今日は京都山科の毘沙門堂の花祭りに参加してきた。快晴の空のもと、盛んに咲き誇る満開の風景は見事としか言いようがない。和服姿で接待に現れる若き女性も一際雰囲気を漂わせてくれる。そんな環境と一体の機会は言いようのないひと時であった。Shoichi
京都先斗町(ぽんとちょう)にご登場のニャンコさんです。
まだ、朝方の時間なのに花街を散策のご様子。
公園の植木に身を寄せながら、こちらの仕草を確かめている。
逃げるでもなし、強請るご様子も見られない。
それどころか、どこかに歓迎ムードも。
さすが京都花街の育ちの姿勢が見えてくる。
近年、コロナもあり、
とんと通わなくなった京都の花街へ
今朝はお散歩の時間となりました。章一
変化して初めて価値を持つとは、やはり見る目に確信があるのか。
伐採された樹木の切株でも、人の目を捉えることがあるとは。
特段の意味はなくても、人の目を豊かに楽しませる機能、
たとえ自然の成り行きであっても、迎え入れる力になるなら嬉しくなる。
人にとって悲惨な戦争などとは真逆の輝きがあると思うが、あんた誰?。
Sho1
京都山科での公開行事、毎週1 回の公園体操の様子である。ちびっ子のイラストは、本来、飛び出し注意!を伝えるアイテムだが、ここでは飛び入りもメッセンジャ。元気のいいという意味では趣旨に合っているかな。章一
京都市の三条大橋のたもとで、御所に向かって鎮座奉拝する高山彦九郎像。どこか姿勢に、激しい息づかいを感じる。様々な時代の変化、足跡を伝えるモニュメントのひとつである。京都には、時代の足跡を伝える碑が街中に保持され、観光にも供されているだが、このように時代劇のカットのような像は希少である。
橋を渡った西の袂には、弥次さん喜多さんの愉快な像もある。
子ども頃から:章ちゃん