今日、入院中の松本の義兄を見舞う足を延ばし、前から行ってみたかった、上田市の郊外の小高い森に囲まれた美術館「無言館」を妻と訪れた。駐車場から木々の風景を楽しみながら少し坂を登ると、ちいさな美術館がある。ここは、絵描きとしての志半ばにして日中戦争・太平洋戦争で戦没した画学生たちの作品が展示してある美術館。上空から見ると十字架の形をした建物の入り口は個人の住宅のドアほどの小さなもの。そのドアを押し、館内にはいると薄暗い照明とひやりとした空気を感じる。展示された多くの作品、ガラスケースの中の遺品や手記、手帳、家族や愛する人に当てた手紙の数々。それらを拝観している自分はこみ上げるものが止められず、直視できない。作品としてはそれは未熟で完成度もまだ認められないものが多いが、その絵たちに刻み込まれた命がある。その命は決して恨みもなければ悔しさも感じられない。出征の時間、5分前でも最後まで描いていた。という記事も目に入る。ここで止めどなくかんじる命はなんだろう。おそらくこの無言館に残された作品の作者たちはほんの一握りに過ぎない。名も知らされず、戦没し逝った多くの若者(20代、30代)たちがいることを思い知らされる。
この美術館の設立に嘲笑や非難の声もあるという。しかし、遠方より思いを重ねて訪ねる老人たちもいる。今日、ひとつひとつの絵の前に手を合わせ、見つめるおじいさんの姿があった。止まない思いがそこを離れなかった。
浮かれている自分を感じたら、またここに来よう。飯田から車で2時間ほどの僕の懺悔の場所として。
この美術館の設立に嘲笑や非難の声もあるという。しかし、遠方より思いを重ねて訪ねる老人たちもいる。今日、ひとつひとつの絵の前に手を合わせ、見つめるおじいさんの姿があった。止まない思いがそこを離れなかった。
浮かれている自分を感じたら、またここに来よう。飯田から車で2時間ほどの僕の懺悔の場所として。
月ヶ瀬ライブではありがとうございました。月ヶ瀬は信州とよく似ていて、いっぺんで好きなところになりました。毎年行くことができたらいいですね。
そうですか、偶然にも同じ日に、同じ場所をすれ違ったのですね。
時間的には僕等は午後1時頃だったと思います。
重たいけど、僕たちが忘れずに歴史の残した無惨な傷跡をあからさまにしていかなければいけないと思いますね。
日本人の誰もが一度は訪ねてほしい美術館ですね。広島、長崎、沖縄とその傷跡を認識する場所はあるけれど、この無言館はまた違った意味で僕たちに生きることは何か、文化とは何かを教えてくれるところですね。決して悲惨さだけではなく一途に生きた人たちの魂を感じることができるんですね。こみ上げるものがあるのは僕等が正しく生きている証になるかも知れませんね。
ミクシのお仲間に加えてください。
8月にライブをされた奥本さんの上の家に住んでいます。
奥本さん、たるみごーごーさんとは友人です。
たるみごーごーさんとはマイミク仲間で、昨日の私の日記を読んで、私も無言館に行ったことを知り、雑貨店主さんの日記を教えてくださいました。
実は、私も9月18日に無言館に行きました。
偶然とはいえ、たるみごーごーさんからの繋がりの深さを感じました。
そんなわけで、失礼を省みずコメントを書かせていただきました。
無言館
深くて重かったです。
雑貨店主さんと同様、総理は靖国に行く前に、無言館に行って、彼らの遺作をひとつひとつ見つめて欲しいです。
再び日本を戦争の道に進まないように行動を起こす事が、彼らの思いに報いる事ではないか・・・と切に思いました。
でも、私に何ができるのだろうか?
何度も自問しつつ、奈良まで帰り着きました。
よろしければ、マイミクのお仲間に入れてください。
いんげんさん>
飯田の方まで来られる手段と機会があるなら一緒にいきましょう。
ご案内します。
僕が思うのは、画材も描く時間も限られ、さらには国家に命の権限まで奪われてもなおも描きたい、描いていたいという欲望は、絵でも音楽でも詩であろうとも同じなんだなということです。
今でこそ浴びたい放題の音楽と感じたい放題のエッセイが日本中にあふれている。僕には、それがよいことと思えないのはあの時代に、あの戦時下でも自分の感性を描き続けていた人たちがいたということです。自ら湧き出るものこそが絵描きの魂として一画のキャンバスに表現されていたということです。
それに僕等はあの悪しき(歴史からみた)時代を踏み台にして平成を生き延びていることを忘れてはいけないな。と思いました。
時の総理よ。アジア諸国の排日の目を真っ向からはねのけて靖国に行くくらいなら、どうか「無言館」の木のドアを叩いてほしい。
あなたが思うほど傷は癒えてない。
僕等はまだアメリカ人の捨てた板チョコのかけらを影でうれしそうに舐めているのだよ。
こみ上げてきました。
私もいつか行きたい。しっかりと受け止めたい。
そう思います。
以前にTVで見て、、
ぜひ、、いつか行きたい美術館でした。
まさしく、、自分が浮かれだったときなど、、
戒めの想いになって行くべきやろう。。と感じて
いたので雑貨店主さんの想いがよくわかりました。
しかし、、、
命を絶たれる前の絵や文章や、、、
そのものが、、忘れちゃいかん<形見>の姿
戦争の姿、、たるみも
その<絶たれた命>の前で、、、直視できるかどうか、、、でも、、いつか行きたい<無言館>