特設病院船高砂丸ーそれはかつて内台航路の定期船として9300トンの巨体を平和の海に■ひしいていた。昭和16年、太平洋戦争とともに病院船として海軍に徴用され、2回の攻撃に耐え、終戦を迎えて引き続き上海から高雄から塘沽から葫蘆島からと心傷つき病む体の引揚邦人を温かき故国へと運んでいる。6日高砂丸は徴用を解除され商船隊のメンバーに加入したが、この残された豪華船の姿を佐世保港に訪れた。
病院船ー白衣の天使と連想しがちなものには人々の心を震わせる感があり、純白の船体にくっきりと浮かび出た赤十字は目にしみるものがある。一歩船内に入ると■たてられた金属製(?)の手術台が3つ並んだ手術室、石炭巻き上げ機の音響に震える■病菌試験室、冷酷な■科学性、引揚者によってしみついた■異臭との現実(?)である。
この船には今まで医官3名、薬剤官1名、元海軍衛生下士官兵1名、赤看●日赤看護婦四一名が乗り組む故郷への帰りを急ぐ病む引揚者へ救護の手を差しのべてきたが、重症患者が多く、3日間に40名もの死亡者を出したこともあるという。そのためか他の引揚船に見られない施設として死体焼却場が後甲板にあり。その他病室ごとの治療室が型通りあるほか1日1800の細菌検査可能の病理試験室、豪華さの失われたこの船で唯一の立派な手術室、100人を収容する伝染病隔離室等が主な施設である。
「また各地からの引揚者を運んでいますが葫蘆島からの引揚者に現地の病院を買収して病院船が楽だというので偽の患者が偽名で乗ってくるのが多くこれを見分けるのが一仕事です。現に1500人の乗船者中、内地へ還って国立病院へ送られたものは200人でしかない」
「最後まで病院が頑張っていたためか、台湾からの引揚で高雄陸海軍病院からの患者が一番綺麗でした。それに比べて葫蘆島は身なりだけは可哀想です」 「患者食の苦労がだんだん増えてきます。ミルクもついに今度の航海でなくなったし、無塩食を作るにも無塩醤油はなしで蒸しパン果物等で代用しています」 「病院船にも米の危機で最近は三度の食事のうち一度は携行食乾パンを混ぜるようになりました」と船の人は船の近頃の 院長の入っているかつてのバス付き特別室を除いてはどこにも豪華船の名残すらも見いだせない。重症患者の入る三等船室はかつての三等船室以下の汚れ方であり美しい長いドレスの裳裾のまとわりついたあろうホールの飾りガラスも破れたまま。装飾品を取り除いたホールに畳をひいて寝る引揚者の肌を冷やさせ送風口となったままである。しかし病院船に夢を求める方が間違っており、この現実の汚さこそは引揚者の困苦の表現であろう。引揚者の持つ尊い汚さがこの豪華船を汚したものならそれが不潔と言えるものでも受け入れねばなるまい。臭気と汚濁こそは我々自らが得た日本の姿でもあるからー紺碧の空と海にくっきりと浮かんだ白い船に捨てがたい懐かしさを感じて船を去った。(鈴木記者)