■飲酒運転はなぜ無くならないのか?
今週、北海道小樽市で発生した飲酒運転によるひき逃げ事故によって女性4人が死傷するという痛ましい事故が発生した。
これまでにも飲酒運転による交通死亡事故は幾度となく起こってきたが、事故が発生する度に飲酒運転の厳罰化が行われてきたことは周知の通りだ。しかし、その甲斐なく何度も何度もこのての事故は繰り返されてきた。
今回の事故を巡っても、結果的には更なる厳罰化が為されるのかもしれないが、はっきり言うと、これ以上の厳罰化を行ってもあまり効果は望めないような気がする。
現状でも、飲酒運転の罰金は50万円(酒気帯び運転)、100万円(酒酔い運転)単位なので、一般のドライバーは飲酒運転には充分に注意しており、実際に多くの飲酒運転の歯止めになっていることは間違いない。
これが、罰金500万円、1000万円になったからといって、更なる飲酒運転の防止に繋がるのかというと、疑わしいと思う。
では、なぜ法律を厳罰化しても飲酒運転は無くならないのか? その単純な答えを以下に述べよう。
■酔っぱらいに「飲んだら乗るな」は通じるか?
よく、「飲んだら乗るな」というスローガンを耳にする。一見、もっともらしい言葉だが、この言葉を聞いて、あなたは何も疑問を感じないだろうか?
「飲んだら乗るな」、確かにそれはその通りであり疑問を挟み込む余地が無い正論に聞こえる。しかし、その言葉が機能するには条件がいる。それは理性が機能している場合に限られるということである。
素面(しらふ)の人間が、「罰金50万円」などと聞くと、「そんなリスクはとても冒せない」と考える。しかし、泥酔(酩酊)して理性が麻痺状態にある酔っぱらいには、「飲んだら乗るな」という言葉は通用しない。このことは、記憶を失うまでお酒を飲んだことがある人なら、よく解るのではないかと思う。
法律とは理性が存在して初めて機能する代物なので、理性を失っている人間相手には機能しない。飲酒運転問題には、実はそういう盲点が存在しているのである。
最近は「脱法ドラ○グ」による暴走事故というものも問題視されているが、実はこれも同じで、理性が麻痺状態にあるという意味では、酔っぱらい運転とほとんど大差がない。
理性的に物事の善し悪しを判断できない状態に陥った人間には、法律は全く機能しないということは「脱法ドラ○グ」事件を見てもよく分かる。この場合も、「吸ったら乗るな」という言葉が通用しないことは言うまでもない。
つまり、根本的な事故の発生原因は法律の脆弱化に有るわけではなく、個人のモラルによるところが大きいということである。いくら法律を厳罰化したところで、理性を失うまで飲んでしまうというような行為が無くならない限り、飲酒運転は無くならないし、飲酒運転を原因とした交通事故も無くならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます