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記録・雑感

三日坊主

2011年03月16日 | ブログ作成
  考えてみると、僕は昔から何をやってもすぐあきる。何にでも関心を持つが、長続きしない。スタミナがない。我ながら、情けない。惚れ安の飽き安。好きなのはドライブだけ。それに友達とおしゃべり。
  一芸に秀でると、万事に通じると昔から言われている。他人には、無責任にも、同じことを、自分も言ってきた。が、自分自身は相変わらず、なんにでも飛び付く。が。すぐ放り出す。
 例えば、まず語学。マスターするには不断の努力を要求される。大阪外国語大学ロシア語科に入学したが、格変化を覚えるのが面倒くさく、すぐ学習を放棄した。成績さえ気にしなければ、入学、卒業は簡単。当時は就職も簡単。高校で英語の教員として生活費を稼ぐことになった。英語の教師を47年やってきたが、英語にたいする関心はなかった。だって、英語は難しい。苦労したり、努力したりというのが苦手だから、何も身につかなかった。生徒には迷惑をかけた。給料泥棒の47年間だった。
 人生はつらい事と悲しい事だらけ。だから、結構苦しかった。けれど、楽しいことも多かった。たぶんこれからも同じだろう。この年になると「俺の人生何だったんだ」と思うこともある。でも深くは考えない。考える能力なし。過ぎたことはもう二度と帰ってこない。知らないうちに生まれ、そのうち、何も分からないまま、死んでいく。それだけのこと。
 最近、多くの人が「うつ病」にかかる。妹もそうだし、昨年自殺した、元同僚もそうだった。彼は子供が4人いて子ぼんのうだった。暇があると僕をドライブに誘った。彼はおしゃべりだった。よくいろいろな所に連れて行ってくれた。まさか彼が死ぬとは思ってもみなかった。彼はまだ50歳を少し超えたばかりだった。僕の孫に至っては、解離性障害が有り、非現実の世界に生きている。精神分裂症。所謂、統合失調症。人生はいつも苦しいし、さびしい。悲しく、つらい。他人に笑いものにされ、バカにされ、無視され、陰口を言われていると思い込む。毎日が楽しくない。気分が重い。自分ほど悲劇的な人はあまりいないと思い込んでいる。
 僕も同じようなものだけど、少し違うところがある。思い込みが長続きしないのだ。思い込む能力が無い。思いつめる能力がない。だからつらいことは考えないようにしている。楽しい事だけを考える。ある意味で、自分をごまかして生きる。
 囲碁をすると良く分かる。特に詰碁。考えるのがめんどうくさい。「ああなって、こうなって」「こうなって、ああなって」などと筋道を追っていくことが出来ない。そうそう、筋道を辿って考える事がない。論理的思考が出来ない。する気もない。だから、数学がきらい。数学は論理のにおいがする。高校1年のとき、数学の教室では出席も取らなかった。土曜日の3・4時限、数学の時間。出席をとらないから、唐戸の映画館に通った。ところがある日、僕が座った席。机の中に本が入っていた。あとで、たいへんな本だと知った。面白かった。エロ本だと思った。15歳だ。一番興味のある年頃。数学はぜんぜん見向きもしなくなった。エロ本のほうが絶対おもしろかった。
 上下2巻になっていた。小山書店発行。D.H.ローレンス著。伊藤整訳。 無削除版「チャタレイ夫人の恋人」。リアルに描写された「性交シーン」。もうたまらない。数学どころの話じゃあない。この本は発禁になった。「チャタレイ裁判」として長年裁判で争われた。「芸術かエロか」といい大人が裁判までして争った。「芸術か猥褻か」「思想言論の自由」かそれとも「劣情刺激による社会秩序の破壊」かだって。 そんなこと問題じゃあない。後に、「性交シーン」の削除された文庫本が出版されたが迫力ゼロ。この本の影響というか、後遺症というか、あとあとの僕の人生を決めてしまった。論理より本能。本能のままに生きる。動物に徹する。これが僕の生き方になった。自然法爾、あるがまま、なるがまま。山川草木悉有仏性。則天去私、死生一如。長い間、こんな生き方が続いている。
 でも今頃になって、数学を知りたい、英語が話せるようになりたい、漢文が読めるようになりたい、碁が上手になりたい、パソコンを自由にあやつれるようになりたい、死にたくない。長生きしたい。欲にまみれてしまった。人生は思い通りにならないのに。
 昨年、ひ孫を授かった。可愛い。一日でも長く生きたい。にわかに、規則正しい生活。例えば、早寝早起き。適度な運動、例えば、一日一万步。健康維持のための正しい食生活、例えば、野菜中心、。腹八分。....ああ、どうなるんでしょう?
                                                   2011年3月16日午前3時  

 

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