期待と寂しさ
私は、足を動かしこの時期にしては深く降り積もった雪道を歩いている。道には誰の足跡もついてはいない。自分がこの道の先駆者だ
と言わんばかりの大股で雪を踏みしめていく。だが、歩幅は普段の2倍以上あり途中でバランスを崩しそうになるので、そうはなるま
いと視線を下にばかり集中させていた。と、強風が私に向かって吹き荒れた。私は驚いて視線を上へと上げる。
幻想的な景色があたり一面に広がっていた。天候として、快晴というのは非常に良いものなのだが、薄雲にまみえた青空というのもこ
れまたよい。天気も良ければ空気もうまい、という日は冬季のこの場所ではなかなか恵まれない。今季最後にふさわしい、と私はそん
な思いをかみしめながらゆっくりと前進を続ける。そう、今日は3か月滞在していた白馬を離れ、新たな遠方に向かう門出の日なの
だ。
(ただリアルにいうとこれは昨日の話を今日書いている。日記とハッシュタグをつけながらも日々記せていない。ブロガーというのはすごいなと感銘を受ける。)
遠方まではフェリーを使っていくのだが、その港にはいくつもの電車を乗り継いでいかなくては着かない。そのため昼休憩をする余裕
はあまりない。なので電車に乗る前にご飯はある程度済ませておこうと一軒のお店に入る。ここは私が小さいころからある手打ち蕎麦
屋の「一ぷく」。店内にはテーブル席がいくつか並んでおり、私は白馬の山々が見える窓側の席に腰を下ろす。この店の店主と思わす
方がメニュー表とともに温かいお茶とお通しの漬物を出してくれた。私はそれらを1口ずつ味わった後メニュー表に目を通す。蕎麦だ
けでも種類が豊富でサイドメニューのようなものもあるので、10分と少々迷って注文した。お店には私のほかに3名1組の客もい
た。見た感じ地元民だったその客は先ほどメニュー表を持ってきた方を「おかあさん」と呼んでいた。この呼び方から見るに、「暖か
いサービスのもと多くの人から愛されているのだろうな、ということは多分手が込んでいる」と察しがつく。そんなことを考えている
とものの10分ほどで料理が運ばれてきた。まず出てきたのが、「おにぎり」である。
具は三種類あり、左からワサビ塩・信州みそ・昆布の佃煮で、それとは別におかずも3種類用意されている。なぜ蕎麦屋でおにぎり
を?という問いが寄せられるかもしれない。昨今よくテレビやネットまたはSNSなどでお店を紹介するコーナーを見るのだが、例えば
ラーメン屋で本業がラーメンにもかかわらず、実はチャーハンのほうが美味しく、それで有名になったという店も時たま発見すること
がある。だからこの蕎麦屋もおにぎりをあえて出すということはそういうことなんじゃないの?と期待を少し抱えながら手で握り飯を
頬張る。うん、正解だった。かの有名な西郷隆盛が他の官僚が洋食を食す中、握り飯とたくあんに手を伸ばしたのも理解できるという
美味さで、どんな手の込んだ料理よりも握り飯というのは劣ることがないという感情をこのおにぎりが表してくれる。
さてさて続いて出てきたのは「鴨南そば」。
何も考えずにまずは汁を一口。醤油と鰹節ベースの汁は次に食す蕎麦への期待を増幅させる。そしてそばを頂く。冷凍の蕎麦とは違い
この幅や長さが均等ではない感じ、そしてざらざらした舌触りに汁が絡んで私に特別感を与えてくれる。また薄いピンク色の鴨肉に
青々としたネギが様々な食感を奏でる。「あー、美味しい」自然とそんな言葉が漏れる。因みに蕎麦の右下に稲荷ずしがついているが
これはお店からのサービスである。白馬は基本的に昔から愛されているお店はこういった暖かいサービスをしてくれる。だからまた行
きたいと思う人が後を絶たないのであろう。
そんな蕎麦屋を後にした私は、そこからすぐ近くのカフェに寄った。ここは主にクレープと珈琲などのドリンクを提供しているお店
で、笑顔が素敵な店員さんに惹かれる私。そこで注文したのは抹茶生地にシュガーバターが入ったクレープと安曇野で作っている深入
り珈琲である。
クレープはもちもちとしていて、上品な抹茶とシュガーバターが絶妙なコンビである。またその甘さに深入り珈琲のビターな感じが合
う。と、味に店員さんとの会話に舌鼓をうった私は電車発車時刻ぎりぎりまで楽しみ、即座に乗車。
行く先は、遠方。北海道
(新潟港での1枚)