92年から3年にかけてのF1中継では、レースの優勝者がウイニングランをする間に、ドライバーのウイニングテーマを流すようになっていて、それが、レースの余韻とマッチして実にいい味を出していたのだ。セナのテーマFACES(T-SQUARE)を聴くと92年のモナコGPの大激闘を終えた後、ホンダ・エンジンから白煙が上がり、シーズン初勝利に狂喜するホンダクルーの姿が今でも目に浮かぶ。
この時期は“ウィリアムズ軍事帝国”と揶揄されるほど、ウィリアムズ・ルノーが圧倒的に強かった時代。ルノーエンジンの圧倒的パワーとアクティブ・サスペンションを搭載したハイテクマシンがレースを終始支配。セナファンだった僕にとっては、文字通り手も足も出ない状態に歯ぎしりしてたもの。
でも、逆にその圧倒的に強いウィリアムズ相手に、開幕5連勝中のマンセルを抑えきった前述のモナコGP(三宅アナの「どんなにしても抜けない。ここはモナコモンテカルロ。絶対に抜けない!!」という歴史的名セリフが忘れられない)や、93年の雨のドニントンパーク(ヨーロッパGP)の鬼神の走りで、打ち負かす場面に狂喜乱舞したものさ
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当時のF1のオープニングやグリッド紹介、エンディングはどれも、印象深い曲ばかり。ドライバーも個性派揃いだったし、本当に毎回のGPが楽しみだったよね。
そして93年最終戦オーストラリアGPでのセナ、プロストの表彰台での“和解”というフィナーレを経て、セナは待望のウィリアムズ・ルノーへ移籍。ただ、もうその時にはウィリアムズの圧倒的アドバンテージはなくなり、強力なZETEC・Rエンジンを搭載したベネトン・フォードのシューマッハの黒い影がセナの背後に迫ってきて来た・・・。
そして94年5月1日。運命のタンブレロ、この日を境に僕のF1への見方は変わった。シューマッハを敵役として、ヒルやハッキネンが、彼を打ち負かすのを期待し続け、失望し、喝采を叫び、再びF1にのめり込んでいく日々。
そのシューマッハが栄光に包まれたキャリアに終止符を打った時、僕のF1への熱は完全に冷めた。そしてホンダ撤退は、確実に“F1の終焉”のカウントダウンを意味している。さようならF1。