
室町時代後半、日本各地で大名の勢力争いが激化していました。
政知は関東を支配するために派遣されたのですが、戦乱のため、鎌倉まで行くことができず、韮山の地に居を構えました。
政知は北条政子の父、時政の館を改築して利用したようです。
政知は堀越公方と呼ばれていましたので、館は堀越御所と呼ばれました。
この御所も息子茶々丸の時、北条早雲によって滅ぼされてしまいました。
この御所跡は国指定の史跡になっていますが、
現在は草地が広がっているだけです。

御所の庭園にあった池のほとりにあった亀石です。

この御所跡のすぐ近くに北条政子の産湯の井戸が残っています。
北条政子は保元2年(1157)に伊豆の豪族、北条時政の長女として生まれました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室となり、後、政治の実権を握り「尼将軍」と呼ばれました。


井戸はまだ水を湛えています。

その昔は歴史の表舞台になった処ッ♪
大きな亀石が歴史を物語ってますねェ
テン
鎌倉時代は、戦国時代よりずっと古い時代ですものね。
私も詳しくはわかりません。
亀石、本当ですね。
人は去って、建物は消え、石だけが残る・・・
諸行無常ですねぇ・・・・
石一つがそれを語っていますね。