天武天皇の子、穂積親王の嫁は元明天皇(阿倍皇女)としたらスルスルっと繋がったよ!
穂積親王の娘2人、紀皇女と田形皇女とあるが
田形皇女の読みは「たかた」で「かた」繋がりで日高=元正天皇を充てたら
おっと!田形皇女は伊勢斎王でした!日高独身説を裏付けた!
でも、斎王から戻って誰かと結婚した
六人部王…って誰?
「むとべおう」と読みます
訛って、なまって!多分「にいたべ」!
そう!忍壁と新田部皇女の子、新田部親王の嫁です!
多分!
穂積親王は大王だったよなあ…大王名が知りたいなあ…
大王系図と睨めっこ
推しの忍壁皇子から早良親王までを詰めたいから
女性天皇が在位の時の、夫や子供が大王だったはず
という法則を考察の頼りに不完全な系図とWikipediaを往復していると
閃いた
淳仁天皇の諱「大炊(おおやき)」と
氷上塩焼王の読み「しおやき」が似ていると
没年もかなり近い、ほぼ同じ
だいたい、元正天皇(諱:氷高)が独身で生涯を終えたなんてありえん
初めは氷繋がりとか氷高=日高=塩屋連の本拠地だ!くらいの閃きだったが
塩屋連の氏系図見つからないからちょっと諦めて
推しの忍壁前後を固めようとしていたのよ
孝謙・称徳天皇の夫もあやふやだし
なので、塩焼か淳仁天皇のどちらかが創作というか、改竄の物語だと思う
本当は一人の話…
でも氷高は一人もんじゃないよ!誰かの嫁だったよ!w
たぶんきっと
名草ぼにまる先生のブログ「聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)」https://blog.goo.ne.jp/nagusa777
が大変興味深くて繰り返し繰り返し読んで、頭を整理するために大王系図をエクセルで作ったり、Wikipediaとぼにまる先生のブログを行き来してはその補強と知識を増やしている昨今。
ぼにまる先生とコネクションを持ちたい!とgooブログに加入してみたものの、いいねボタンは押せてもコメントができない…メールも宛先がわからん…gooブログの機能もよくわからん…
発見!かと思いきや読み返せばぼにまる先生ここでいうてはるがな、とかそんな毎日であるが、大王系図も行き詰まりの程で、ちょっと蔵書「陰陽師」を引っ張り出して気分転換した。漫画だが。
いや、晴明が「秦河勝んちさ」と」言ったセリフは一体どのあたりでどんな経緯でそれを言ったのかしらとか、系図作りや情報を漁っている中でずっと気にはなっていたから。
昨日から1巻を読み始めて…今7巻だが、うん、どこで出たかな、割と早く出たw。
もう興味はそこじゃなくて、何度も見たはずの源博雅のWikipediaを見たら、アレまあ「最初は博雅王を名乗るが」とあるじゃない?
いやそんな気はしてたのよ、楽狂いとはいえなんとなく不遇?※キャラ的に本人はそう思ってないが
これは系図を遡ってみましょう…となるとあれあれ、祖父の藤原時平が左大臣の時、菅原道真が右大臣。仁明天皇の孫の女王が嫁。
仁明天皇は諱が正良でまだ大王系のような気がするのだが?
面白くなってきたが、漫画の読み返しも面白いので今日はここまで。
でもきっと博雅は王家の血筋!