i.tes_Photo

携帯でとった写真をUpします。
小さい個展。。

プチ旅行 -- 神島 --

2005-05-03 23:25:36 | Travel
今日は早起きをして、神島へプチ旅行(笑)。。
三島由紀夫の『潮騒』で有名な神島へ。。
8時前に鳥羽から高速船で行ってきました。
波がすごかったけど、なんとか到着。。

小さい島なので歩いて島中を散策。。
坂道や階段ばかりでいい運動に。。明日は筋肉痛かも(笑)。。

写真もいろいろ撮ったけど気に入ったものがなかった。
この写真は神島灯台。
潮騒でも登場したらしい。。

お昼は今日も贅沢に海の幸。。
アワビに伊勢エビにサザエにお刺身。。
でも安かった。。
大満足。。

最終の船が15:30なのでそれに乗って鳥羽へ。。
プチ旅行もいいですね。。

Travel in 1997 -- フランス〔パリ〕編 Part 4 --

2005-01-26 17:38:50 | Travel
みなさん、最後まで読んで頂きありがとうございました。
下手な文章でありましたが、読み返して、当時のことが浮かんできます。
また行きたいものです。

最終回楽しんでください。


4月4日(金)
今日で僕の一人旅も終わりだ。振り返ってみるといろいろとあったなぁと思いにふけってしまう。あとは無事に日本に帰るだけとなってしまった。
さて、今日のことを書こう。昨日の夜は、なぜか2回も目が覚めてしまった。2回目は6:30ぐらいにだ。もう寝れなかったので、ここから出発の準備を始めた。忘れ物がないかチェックしてこのドミトリーに別れを告げて、日本へ向けての第1歩を踏み出した。7:30ごろにドミトリーを出たのだろう。それからまたまた1時間くらい歩いて北駅まで来る。でも本当にこの旅ではよく歩いたと思う。それから改札口で空港までのキップを買い(46.00F)列車に乗る。
その列車の中で、ギターとハーモニカを演奏してくれるおじさんがいた。とてもよかった。今までの旅行のことがいろいろと頭に浮かんできて、その音楽とマッチし、その歌が自分への労いの歌のように聞こえて、涙が出そうになった。そしてよかったのでチップを払った(2.00F)。本当によかったので、これくらい払った。そして空港の駅に着いたけどよくわからないので、自分の空港券を見せて、どこに行けばいいのか人に尋ねた。その人も優しい人で、いろいろと教えてくれた。「バスはタダだ」とか「こちらが違っていたら、こっちに行け」とか、最後にはバスの乗り場まで教えてくれた。そして、目的のバスに乗り運転手に聞いたら、「前のバスに乗って行かなければならない」と教えてくれた。本当に親切にしてくれて嬉しい。前のバスに乗り、空港に行き、チェック インカウンターがあるところに着く。空港内もとっても広くてまったくわからない。空港のInformationに行くけど、フランス語しかしゃべってくれず何を言っているのかわからなかった。しょうがなく歩いていると僕が乗る飛行機会社のチェックインカウンターがあり、そこで時間がくるまで待つことにした。
時間が迫ってきたので、チェックインの手続きをすませて、乗り場に行くことにした。「今日の飛行機は自由だ」と言われびっくりした。どこに座ってもいいらしい。飛行機にもこんなことがあるのだと初めてわかった。そして免税店で最後の土産を買うことにした。土産は家族のものと、あとは友達の物だ(456.00F:カード+70.00F)。ここでもカードを使う。それと残っていた札も使う。
そのあとで、家に最後のTELをして、父さんに「あと少し気を引き締めて、気を付けて帰ってこい」と言われた。それからX線チェックを受けて、何もなく通ることができた。ここで、鞄の中に入れていたリンゴが転げ出てきて、女の係員と一緒に笑った。まぁ、和やかな一時だった。そして搭乗ゲートに行くけど飛行気の準備が 遅れているらしくて30分くらい待たされるはめに。40~50分待ってやっと飛行機に乗ることができた。飛行機に乗って「自由だ」と言われたのがわかった。客があまりいないからだ。席もかなり空いている。人が少ないのでとても快適。結局、飛行機は1時間ぐらい遅れて動きだし、飛び発つことができた。今はパリの町がかなり下になったのだろう。やっぱり飛行機の加速はすごい。しかも今回は揺れもすごい。この揺れは最初だけだったけど。このFlightは大体5時間くらいでモスクワに着くらしい。少し休もう。

