎え入れた。その様子伺いに行った際のことである。義母の口からT彦の交友関係が話題に上った。

T彦が6~7人ほどお客を連れて来たというのである。『大学の部活動の会合』を開くための会場として選ばれたからだ、という。義母はたいそうご満悦だった。そして彼らを食事にまで連れて行った、と言うのだった。義母によれば.彼らは皆、T彦の先輩とのことで、和やかに雑談をしていたようだ。

その話の中に、時折り登場する一人の先輩がいた。紅一点であったその人は部活の話などせず、盛んに義母宅のいけ花・掛け軸などの調度品やセンスを褒めちぎっていたのだという。そして最後には『K子おばあちゃんへ』と、義母への宛名付きの置手紙をしていったという。

その『ファーストネーム』の宛名に何か引っ掛かるものがあり、『不自然』なことをする人だ、という印象が残った。これがT彦の入籍相手M子の情報に触れた最初である。

義母の話を聴くうちに部活の会合という名目の集まりにしてはその内容の不自然さも気になった。どうしても会合と主張するならば、なぜ彼らだけで話し合いのできる独立性の高い玄関脇の広い応接室を選択しなかったのか。義母が日常生活を営んでいる空間で、相談事や報告など活発な遣り取りが可能とは到底思えない。その部屋には仏壇もあり個人情報も満載なのだ。事実、義母が完全にその会合のメンバーの中に紛れ、取り込まれてしまっていた。

またこの日の会合の事は、部活の会報誌に『記録がない』ことが後に判明した。内輪のお楽しみ会や、バーベキューのことですら詳細に記録が残されているというのに、奇妙なことである。

これには理由がある。言わば先輩(M子)が、T彦の住まいに入り込むきっかけ作りをしたいがために自身の立場を私的に悪用したものだからだ。後輩の学生部員達を休日にもかかわらず総動員してカムフラージュした『架空の会合』であったのだ。先輩=M子発案によるM子主催のM子のための『部活の会合を装った偵察』と断言しても構わないだろう。(のちに、事実としてT彦も認めた)

ちなみにこの大学は昔も今も上下関係が厳しく、先輩に異を唱えることなど『絶対にできない』のだ、とされている。仮にあったとしても、それは異例中の異例なのだという。付き合わされた学生も気の毒である。

主人と私が件の先輩(M子)と面識を持つのは、これよりx年後の5月まで待たなければならなかった。

 


彼女ができた‼・・・

2021-05-07 14:02:12 | 日記

 彼女ができた‼・・・

T彦に彼女ができた、と知ったのは20xx年8月だった。恒例の家族旅行先でのことだ。私は今でも鮮明に覚えている。

「大学に入ってから4ヵ月ほど経ったけど、どう?彼女はできた?」と、私が何の気なしに尋ねてみたところ予想外の返事が返ってきたからだ。「4歳年上の大学の先輩」だという。

年齢差には正直なところかなり驚いた。それでも私は嬉しかった。T彦は優しい顔立ちで穏やかな語り口だから、それできっと年上の先輩の方からお声が掛ったのだろう、と思ったのだ。T彦の話しぶりから、そう私は認識した。

名前も出身地もとくに詮索しなかった。順調に大人の階段を上っていることを確認できたから、それだけで十分だったのだ。人並みにガールフレンドと語り合い、先輩・後輩と、そして諸先生方からも大いに学び、多様な価値観を持たせたかった。幸せな人生の足掛かりとするためにも。

家族旅行に行かない理由・・・20xx年8月

 20xx年8月、恒例の家族旅行先を北海道に決めた。ところがT彦は『部活の大会』を理由に断って来た。主人は残念がっていた。これを切っ掛けにして翌年以降も不参加が常態化していくことになる。

 この年の大会は、X県にある大学が主管であったことが最近判明した。そこで団体出場の後打ち上げをし、更には地元の観光地に行った、と会報誌にも記録されている。M子の実家はX県にある。この時M子はT彦を実家に連れて行ったのではないだろうか。

T彦は誕生日を迎え二十歳になっていた。