雨の記号(rain symbol)

嘆きのノヴェリスト

 仲間で恒例の飲み会をやった。この正月に亡くなった飲み仲間の追悼もかねた集まりである。
 集合時刻は六時半の予定だったがみなが揃うのは七時過ぎになってしまった。みんな多様の用向きを抱える年齢だからである。
 それから宴会を始めた。ふぐのコースに舌鼓を打ちながら、ひれ酒を飲んだ。
 最初はOさんの思い出話から始まった。みなで最後に飲んだのは彼の他界する四ヶ月ほど前だが、あの時、彼はゴルフの話題にまるで乗ってこなかった、という話をM君が始めた。
「そうだったかな?」
 僕は訊ねた。その時の彼の記憶はすっかり薄れている。いつも通りにしか見ていなかったからだろう。しかしM君は医者である。僕らよりもっと深く彼を観察していたのだろう。
「そうだよ。あの時の彼はゴルフに誘ってもちっともいい顔しなかったんだ。そういうことは今までなかった。ラウンドする自信がなかったんだろう。体力はすでに限界にきていたんだな。あの時はもう、きっと、立って歩くのも辛かったに違いないよ」
 そこまで聞いて、あっ、と思った。あの日の帰り、ゴルフ場の招待券みたいなものの束をM君に渡していたのを思い出したからである。自分が使うことはない、と思って渡していたのかもしれなかった。
 そうだったのか、と納得を覚えた。あの時すでに彼の命の灯は切れかかっていたのだ。にもかかわらず、彼は気丈を装っていた。酒も僕らのペースに合わせて飲んだ。彼にすれば、今生の情念をこめて飲んでいた酒だったかもしれない。
 けれども、彼を含め身近の場所から他界していった仲間らの話は、最初の三十分ほどで切りあがってしまった。あとは病気全般の話になり、野球の王監督や長島監督など、手術などして生き延びている人たちの話になった。そのうち、自分たち周辺の賑々しい話になり、あっという間に二時間半が過ぎた。
 さあ、これから二次会だ、と一人が言った。当初からの予定だった。飲み会の終わり頃、仲間の一人が馴染みの店などに連絡を取り始めていた。だが、何度かけても店に電話がつながらないんだ、とOさんはこぼしていた。
「土曜日だし、そこは休みかもしれないね」
 上着を手にしながら一人が言った。A君が同調した。
「電話がつながらないんなら、そうかもしれない。だけど、ここからそう遠くない。行ってみて、やってないなら他の店を探そうよ」
 僕らはモノレールの走る通りを駅の方に急いだ。足元の心もとない酔漢は僕らだけだった。
 道路脇で客待ちしているタクシーに一人が歩み寄り、運ちゃんに話しかけだした。
「近いから歩いて行こうよ」
 M君が彼に向かって叫んだ。しかし彼はすぐさま手招きを始めた。
「いいから早く、早く乗った」
 というわけでタクシーに乗った。だがその車は目標にした信号を通り過ぎた上、とんでもない横路地に走りこんでしまった。そこ、そこの通り、と道案内する誰もが酔っているので正確さを欠き、要領を得なかったからだ。タクシーに乗って走るうち、当の店がどこにあるか分からなくなったのである。車をひと回りさせるのもかったるいので適当な場所で僕らは降りた。仲間はつり銭を取らずにタクシーを行かせた。
 僕らはワイワイ騒ぎながら歩き出した。みんな浮かれていた。僕もほっぺたが燃えているのを感じた。早く店にたどり着き、みなでカラオケをやりたい気分だった。
 道を戻ってようやく当の店にたどり着いた。しかし店には明かりがついていない。
「やっぱり休みのようだな」
 一人が階段を走って上がっていった。暗い中で店内をうかがい、ドアをしばらくにらみつけている。
「紙が貼ってあった。今日だけ、臨時休業だと書いてあるよ。他にいこう」