20:17
19:30ぐらいに無事モスクワに着く。再び時計を2時間進める。
トランジットもすんなりすませて、また出発まで、3時間ぐらい待たないといけない。3時間くらいはすぐだろう。トランジットをすませていると、日本人の女の子が寄ってきてトランジットのことでいろいろ聞かれた。彼女も大阪へ行くらしいけど、手続きがうまくいってないらしい。少し相談されたけど、僕には何もできない。そして別れて数分してからその子が来て、「手続きがうまくいった」と報告に来てくれた。
今は座って時間をつぶしている。


4月5日(土)
01:29
ドリンクサービスも終わり、2度目の機内食も終わった。今回は夕食ということもあり、とてもボリュームがあった。これもおいしかったけど、時間感覚がなくなってくる。食欲の次はやっぱり睡眠をとりたい。
そろそろ眠くなってきたので、今日のところはこれで終わりにする。
明日は日本に着く!!

05:26
最後の日の朝を向かえた。飛行機は今どこを飛んでいるのだろうか?わからない。あと4時間ぐらいで日本に着く。今回は初めて、窓側の席なので、外を見ることができる。写真も何枚か撮ったけど、カメラの電池の問題で、ちゃんと写っているのかわからない。飛行機の中でも寝たけど、不十分!!今はとても足を伸ばして寝たい。飛行機の中は、少し暑いし、狭い。早くこの空間から解放されたい。というより早く家に帰りたい。かなり疲れがピークに達しているのだろう。体力的にも、精神的にも。
飛行機の外の様子はとてもいい天気。雲の上を飛んでいるからだろうか?雲も1つもない感じだ。ここから地上が見えているからなぁ。でもどこを飛んでいるのかがわからない。山とかには、雪だろうか?白いものが覆っているし、川も白い。ひょっとしたら氷で凍っているのだろうか?早く海が見たいなぁ。
本当に後少しで、僕の旅も終わってしまう。なんだか寂しいが、早く家に帰りたい。昼食はまだらしいのであと少し寝ようかなぁ。

16:00
時計が日本時間だけのものになった。そう、無事に日本に帰ってくることができたのだ。飛行機は10分ぐらい遅れて着いた。飛行機に乗る前に、あの彼女から、「2、3週間前に、アエロの飛行機は墜落した」というニュースを聞いたので、本当は着くまでドキドキしていた。でもそんな心配とは逆にちゃんと着いてくれたのでよかった。空港に着いて、入国の手続きもすぐにすんだ。やっぱり言葉が通じるというのは素晴しいことだ。そして、僕の場合は免税の範囲を越えてなかったのでその手続きはしなくてよかった。
空港を出て、電車で難波まで来る(890円)。空港から離れたことで、本当になんかの重圧から解放されたって感じだった。そして、近鉄の乗り場に来てキップを買った(3,690円)。でも一度、上本町まで行かなくてはならなかった。そして上本町まで来て、家にTELして迎えに来てもらうようにした。そして風呂も用意しといてもらうように頼んだ。大阪も沢山の人がいるので疲れる。


4月6日(日)
00:42
近くの駅までは少し眠れた。でも、横になって十分眠りたい。そして、時間がやけに長く感じた。今まで、何時間も待っても平気だったのにこの数分という時間に我慢できなかった。そして駅には着くが、また乗り換えの電車を待つときも長く感じた。それから20分ぐらい電車に乗り、18:47の地元の駅に着いた。ここまで来るのに本当に長かった。
駅から出ると、母さんと弟が迎えに来てくれていて、笑顔での再会。2人ともがとても嬉しそうだった。僕も嬉しかった。それから車に乗り、家族の待つ家へと向かった。車の中では、いろいろな話しをする。楽しかったことや、苦しかったこと。やっぱり、母さんや父さんたちはとても心配していたらしい。でも、無事に帰ってくることができた本当によかった。
家に着くと、おばあちゃんがいて、父さんは用事でいなかった。弟も車の中ではいろいろな質問をしてくる。やっぱり嬉しかったのだろう。でも、家に着くと、土産のほうに神経がいっているらしい。すぐに袋の中味を見たがっている。
みんな僕の帰りを待ってくれていたらしく、夕食を食べてなかった。でも先に食べてもらって、僕は風呂に入ることにした。今までずっとシャワーだけだったので、湯につかるのも嬉しかった。この旅の疲れを少し癒して、湯の中で自分だけの時間を心行くまで楽しんだ。この旅行で体重は56kgまで落ちた。そして、1ヵ月ぶりの家庭の味をお腹いっぱいになるまで食べた。そうしていると、父さんも帰ってきて、お互いに握手をして再会を喜びあった。握手をするなんて、少し外国の習慣になれてしまっていた。
ご飯も終わり家族団らんとなりまずは旅のハプニングや思い出話し、そしていろんな人との出会いなどの話しをした。地図でルートの確認などして、思い出したことを次から次へと話していった。
それから一息ついて、みんなに買ってきた土産を渡すことにした。とても喜んでくれたのでよかった。
そして家族みんなが心の底から心配していてくれたことに心から感謝し、この旅の成功を家族みんなで喜んだ。
この旅行では、いろいろな人に会ったり、いろいろな人に助けてもらったり、沢山の貴重な体験ができたと思っている。また目標でもあった『自分を見つめ直すこと』もできたと思うし、自分という人間があそこまで強いということもわかったし、反対に、弱いところなんかも見れたような気がする。本当にこの5週間の旅は僕にとってプラスになったと思う。これからまた現実の世界に戻り、大学生活でもこの経験を生かしていきたいと思っている。また1つ1つの都市についてもヒマをみつけ、写真ができてから思い浮かべて書いてみようと思う。また住所を聞いた人たちには後で手紙を書こう。世界各国に友達ができたのも嬉しい。
そして、沢山のいい体験ができたことと、無事に帰ってこれたことに感謝したい。最後に家族の協力にはとても感謝している。
”どうもありがとう”
今日は嬉しさのあまり寝るのが遅くなってしまったが、これから十分睡眠をとって明日1日ゆっくり過ごして、あさってに松本に帰ることにする。そして、新しく始まる大学生活を楽しく過ごしたいと思っている。写真も早く現像したい。

