伊吹博

見た!感じた、思った!

遂に入院だ、

2021-01-21 13:00:00 | 日記
病室へ案内され此処が私の居所となるのかと思うとため息が出てくる あーあー入院か! 出された服に着替えベットに横たわりいくつか説明を受けるが言葉が頭に入ってこない、何気なく外を見ると車が走っているが音は聞こえて来ない、やっぱり私は間違いなく病室にいる。  看護師から起こされる、どれくらい寝ていたんだろうと思うが分からない、やがてドクターが来て詳しく症状の説明をした後に今後の治療処置の同意書にサインを求められた、その処置とは、症状が重い為に左横腹の肋骨の間から13mmほどの管を入れ胸腔(肺壁と肺の間)に溜まった水を徐々に抜く胸腔ドレナージと言う治療で入院日数は最低でもニ週間掛かるとの事であつた。

病院へ行くが即入院となる。

2021-01-20 14:43:00 | 日記
重い足取りで診察室の扉を開きドクターにこの1週間程の症状を伝えると、分かりました直ぐ胸部のレントゲンを撮りますので放射線科へ行って下さい終わりましたら待合室でお待ちください、撮影を終え程よくして受付に呼ばれ診察室に入る、ドクターから新型コロナでは有りません安心してください、でも貴方の左肺が潰れています、その原因は肺嚢と言う肺を包んでいる袋と肺の間に水が溜まり肺を圧迫している為に息苦しくなっています、このままでは危険な状態になってしまいますので入院して頂きます。 分かりましたでは一旦家に戻り入院準備をしてきますのでと伝えると、いやいや今すぐ入院して頂きます、入院に必要な物は家族の方に持って来て頂ければいいですのでと言葉を差遮られ、看護師に5階の病室に案内されてしまった。

遂にコロナに?

2021-01-19 15:35:00 | 日記
2020年3月末頃、咳込み熱もあったので近くの医院に行ったら新型コロナ騒ぎで待合室はガランとしている、受付で症状を伝えると受付の方の顔が一瞬で変わった。待合室じゃ無くて車の中で待機してしくださいと言われ外に出るが周りの看護師等の動きが何処と無く焦っているように感じる。暫くして迎え入れてくれるが間隔を保って入って下さいとの指示、ドクターに症状を説明するや否やレントゲン室で胸部レントゲン撮影をする、 結果は胸部が! 直ぐ紹介状を書きますので総合病院へ家族の方と行って受診を必ずして下さいとの事。

巷は新型コロナ禍、 あーあー、遂にコロナに掛かってしまったか?


糸島 雷山へ大楓を観てきました。

2019-11-20 21:27:00 | 日記






先の日曜日に雷山へと車で向かいましたが、さああの交差点を右折をしていくぞと思った途端、交通整理員の方から此処からは三時間待ちくらいでしょうと声をあげていました、ナビを見ると後3キロと表示がある、思わずため息が出た、早く見て三時間か悪くて四時間か?今日は断念して伊都菜彩で買い物をして帰った。あの日から二日後の火曜日今日は平日だからあそこまで混まない事を念じながら車を走らせる、すんなりと寺の駐車場に停め門をくぐればやっぱり名勝地だけあって人が多い、11面千手観音前に鎮座して読経を聴きお参りして来ました。  大楓は見事に色付いていましたが散り始めていました。


走り始めてどうにか1年7ヶ月経ちました。

2019-11-10 09:45:00 | 日記
公園でランニングしている姿を見て、70歳の自分はどれだけ走れるのかとふと思い走り始めたが、いざ走って見るとほんの数メーター走ったかと思えば息はキレてしまう。走っては歩き 歩いては走るの繰り返しが一月は続いたのかなぁ、その後は走れる距離が少しずつ伸ばし半年が過ぎた頃、福岡筑後川マラソン5キロに挑戦したら全体で37位60歳部門では7位の結果が出た。それから1年経ったのがこの成績です。   思い起こすと あれは1941年だつたかなぁ!長崎北高校で憧れの人円谷幸吉選手の講演と実走会に参加した、それは勿論17歳の私ですよ、マラソンをいつかは走りろうと高校陸上部ランナーでした、いざ伴走してみると速い速い まるで機械仕掛けのように脚が前に出る。
それから数年して円谷幸吉の自死を知った。
今、私は走り始めたがあの当時のタイムで走れないのは分かっているが、どれくらい近づけるか挑戦しています。