おらの人生 空回り。 骨折り損…ですわ

何があるかわからんから・・

阪神淡路震災のとき、こういう話があった。
一つは、消防車の購入。震災前消防車を購入しようと市が予算化したが、議会で否認されたそうだ。そんな金があるなら福祉に回せ・・・って判断だったらしい。これは元市役所職員に聞いた話だが、真意は定かでない。
たらればだが、消防車を買っていたら…いくつかの命が助かったかもしれない・・・備えあれば・・・。

一つは、芦屋マダム。芦屋あたりの金持ちたちが避難所に・・・毛皮を着たマダムたちがわがまま言いたい放題。やれ
弁当が冷たいだの、今日も同じ弁当か?なの、部屋が寒いだの・・・。市役所から派遣されて対応にあたっていた職員は心の中でてめぇら金持ちは自力でホテル確保して移れ! と思ったそうで、その後大阪のホテルあたりへ行ったとか・・・
金持ちのくそみてぇな奴らだ! お前らが避難所を運営してみろってんだ!

一つは、文句ばかり言う輩 市役所や避難所でわがまま言い放題で暴言を吐く連中のなんて多いことか・・・。
姉も義兄もそれを受けてきた。市役所職員の中にも家が倒壊した、マンションが崩れかかっていても家に戻れない。親の葬式も人任せで自分は窓口や避難所で市民のために働いているとか・・・公僕だからってことで簡単に片づけないでほしい。かれらも同じ被災者だってことを考えあげてほしい。
姉の部下の新婚さんが新居のマンションが倒壊しかかったが、家にいけず、新妻に幸い実家がちかくて被災状況も最少だったので、そこへ行けと言って、数週間市役所に寝泊まりして、マンションにいったら、火事場泥棒にやられ、金目のものは一切なかったとか・・・
少し落ち着いてきたころ、ある窓口でがみがみ言っていたおばさんが、対応してくれている職員に、にーちゃん家に帰えってる?・・・いや・・・どれくらい帰ってない? 一月ほど・・・・おばさんは、泣きながら、にーちゃんごめんな。にーちゃんも被災者やもんな。
その頃、役所は公務員はとかいう不満のはけ口になっていた役所への攻撃は薄らいで、復興に向け光を希望を求める風潮になっていったと思う。

一つは、友人の消防職員と元自衛隊隊員の話。消防職員は県都の消防勤務だが、震災派遣で現地に行ったそう。悲惨な現場を見てきたんだが、ショックを受けたとのこと。さらに、我々消防職員は、自給自足原則で現場に行くけども、三泊が限度。その後勤務地に戻らなくてはいけない。ところが、自衛隊はいつまでもいれる。その違いは補給の違いだと。自衛隊は、野戦対応なのでいつまでも前線に配備できるように補給ラインがしっかりしているし、基本野宿は当たり前。自給自足も当たり前。ところが、消防職員は、補給もそうだが野宿訓練などしないし、自給自足しない。そこが自衛隊と大きな違いだし、食料だけではなく、装備や燃料などの補給もない。それじゃ、長期滞在は無理。消防職員は自衛隊にはかなわん!と一言。
こんどは、元自衛隊員。三宮に派遣され、神戸市役所前で簡易風呂の設営等にあたっていた、陸上自衛隊伊丹駐屯地36普通科連隊だったはずだが、そこに所属していた女子隊員・・・その後仕事の関係でとある場所で一緒に働いたんだが、1月17日震災の話の時に災害派遣の時の裏話をそこそこ聞いた。野戦での活動を主たる任務としている陸上自衛隊の強さを改めて聞いて感謝の気持ちしかなかった。神戸に関わった大勢の隊員に、あの震災の時に神戸に住んでいた親族に代わって感謝したい。
ただ、勘違いしてはいけないので自衛隊員は国を国民を守るための存在であって、けっして災害時に派遣されるための組織ではない!ということですな。

震災のたびに思い出す話でした。
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