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多面性日記 ~人というのは凸凹道をいくもの~

2024-03-16 01:07:02 | 日記

期待と寂しさ

私は、足を動かしこの時期にしては深く降り積もった雪道を歩いている。道には誰の足跡もついてはいない。自分がこの道の先駆者だ

と言わんばかりの大股で雪を踏みしめていく。だが、歩幅は普段の2倍以上あり途中でバランスを崩しそうになるので、そうはなるま

いと視線を下にばかり集中させていた。と、強風が私に向かって吹き荒れた。私は驚いて視線を上へと上げる。

幻想的な景色があたり一面に広がっていた。天候として、快晴というのは非常に良いものなのだが、薄雲にまみえた青空というのもこ

れまたよい。天気も良ければ空気もうまい、という日は冬季のこの場所ではなかなか恵まれない。今季最後にふさわしい、と私はそん

な思いをかみしめながらゆっくりと前進を続ける。そう、今日は3か月滞在していた白馬を離れ、新たな遠方に向かう門出の日なの

だ。

(ただリアルにいうとこれは昨日の話を今日書いている。日記とハッシュタグをつけながらも日々記せていない。ブロガーというのはすごいなと感銘を受ける。)

 

遠方まではフェリーを使っていくのだが、その港にはいくつもの電車を乗り継いでいかなくては着かない。そのため昼休憩をする余裕

はあまりない。なので電車に乗る前にご飯はある程度済ませておこうと一軒のお店に入る。ここは私が小さいころからある手打ち蕎麦

屋の「一ぷく」。店内にはテーブル席がいくつか並んでおり、私は白馬の山々が見える窓側の席に腰を下ろす。この店の店主と思わす

方がメニュー表とともに温かいお茶とお通しの漬物を出してくれた。私はそれらを1口ずつ味わった後メニュー表に目を通す。蕎麦だ

けでも種類が豊富でサイドメニューのようなものもあるので、10分と少々迷って注文した。お店には私のほかに3名1組の客もい

た。見た感じ地元民だったその客は先ほどメニュー表を持ってきた方を「おかあさん」と呼んでいた。この呼び方から見るに、「暖か

いサービスのもと多くの人から愛されているのだろうな、ということは多分手が込んでいる」と察しがつく。そんなことを考えている

とものの10分ほどで料理が運ばれてきた。まず出てきたのが、「おにぎり」である。

具は三種類あり、左からワサビ塩・信州みそ・昆布の佃煮で、それとは別におかずも3種類用意されている。なぜ蕎麦屋でおにぎり

を?という問いが寄せられるかもしれない。昨今よくテレビやネットまたはSNSなどでお店を紹介するコーナーを見るのだが、例えば

ラーメン屋で本業がラーメンにもかかわらず、実はチャーハンのほうが美味しく、それで有名になったという店も時たま発見すること

がある。だからこの蕎麦屋もおにぎりをあえて出すということはそういうことなんじゃないの?と期待を少し抱えながら手で握り飯を

頬張る。うん、正解だった。かの有名な西郷隆盛が他の官僚が洋食を食す中、握り飯とたくあんに手を伸ばしたのも理解できるという

美味さで、どんな手の込んだ料理よりも握り飯というのは劣ることがないという感情をこのおにぎりが表してくれる。

さてさて続いて出てきたのは「鴨南そば」。

何も考えずにまずは汁を一口。醤油と鰹節ベースの汁は次に食す蕎麦への期待を増幅させる。そしてそばを頂く。冷凍の蕎麦とは違い

この幅や長さが均等ではない感じ、そしてざらざらした舌触りに汁が絡んで私に特別感を与えてくれる。また薄いピンク色の鴨肉に

青々としたネギが様々な食感を奏でる。「あー、美味しい」自然とそんな言葉が漏れる。因みに蕎麦の右下に稲荷ずしがついているが

これはお店からのサービスである。白馬は基本的に昔から愛されているお店はこういった暖かいサービスをしてくれる。だからまた行

きたいと思う人が後を絶たないのであろう。

 

そんな蕎麦屋を後にした私は、そこからすぐ近くのカフェに寄った。ここは主にクレープと珈琲などのドリンクを提供しているお店

で、笑顔が素敵な店員さんに惹かれる私。そこで注文したのは抹茶生地にシュガーバターが入ったクレープと安曇野で作っている深入

り珈琲である。

クレープはもちもちとしていて、上品な抹茶とシュガーバターが絶妙なコンビである。またその甘さに深入り珈琲のビターな感じが合

う。と、味に店員さんとの会話に舌鼓をうった私は電車発車時刻ぎりぎりまで楽しみ、即座に乗車。

 

行く先は、遠方。北海道

 

(新潟港での1枚)

 


多面性日記 ~人というのは凸凹道をいくもの~

2024-03-02 15:34:01 | 日記

多々少々

 

