駿府96の町の旧町名を記した町名碑のご紹介
その3回目です
町名碑は
96すべてあるわけではないようです
西寺町大鋸町
にしてらまち、おおがまち
家康が区画整理をした後
このあたりは製材を営む人たちが住むようになりました
西寺町を含めた区域が今の大鋸町なのだそうです


新通1~7丁目
しんとうり
家康が駿府の区画整理をしたときに
新しく造られた道です
幅約五間(約9メートル)の
新しい東海道が作られました
その通りを新通りと呼び町名になりました


寺 町
てらまち
家康の区画整理の時に
駿府周辺の寺をこの地に移転させ集めました
かつては13の寺院があったそうです
今は2軒を残すのみとなりました


碑は常盤公園の植え込みの中にありました
藤右衛門町
とうえもんちょう
藤右衛門という人が住んでいたのでこの名前があるそうです
昭和15年(1940)の大火の後
町名が無くなったそうです


常慶町
じょうけいちょう
家康の家臣 松下常慶の屋敷があったことから
駿府城の城内にも彼の名を冠した蔵や門があったそうです


あと数基の陽があるようです
また機会があったら探してみようと思います
今は新しい町名碑も増えていないようで九十三ヶ町にはまだまだ少ないようです。
現在は29ヶ所位ですね、今年度もあと2ヶ月年度末までには1ヶ所位は増えるかもね?
ずいぶん古いのから新しいのまでいろいろありますよね。
全部の町名碑を作るんでしょうかね?