日日不穏日記gooブログ版

長野~群馬340キロの旅2 御巣鷹編

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ

 1985年8月15日の日航ジャンボ機墜落事故は、当時大学生だった僕にとって、直接の当事者にないにも拘らず、強い衝撃を残してる。

 単独機として、史上最大の520人の犠牲者を出したこの航空機事故は、規模の大きさ、その悲惨さ、奇跡的な4人の生存者という要素が積み重なって、洪水のような報道が繰り広がられたことで、記憶に刷り込まれてると思うんだ。

 この事故から、もう25年。この事故を再検証する本をちょうど読んでて、南相木まで行くのならぜひ、事故現場である“御巣鷹の屋根”に行ってみよう・・・そう思ったのさ。



 普通者同士、行き違いも大変な細い県道。急カーブが続くぶどう峠をようやく抜け、上野村へ。本当は犠牲者の聖霊を祀る「慰霊の園」へ行こうって思ったんだけど、この県道を上野村に入ると、「御巣鷹の屋根」の看板が・・・

 時間はまだ9:30。事故現場にある「昇魂の碑」につながる登山口まで行けるだろう・・・と車を走らせる。10時に登山口に到着symbol6

 いるのはツーリングで来てるライダー一人と降りてきて、お茶を飲んでる夫婦一組だけ。車がもう一台あるから、登山者はもう一組ってことか。ここも閑散としてるyellow4



 登山口には杖がある。歩いて30分と言うけど、相当にきついって話は良く聞いている。それでも、道は開けて以前は1時間の登山だったのが半分になったんだからね、ここは覚悟を決めて、登ってみよう。

 この写真じゃよくわからないと思うけど、こう配がきついきつい。階段をひたすら登ってく。杖なしじゃとても登れたもんじゃない

 最後の頃には、杖をつきながら、手すりにしがみついて登っていく有様yellow23。結局、25分で到着はしたんだけど、60歳を超えて、ここを登る自信は僕にはないよ。

 とにかく膝に来た・・・もう、足がガタガタyellow6



 何とか「昇魂の碑」にたどり着く。左側は8.12連絡会が設置した“鎮魂の鐘”。しばし直立不動で祈りを捧げ、鐘を慣らす。

 さらに登って茜観音にお参りをし、右手にある遺族の碑をみながら、事故の悲惨さに思いを馳せる。520人の名前が刻まれた碑。夏休みだったから、家族連れが多かったという。一家が全員亡くなったというケースも少なくない・・・

 踵を返して下山を始める。



 途中で分かれ道に差し掛かり、降りる反対側に目を向けると、たくさんの墓標が目に入った。近くに行って「うわっ」って思った。狭い斜面に木製の小さな墓標が数え切れないほどあるんだ。

 石の墓は殆どない。あった墓には仲の良かっただろう兄妹の写真が刻まれ、横には親が残したんだろう詩が書かれてる。

 もうここは異常な空間。もちろん、ここだけじゃない。区画ごとに同じような場所があるんだろう。その手のものを信じない僕でさえ、何かの“念”のようなものを感じたくらいだから。



 「慰霊の園」には、後で行ったんだけど、この事故を“体感”するんだったら、村の中心部に近い、ここの<慰霊塔>を見るだけじゃダメ。

 絶対、事故現場の「昇魂の碑」まで行くべきだと思う。もう25年、僕にとっては、母校福祉大のスキーバス転落事故と同じ年に起きた忌むべき出来事。

 さっきも書いたけど、今読んでる本には、この事故を過去のものにしちゃぁいけない多くのことが書かれてる。もうじき読み終えるから、その時にまたレヴューを書きたいって思ってるよ。

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

haikyotansaku
http://black.ap.teacup.com/niwatori/
直接縁はなかったけれども、衝撃の大きな事件だったからね。25年って歳月は長いけど、生存者はいずれも健在。

一番メディアの曝されることになった川上慶子さんは、「その後、母親の遺志を継いで、看護士になり、兵庫県の病院で働き始めた彼女は、1995年の阪神淡路大震災では、怪我人の手当てに奔走、2002年に結婚、子どももいる」って聞いている。

それでも、事故の話をするとPTSDような症状が出るのだとも。

被害者はもちろん、生存者も人生を狂わせちゃったわけだよ。慰霊に行ってつい、そんなこと考えちゃったね。
haikyotansaku
http://black.ap.teacup.com/niwatori/
実はこういう記事が書くのに一番時間がかかる。写真はこの倍以上撮って来てるし、等間隔に写真を入れて、それに合うように文章を入れる。

それで自分の考えを書く。思ったまま勢いで書いてるわけじゃないから、推敲を何度もする。

まぁ、自分が一番出るんだけどね、この手の記事が。本当はお蔵入りしてる写真で使いたいやつが一杯ある。

書く前にそれなりにネットで下調べしてるし、時間はかけてるよ。面白く読んでくれれば良いんだけどね。

ヱヴァは大都市部はグッズが最初の2日くらいで、どんどんなくなってるみたい。店もたくさんあるけど、パイが大きいからさ。

クリアファイルが全然集まられないって、嘆きをずいぶん聞くからね。地方都市や田舎は、ファン自体が少ないんでしょ、八千穂が良い例だよ。
non
http://blog.livedoor.jp/nongino/
いい所に行って来たね。
思わず厳粛な気持ちになる。
haikyoさんはちゃんと祈ってこれたかな?
もう25年も経ってしまったなんて思えない。
ついこの前のような気持ちになるね。
あんな事故は二度と起きて欲しくない。
あの助かった、当時の女の子は、元気に暮らしているんだろうか…。
そんな事、考えちゃったな。
みねうちじゃ~
初めてnonさんとリンクするコメントなんだけど(気持ちはいつもそばにあるよ)その本を読んだとき、遺体の臭いを(不快に感じる方にはごめんなさい…)感じたよ…私の苦手な分野の本だったけど、私も当時『どこ、どこなの』って心配してたから、親戚からも連絡来たりして、身近な感じだよそういえば阪神淡路もそう…うちの節目だったんだ
偉いねちゃんと自分を出してるエヴァだけじゃないちなみに佐久市の数少ないローソンにもまだ文房具ありました、他は見てないけどね
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「身辺雑記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事