宝生久弥 Hisaya Hojo

答えを出すこと、きっと全てではない

一瞬の描写を思い出すときがある。それは、においだったり、音だったり、見るものだったり味だったり。すごくいとおしいものが記憶だと思う。あの瞬間にもどりたい。もどれない時間に人はいとおしさを考えるんだと思う。心からその瞬間に戻りたいと思ったら、戻れるのならいいのに。

世のなかのいろいろなものに答えを求めすぎるということは、ある種の不幸なのかもしれない。答えを出すことは、きっと全てではないし、真実を知らないことの美しさもある。

幼い頃の実家の居間を思い出す。あたたかい風景。素直な気持ちになれる。においも思い出せる。やすらぎがある場所。未来を空想する時間を思い出す。

音楽を作っているときに頭に見えている日がある。僕の祖母の家の居間で親戚が語り合っている風景だ。あと、会社を辞めるか辞めないかの頃、自分の軽自動車で中島美嘉さんのDVDを観ながらドライブしていたとき。やけに色のない夢を見る。

なんか色の見える、絵を描くような音楽を作りたい!曲を聴いただけで、見える景色、戻れる時間、たいせつ。たくさんの人にとっての、それぞれのための景色に戻れるような音楽がつくりたい。

地球が幸せがなくならない場所であってほしいと思う。自分の立場的にとか、お上がどうとか、左だ右だとかそういうことではなく、ただひとりの人間として、それを思う。

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