いよいよ内部へ突入です!
【内部状況】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
一番手前にあるのが「番所(ばんどころ)」でその隣が「南殿(なんでん)」です。
「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。
いずれも塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていない。
現在はいずれも資料展示スペースとして利用されている。
「南殿(なんでん)」は別名「南風御殿(はえのうどぅん)」とも呼ばれていた。創建は1621~27年といわれているが、発掘調査ではそれ以前の基壇(きだん)らしきものも発見されている。
建物は二階建で、地形を利用して裏側にある「書院・鎖之間(さすのま)」等に通じていた。
なお、番所の展示室中央に飾られている中国風の傘は、琉球では「御涼傘(うりゃんさん)」といい、もとは日傘から発生したものだが、実際は国王や高貴な人が行幸するときの装飾用として使われた。
オイラ的に一番印象に残ったのは琉球畳じゃなく畳縁のある我々にも馴染み深い畳だった事かなぁ~
畳だけでなく内部の状況は和室って感じだったのがイメージと違っていましたかねっ・・・
まぁ~コチラの建物は朱色に塗られてないので建物自体が純和風建築を目指していたのかも知れませんが・・・
この続きはまた明日!
【内部状況】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
一番手前にあるのが「番所(ばんどころ)」でその隣が「南殿(なんでん)」です。
「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。
いずれも塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていない。
現在はいずれも資料展示スペースとして利用されている。
「南殿(なんでん)」は別名「南風御殿(はえのうどぅん)」とも呼ばれていた。創建は1621~27年といわれているが、発掘調査ではそれ以前の基壇(きだん)らしきものも発見されている。
建物は二階建で、地形を利用して裏側にある「書院・鎖之間(さすのま)」等に通じていた。
なお、番所の展示室中央に飾られている中国風の傘は、琉球では「御涼傘(うりゃんさん)」といい、もとは日傘から発生したものだが、実際は国王や高貴な人が行幸するときの装飾用として使われた。
オイラ的に一番印象に残ったのは琉球畳じゃなく畳縁のある我々にも馴染み深い畳だった事かなぁ~
畳だけでなく内部の状況は和室って感じだったのがイメージと違っていましたかねっ・・・
まぁ~コチラの建物は朱色に塗られてないので建物自体が純和風建築を目指していたのかも知れませんが・・・
この続きはまた明日!