新たに注文した抹茶ラテとホットサンドが目の前に運ばれてきた。私は、今度こそ!と意気込むようにまずはその光景を写真に収め、

続いてラテの香りを楽しむ。抹茶は抹茶なのだがミルクが入ってるからか甘めな香りが漂う。これが本場のお抹茶との違いであろう。

だがお抹茶はあの苦い香りが良きポイントで、それが狭い茶室でとなると良い意味での渋さを生む。抹茶好きとしてはこの上ない環境

だ。そんなloverからしてみれば抹茶ラテというのは邪道にあたるかもしれないが、私はそういうわけでもない。今いるこのカフェ内に

響き渡るのはジャズ系やカントリーミュージックがほとんどで、そうした軽やかな環境下で飲むにふさわしいのはお抹茶ではなくラテ

だと思う。つまり、抹茶が入っていて環境が似合っていれば私の求める条件は出そろっているということだ。「君は本当に抹茶にこだ

わっているのか?」と愛好家から叩かれるかもしれないが、私は自分自身が満たされれば、幸せと思えればそれでいいと思っている。

それは「抹茶そのものを好むことこそが愛好家の証だ」という考え方が絶対的多数派というわけでもなくその逆もあり、人が人を分類

することはできないからである。

 

さ、香りで字数稼ぎをしたところで肝心の味はどうであろうか。マグカップを口元に近づけ香りを堪能しながら一口ふくむ。舌先に泡

が到達し、そのあとに液体が入ってきた。ホットを注文したが猫舌の私でも許容できる範囲の熱さで、味のほうは苦みのないクリーミ

ーな抹茶だったが、ところどころに粉末を感じる。溶け切っていないのか、それともそういう演出なのか、私のバカ舌では捉えること

ができない。だがそれでもクリーミーで飲みやすいながらにお抹茶茶碗の底にたまるあの粉感も味わえるという意味で抜群のお味だっ

た。だが昨今抹茶ラテの味など誰もが読まずとも想像できるだろう。ただこれが古代や中世となると話は別で、その時代に私が存在し

この日記を記せば間違いなく有名人になるだろう、という妄想はまたラテに溶けて消えてしまう。

 

さぁさぁ、ホットサンドはどうだろうか。味はハニーチーズで300円にしては豪華すぎる量。これは生粋の大阪人である私も黙っち

ゃいない。多分ここは営利目的ではないのだろうなと店主の雰囲気からも見て取れる。そんなことを考えながらも一口かじると、サク

ッという音とともにあつあつチーズがとろっとあふれ、そこから何度か咀嚼するうちに蜂蜜のスウィートな味わいも出てくる。あー、

いかにもグルメリポートにおいて王道中の王道ともいえる簡素な表現だ、語彙力が無さすぎる。ただそれにしても、なんという出来具

合だろうか。大阪のカフェでもこれほどのクオリティはなかなか出せないのではないか。周辺のお店もこれを見習ってほしいものだ、

とまた一口。そしてラテを一口。甘いものに甘いものと明らかにコンビネーションはよろしくない。幼少期によく家族で食卓を囲んだ

際、出てきたフルーツ数種類の食べる順番についてあれこれと悩んだことがあった。なぜなら甘いものを先に食べれば次のフルーツの

甘さが消えてしまうからだ。まぁその時は両親に言われるがままに食していたが、この度は違う。ただ実はこれは私の戦略で、ホット

サンドを食べた後に抹茶ラテを飲むと確実にラテの甘味は消えてしまうが、抹茶特有の渋みや苦みは残る。それを味わいたいから私は

あえてその道を選択した。この選択は多々あるのか少々なのかは不明だが、たとえ少々だとしても自分が幸せだからそれでいい。

 

これまで既にメジャー化したものでさえ最初は皆少々の選択から始まったのだ。そうして徐々に多くの支持を集めて大成したわけだ。

今はフォロワーもいないだらだら日記を書く私だが、いつか多くの人から読んでいただけるような日記や本を書けるようになりたい、

この多面性日記はその序章に過ぎない。

 


多面性日記 ~人というのは凸凹道をいくもの~

2024-02-29 15:33:06 | 日記

抹茶ラテ

私はとあるカフェで今パソコンと相対している。そのそばにあるのは抹茶ラテ。ここのカフェオリジナルのマグカップに注がれてい

る。量はそれなりに多く、とてもワンコインで済むものとは思えない。だが客の私からすればそれはむしろありがたいことである。ワ

ンコインで多量の抹茶を摂取することができるのだから。ただ表現の仕方がサプリメントか何かのようで少し誤解されるかもしれない

が、「摂取」という言葉を使うほど私は抹茶が好きで、「好き」の範囲も通り越しているかもしれない。思えばいつからだろうか、こ

れほどにまで抹茶にこだわり出したのは、と思い返してみる。と、小学四年生の運動会の昼食時が記憶に現れ始めた。運動会の昼食は

大抵ブルーシートを引いて家族や親戚で食卓を囲むというのが一般的だろう。しかしそんな集団の中で私は茶道道具でもってお茶を立

てていた。傍から見れば異様な光景であろう。騒がしく陽気な「運動会」という場で静観や落ち着きを求むる行動をとっているのだか

ら。しかし、そんな状況でも私は気にせず、立て続けていた。ということは、この頃にはすでに抹茶loverは確立されていたのだろう。

となると、一体どこまで遡ればいいのだろうかなどと、そんなどうでもよいことを考えながらマグカップを持ち上げる。「あれ、軽

い?」カップの中を見ると、ラテは底をついていた。私は昔をたどるほんの5分程度でワンコイン分の抹茶を飲み干していたのだ。「あ

ーあ、飲み方を間違えた。初心忘るべからず、小学4年生の頃の落ち着きある飲み方を思い出せ」心の内でそう呟きながらも、気づけ

ばレジ前にて抹茶ラテとホットサンドを即座に衝動買いしてしまっていた。