釜山より愛をこめて ~From Busan with LOVE~ 

釜山での珍生活の日々・韓国についてをつづります。
日本・韓国両国の友人たちに愛をこめて♪

慶州のもう一つの顔 慶州ナザレ園 ~世界遺産 慶州~

2012年12月08日 | 慶尚北道 観光

世界遺産がたくさんある慶州は韓国の歴史を礎を築いたところで有名だけれど
ガイドブックに載っていない慶州のもう一つの顔を紹介したい。

在任中に慶州を何度も訪問したのは、観光のためだけではない。
実は、慶州に私たち日本人に大きな関係をもつ場所があるのだ。

そこは“ナザレ園”という女性のための特養施設だ。


韓国を統治していた戦前の日本では、諸事情から韓国人男性と結婚する女性が多くいたのだ。
しかし、敗戦のあと、日本から解放された韓国で、そうした日本人妻達は
身を隠すように生きるしかなかった。
そして、その後、朝鮮戦争が勃発し、多くの日本人妻は夫や子どもと別れてしまい、
一人で韓国で生きていくしかなかったのだ。
日本に帰国すれば…と考える人もいるだろうけれど、
結婚するときにすでに日本の家族と縁を切っている人
日本の国籍がない人、
日本に帰っても日本に家族のいない人
戦争の混乱ではぐれてしまった韓国人家族を今でも待っている人など
それぞれの事情で韓国にとどまらなくてはならず、
貧しくて苦労の多い人生を歩むことになった。

年をとったり病気で身体が不自由になったりと一人で生きていくことが
辛くなった日本人妻達に手をさしのべたのがこの人。


私費でナザレ園を設立し、日本人妻のおばあちゃん達に住む場所と食事を提供し
安心して暮らすことができるようにしたのだ。

当時の韓国の社会情勢では、
「日本人を助けるなんて」と非難されることが多かったそうだが、
困っているなら韓国人も日本人も同じと援助を続けたのでした。


現在では上記の宋美虎氏がナザレ園の理事として、日本人妻達の保護の中心となってらっしゃる。
また、現在のナザレ園は、日本人のおばあちゃん達だけでなく、
韓国人の身寄りのないおばあちゃん達が多く、身を寄せている。

このナザレ園に慰問に行ったり、わずかながらの補助をさせていただいたりしていた。
普段は韓国語ばかりの日本人おばあちゃん達は、
私たちにとってもきれいな日本語で話しかけてくださったり、昔の歌を一緒に歌ったりしてくださった。
長い時間、語り尽くせない苦労と心配があっただろうに、今は幸せだと言われた言葉が胸にささる。

ナザレ園に日本人妻が80人ほどいらっしゃると聞いていたのだが、
慰問に行くと、元気な姿を見せてくださる方はもっと少なく、
そして慰問の度にその数は減っていった。
ご高齢なため、入院治療を受けていたり、亡くなったりした方が増えていったのだ。


ナザレ園で亡くなった日本人妻が眠るお墓が小高い丘の上にある。

韓国で暮らさなくてはならないと覚悟はしていたのだろうけれど
それでもやっぱり日本に帰りたい気持ちでいっぱいなのだ。
この碑に書かれた言葉を読むと思わず涙が出る。


お墓そのものは周りから見えないようにひっそりと建てられている。
日本人の墓だと分かると荒らされることがあるからだという。

そのお墓からは海が見える。
この海の向こうはおばあちゃん達が帰りたかった“日本”だ。

最近の韓流ブームで日本と韓国の関係がぐっと近くなり、両国が双方に影響しあっている。
日本では韓国の経済や政治事情が毎日のように報道され、韓国でも同様のことが見られる。
両国が手を結んで明るい未来を築くことは喜ばしいことであるし、
日韓の人々が互いに理解し合い、交流が深くなるのもうれしいことである。
でも、こうして歴史・政治によって翻弄され、
悲しい思いをした人たちがいるのだということを忘れずにいたい。
そして、金龍成さんの功績を多くの人に知って欲しい。

もし慶州に行くことがあったら、訪問して欲しい場所だ。
こんなところもあるのだということを、知って頂きたかったので簡単ながらブログにアップしました。


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