ひで爺の囲炉裏ブログ

インラインスケート、キックスクーター、ヘーベルハウス、aiboの日記ブログです。現在日記ブログお引越し中、、、

NINJA ベアリングプレス 修理→補強

2012年06月04日 12時10分36秒 | インラインスケート使用レポート


NINJAのベアリングプレス器、通称がちゃんこましーん。
ウィールからベアリングを外すのが楽になるマシーンです。
これあると本当に楽。
特に親子でインラインスケートやる家族には必須アイテムですね。
もちろん夫婦でもカップルでも必須ですよ。
一人身はいらない???
そんなことはない。
これあるとメンテナンス時間が短くて済むのでやっぱり1台持っているといいです。

使い勝手などは後日紹介するとして今日は壊しちゃったベアリングプレスを直すことから始めます。


絨毯の上などやわらかい場所でベアリングプレスを思いっきりやっちゃうとこんな風に曲がっちゃいます。
いや、曲がっちゃいました。
いやいや、曲げちゃいました。


付属の説明書にはこんなふうに書かれています。
さすがに固定する場所ないし。
まぁ、固定しなくても使えます。
ただし、硬い場所で使うことが必須です。
本体はアルミ製です。
軽いけど弱いんです。
だから直すのも簡単。
曲がっちゃった部分をハンマーでたたけばOK。


さくっと直しちゃいましたので今回はパワーアップを計ろうと思います。
まずはネジ穴間の距離を測ります。


199mm×84mmの2.3mm厚の鉄板を使用しました。
そこに6.4mmの穴を6個。
これを本体の下にナットとボルトで固定。
これで結構な強度がでたはずです。
これならやわらかいものの上でもベアリングプレスが可能なはずです。

別に鉄板じゃなくって木でもOKだと思うのでやわらかい場所でベアリングプレスする方はぜひ補強してみてくださいませ。

※改造を自己責任でおこなってください。



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ゆずあ@稲北)
2012-06-04 15:24:09
補強は必要ですよね。

目の前で、ガチャンコマシーンが曲がったのを見ているので
自分は、買った直後に板をはり付けました~(笑)
コンクリートの歩道上で使ったのに、曲がってました。
使い方によっては、どこでも曲がっちゃうみたいです。

↓購入直後の未使用ですが、すぐに板をはりつけたの図・・・・数年前の話。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1002849389&owner_id=2055073

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Unknown (takkun)
2012-06-05 19:54:34
今のガッチャンコマシーンは
かなり初期状態から強化されてるんですヨォ!
近日ブログにて公開予定!(笑)

お買い求めは・・・(^^;
よろしく♪(^〇^)/
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Unknown (ひで爺)
2012-06-05 22:42:10
ゆずあ@稲北さん>
確かに固定しないとダメみたいですね。
最初から板つけてくれればいいのに。。。
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Unknown (ひで爺)
2012-06-05 22:43:36
takkunさん>
ええっ!新型は大丈夫なんですか!?
新型は大きなウィールまで対応ってだけだと思ってました。
これは、、、新型が欲しくなりますね。
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ストライベック (グリーンスチール)
2024-12-03 03:27:53
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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