 彼はそう言いながらおりてきた。
「どこにする?」
「じゃあ、あそこだな。あそこにしよう。こうなればそこで決まりだ」
 Oさんが景気づけの声を出し、僕らを促した。僕らは彼のあとにしたがった。T神社前の通りを渡り、信号の脇から路地に入った。幾つかの店が並び、そこの一軒に僕らはOさんを先頭に吸い込まれていった。
 ほの暗い陰気な通路を奥に歩いていった。が、店内に入ると印象は一変した。照明の落とされた店だったが、大画面のカラオケモニターの放射する光が店内を明るく浮かび上がらせている。壁を背にL字形にソファーが据え付けられ、それに沿って白いテーブルが並び置かれている。十名近いホステスがそこここで陽気な笑い声を立てていた。
「亡くなったOさんもここによく来ていた。彼の庭の一つだったんだ」
 奥のテーブルに案内され、ソファーに腰を沈めるなりOさんが言った。
「そうだったな。この辺は彼の縄張りだった」
 テーブルにやってきたホステスからおしぼりをもらって手をぬぐいながらM君も頷いた。
 ホステスらはたどたどしい日本語で客とやりとりしている。僕はようやくここがフィリッピーナの店だと気付いた。
 誰もが脚の付け根が見えるほどの超ミニー姿で動き回っている。上半身もやっと乳首が隠れるほどのシャツ姿である。加えて、脚は細くまっすぐ、胸元はボインである。ブラジャーなどによる締め付け効果もあるだろうが、胸の豊満さは圧倒的なものだった。
 しばらく、僕は目のやり場に困った。しかし、じきに馴れてきた。国民性というべきか、彼女らはそれを無理して着ているというより、愛して馴染んで着こなしているようであった。僕らが彼女の胸元や脚に目を奪われてもいっさい関知しなかった。
 スカート短いね、と訊いても、おっぱい大きいね、と訊いても、ああ、これ、大きいでしょう、とか言ってただ笑うだけだ。そしてすぐその話題を切り上げる。昔のキャバレーホステスの、エッチ、スケベー、といった過剰反応とはぜんぜん違う。
 羞恥心とか暗喩的な駆け引きめいたリアクションがまるでない。あっけらかんなのである。
 英語圏の国の女性の感覚なんだろうな、と僕は思った。
 この時になって、僕は店の明るさの意味が分かった。彼女らの素朴な陽気さが店にからりとした明るさをかもし出しているのだった。今はすたれてしまったが、昔あった大衆キャバレーの感覚に近いと言えば伝わるだろうか。ともかくみんな愛想がいい。彼女らは笑顔を振りまき、お客とお客の間をぐるぐる動き回っている。
 そうして飲み物をねだってはそれを注文し、少し飲んで別のテーブルに移動していく。そういう筋書きを看てとって僕は彼女らの観察を始めたが、思っていたほどではなかった。ただ、こっちの水割りグラスが常に満杯にされていた程度である。
 僕の前にやってきた美人ホステスの第一声は、お客さん、前にも来てくれたことあるね、であった。えっ?とM君が僕を見て驚いたような声を返した。
「そうだったの?」
 僕はM君をきょとんと見つめ返す。
「そうよ。ねえ、前に来てくれたね? 来てくれたじゃん」
 達者な現代っ子言葉で相槌を求められて僕は苦笑した。その意図が分かったからだ。
「うん、来たことあるよ」
 僕は頷いた。むろん、そうでないことは彼女も僕もM君も承知している。
 彼女はM君を見て続けた。
「あなたは初めて。この人は今日が三度目ね」
 してやったりという目で僕を見た。
「三度目ね。そうそう」
 僕が再び頷き返すとM君は満足そうにニヤついている。彼女のいたずらな芝居に乗せられ、M君の方も悪い気はしないようであった。
 三度目と言われたせいか、僕は素直に店と彼女らに打ちとけていった。
