これから連載する作品は、脳梗塞入院中の平成22年に書いた物です。
これが、本当の処女作です。
ある理由で出版出来ませんでした。
読んで頂ければ、出版出来ない理由がわかります。
タイトル 「俺が死んだら小文字山に埋めてくれ。ずっと小倉を見ていたい」
近所の子供達が遊ぶ原っぱ。秋の夕暮れは早かった。
赤とんぼが飛び去り風を冷たく感じたら、あっという間に日が沈み夕闇に包まれた。
金木犀の香りと混じってどこかの家の晩飯の匂いも漂って来る。
あ、秋刀魚だ。美味そうだな。また食べたいな。
家族みんなで食べた事を思い出したら、太郎もお腹が空いてきた。
家の人が呼びに来て友達が一人、また一人と帰って行った。
翔太、早く帰って来なさい。太郎君とは遊んじゃだめ。
翔太のお母さんの声が遠くで聞こえた。
もう原っぱには太郎一人だけになった。
いつもの事だった。太郎はいつも最後まで原っぱに残った。
友達の忘れ物がないか確認して戸締りをするように原っぱを見届けると一人で帰った。
太郎に迎えは来なかった。
遊んじゃダ!の一言がいつまでも頭の中で木霊した。
何度も聴かされた言葉だから。
秋風は遠い記憶も運んで来た。
「太郎君と遊ばないの」は、もうずっと前から。
特に幼稚園の頃は、
太郎と一緒にいると、その子の母親が、
まるでわが子を太郎から守るように覆いかぶさり
「太郎ちゃんと遊ばないのよ」と言った。
僕はばい菌じゃないのに。と、友達の親からの仕打ちは悲しかった。
生涯忘れられない記憶は、友達の家に遊びに行った特、
「太郎ちゃんは玄関から家に上がらないで!」
と突然きつい口調で言われたことだった。
小学校でも同じだった。
新しく友達が出来たと思ったら、その子の母が子供に諭した。
「太郎君と遊ばないのよ」
しかし友達は太郎と遊ばなくはならなかった。
不思議と太郎の周りには友達で溢れていた。
どうして僕と遊んじゃだめなんだろう?
どうしてお母さんは迎えにきてくれないんだろう? 僕も迎えに来て欲しいな。
1人で家路を急ぐ時、考えた。太郎にはなんとなく答えは分かっていた。
答えがわかってもそれを解決する事は出来ないことだ。
という事も太郎は、わかっていた。
大人の世界の事だとあきらめていた。
だからこそ友達のお母さんという大人から言われた言葉に傷ついた。
答えをおかあさんに尋ねたら、困らせてしまいそうなのが怖かったのでいつも曖昧にしていた。
彼はお父さんとお母さんが大好きで尊敬していたし、他の大人も同じように尊敬していた。
大人には色々あるんだ。大変なんだ。迷惑をかけないでおこう。
子供らしくない理解の良さがよけいに彼を苦しめた。
いかがでしたか?
以下は、次回に続きます。
忌憚のないご意見をお待ちしています。
速見 陸 敬白