地下鉄「御池」近くの銭湯。
銭湯なんて何十年ぶり、たまにはいいものだと感慨に耽る暇はない!
ここには平生昌の邸があった。
生昌は定子の秘書的役割の貴族だった。天皇に愛されいる定子の側に使える自分の将来は明るいと鼻息荒くしていたところ急降下でお先真っ暗。納言は枕草子に生昌のことをボロクソに貶している。
出産は実家で産むこととなっているが定子には実家はない。母は没し兄弟は流罪。慕っていた貴族や女官たちも近寄らない。ロバート秋山も日記に出家の身で出産などと批判。
道長は出産は生昌屋敷でと命じた。
定子は自分は死ぬだろと悟った。
生昌は流罪の途中でコッソリ京に戻った伊周のことを道長に伝えた男。
生昌は何故自分の邸なのか、考えた。
道長は生昌の精神状態、出世欲を見抜いていた。
定子は第三子を出産、翌る日亡くなった。
死を予感していた定子は天皇へ辞世の歌を残していた。
色々考え、長い時間湯につかっていたので
湯当たりしながら思った。
生昌邸跡の銭湯
定子の実家跡
納言が初めて定子に会ったサロン跡