 店では英語の歌が中心に流れていた。それを男客が不慣れにうたい、カバーするようにホステスたちが本格的な英語の歌いまわしでサポートしていた。客たちは彼女らが英語圏の者たちであることを意識して選曲し、歌っているのかもしれなかった。
 他のテーブルのお客と一曲デュエットして戻ってきたホステスが僕に訊いた。
「あなた、何、やってる人? 病院関係?」
 やっぱり訊いてきた。僕が返事に窮していると、Oさんがすかさず答えた。
「この人は作家なんだ」
「そう、作家だ。この人は作家」
 M君が僕の肩をたたいて相槌を入れた。いよいよ困ったが、彼らがなぜそう強調するか僕にはよく分かっている。
「サッカ? サッカーの選手?」
 彼女は怪訝そうに僕を見た。二重の大きな瞳に謎を浮かせた。
「違うよ」Oさんは首を振った。「こんなに年取ったサッカー選手がいるわけないじゃないか。作家。作家。・・・・・・ウライター」
「ライター? 何の?」
 しようがないので、ガスライター、と僕は茶化しを入れた。しかしそれはまるで効果がない。いや、この言葉は誰からも無視された。
 彼女は僕を相手にせず、Oさんと真剣な表情で向き合った。ライターについて説明を求めている。僕を店の上特の客に出来るかどうかをさぐっているのかもしれない。
 Oさんはルポライターとか、コピーライターとかいろいろ並べた上で、ノベルという言葉にたどり着いた。
「そうだ、ノベルだ。ノベルを書いている人だよ」
 ノーベル賞飴、とか、横から茶々を入れて懸命に話をそらそうとするが、今度も聞き入れてもらえない。
「そうなんだ?」
 と言ってホステスは僕を見た。
「ああ、神様・・・・・・」
 僕はおもわず片目をつぶった。 
 僕らは四人でここへやってきた。ドクターのM君を始め、他の二人は幾度かこの店にやってきている。僕だけが初めてである。彼らの職業について、彼女らが多少とも掌握しているのは口ぶりからすぐわかった。
 したがってOさんやM君が僕を作家だと説明したのは悪意があってのことではない。むしろ、僕に気を遣ってのものなのだ。なぜなら、僕は単純労働者だからだ。一人でこんなところへやってきて遊ぶほど稼ぎがあるわけでもないのである。
 この仲間で飲む時、僕はいつも一人奢られ役である。飲む金は余裕のある者が出せばいい考えの集まりなのだ。今日も僕は、三人に誘われ、一銭の金も持たず、ここへついてきただけのお呼ばれ人間にすぎないのである。
 そんな僕を、彼らがいっぱしの職業人間として紹介できるはずなどないのだった。
 むろん、彼の口から、作家、という言葉がとっさについて出たのにはちゃんと理由がある。
 僕は長年に渡り、同人雑誌で小説を発表し続けてきた。この仲間が、M君を筆頭に僕の小説の読者であるのは確かなことだった。
 彼女は僕の太ももに手を置いて言った。
「あなた、ノベルを書いてるの? グッド。サイコー」
 彼女の頭にあるのはぜんぜん別の世界であろうことが、僕には苦々しかった。
 彼女が他に移り、別のホステスが僕のそばにやってきた。
「一杯いただいていいですか?」
「どうぞ」
 彼女はカウンターの方に歩いていって、薄いブルーの飲み物を作って戻ってきた。
 いただきます、と言って軽く僕のグラスにぶつけてきた。
 少量の液体を口に流し込んでから、彼女は訊ねてきた。
「あなた、ノヴェリスト?」
 彼女がほかに移った後、次にやってきたホステスも同じような調子で訊ねた。
「ノヴェリストですって? どこにどんな小説書いてるの?」
 どの女も日本語が達者なのには感心したが、僕の口からはその日本語がうまく出てこなかった。
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