それでは5週間お疲れさまでした。
ここらで、この旅行記も終わりにしたいと思う。

                 Good-Bye , and Good Night!!

Travel in 1997 -- フランス〔パリ〕編 Part 3 --

2005-01-25 23:32:04 | Travel
どなたか教えてください(笑)。。
最近空気が乾燥して、唇も乾燥して大変です。リップぬってますが。
爪も乾燥して割れやすくなって割れちゃいました。どうすればいいのかなぁ?


それでは今回はパリでの最終日。買い物編です。。
明日が最終回です。


4月3日(木)
12:24
父さんの文房具を買った(140.00F:カード)。初めてクレジットカードを使った。とても簡単だ。癖になりそう。でもこのカードは、この旅において最終手段であった。今まで使わなくてよかった。というより、使わざる得ない場面に出会わなくてよかった。
それから家にTELして少し母さんと話しをする。やっぱり少し心配してそうだ。でもあと少しでその心配も解放させてあげれそうだ。
お腹も空いたので、レストランを探す。セルフサービスのレストランがあったので、そこで昼食を食べた(79.90F)。やっぱりこういうのがあるととても助かる。自分が食べたい物を食べたいだけ食べることができるし、一番いいのは、わからない言葉を話さなくていいからだ。とても満足!!とてもおいしかった。食べたあと少し休んでいると、女の人が来て相席をすることになってしまった。見るからにキャリアウーマンだ。かっこいい!!
そろそろ次の土産でも買いに行く。今日はここだけでよさそうだ。

15:30
やっぱり悩んだ。いろいろ見ているとなかなか買えない。上の階へ行ってみたり、下の階に行ってみたりと動いてばっかりで、本当にどれがいいのかわからなかった。でもなんとか決めてめぼしい人の土産だけは買うことができた(370.00+200.00+265.00F:カード)。すべての土産が自分の趣味だけで選んでいたので、気に入ってもらえるかが少し心配だけど。ここではやっぱり、自分のほしいものが知らないうちに増えてきている。そして最後には自分の物が一番多くなってしまったような気がする。ここもすべてカードで払ったので、どれくらいのものなのかという感覚が全くなくなってしまっている。これがカードの恐ろしさなのだろう。本当にこれは癖になったら危険なものだと思った。
これで今日の仕事は終わったので、また歩いて帰ることにした。途中で露店で絵を見たり、絵はがきを見たりして、露店を冷やかしながら歩いて行くと、昨日見た絵を見つけたので買うことにした。この絵には、少し引かれる物があったので、ついに買ってしまった(35.00F)。それから紅茶の専門店も見に行ったが、どうもここは土産物じゃあなくて、飲ませる喫茶店のようなものだったので、入るのを止めることにした。店の場所はちゃんとわかったのだが……。
それからもう地図を見なくてもドミトリーまで来ることができた。毎日、同じ道を通っているので、知らないうちに覚えてしまったのだろう。
ドミトリーに着いても17時までは部屋に入ることができないので、コーラー(8.00F)を買って机のところでこれを書いている。今日もよく歩いた。今日気付いたことだが、オペラ座の周りは、日本にいるのだろうという錯覚に陥るくらいすごい。なぜなら、あちこちに日本語があふれているからだ。たとえば、「両替」、「免税店」、「ラーメン」とかである。中でも一番驚いたのが「激安」という文字!!これを見たときはすごいと思った。それにやっぱり日本人は多い。今日行ったデパートにでも日本人はかなりいたと思う。地球の歩き方にも書いてあったけど、オペラ座の辺りは日本人の観光コースなのだということがわかった。それと、今日は何かあったのだろうか?警察官の数の多さもすごかった。帰ってくる道にも何百人もの警官を見た。パトロールにしてはあまりにも多すぎる。きっと何かあったのだろう。でも、パリはとても歩きやすいところだし、安全なところだと思う。店の人たちもとても親切だし、とてもよくしてくれたので、こちらもとても気持ちよかったけど、すべてがフランス語なので、何を言っているのかわからなかった。でも楽しかった。

19:50
あれから少しボーッとしていると、何人かここに集まってきた。何回も書いているが、このドミトリーはとても居心地がいい。レセプションの人もとてもいい人たちばかりだ。今まで泊まってきた中でも、かなりいいランクにいるのは確実だ。でもこことも今日1泊して終わりだ。明日の朝にはもう出て行かなくてはならないのだ。そして日本へGoだ!!話しが違う方向に行ってしまったが、何人か集まってきたので、レセプションのお兄さんが、17時になる前にもうO.K.にしてくれて、みんな部屋に入ることができた。僕も鍵をもらって部屋に行き、今日買った物と、さっきまで下でしていた今日の会計を見ながらチェックしていた。夕食にはまだ早いし、これと言ってすることがないので、町に繰り出すことにした。行ったところはパンテオン。ドミトリーからは近いこともあったからだ。ここは、もとは聖堂だったが、今は国に尽くした偉人たちの埋葬所。地下のクリプトに眠っているのは、ルソー、ユゴー、ゾラ、ミラボーなどそうそうたる顔ぶれ。今回は、道に迷ってしまった。結局ノートルダム寺院のほうから遠回りするはめになってしまった。パンテオンに着くけど、もう中に入ることはできなかった。でも外から何枚か写真を撮った。カメラの電池が少し心配。ここで、僕が写真を撮っていると、写してほしそうにポーズをとる大学生らしい人もいた。これはどこでも同じだと思った。そして来た道を戻り、ドミトリーの近くで、パリ最後の夕食となるレストランに入った。まだ、準備していたらしくて、無理そうだと思ったけど、店の人がO.K.してくれて席に着くことができた。席に着き、メニューを渡されたが、まったくわからないので、こちらでいうメニュー(定食)を食べることにした。地球の歩き方にも書いてあったように、実はこのメニューねらいでレストランに入ったのである。レストランも雰囲気もよく、客は僕だけだったので、のんびりと決めることができたような気がする。
まずは、パンが何個か出てきて、サラダへといき、次はメインの料理、それからデザートへいき、最後はコーヒーだった。ここでレストランの様子を書くことにする。まずは店の人に案内されて席に着いた。それからメニューを渡されて、食べたいものが決まったらウェイトレスを呼ぶ。僕はメニュー(定食)を選ぶがここでも前菜がいくつもありその中から1つ選ばなければならない。僕はサラダを選び、次はメイン料理。これもいくつかありその中から1つ選ぶ。そして僕はビーフストロガノフを選んだ。そして一度ウェイトレスがさがってパンと飲み物を持って来てくれた。飲み物はミネラルウォーターにした。ワインを飲もうかと思ったけど、1本も飲めないと思って今回はパスした。友達と来ていたら頼んだけど。そして、前菜メイン料理が終わると、再びメニューを持って来て、今度はデザートを選ぶ。これも同様に1つ選ぶ。僕はバニラのアイスを選ぶ。最後にはコーヒーを出された。これもウェイトレスが聞きに来てくれて、コーヒーを選んだ。このコーヒーは苦かった。これだけのものが食べれたのでとても満足している。わけのわからないものを頼むより、こうした物のほうがいい。そして会計をしてもらって、チップを渡して出た。ちゃんとお礼も言った。とてもおいしかった。最後の夕食にしては十分なくらいだ。今回のが1番贅沢だったかなぁ(130.00+10.00F)。それからスーパーに行き、明日の朝食のリンゴを買う(3.30F)。明日の朝は、パンとリンゴになりそうだ。あと、残っているポテトチップスと。今20時をまわっているが、まだ外は明るい。日本の18時くらいの明るさだ。少しゆっくりしてからシャワーを浴び、それから帰る準備をすることにしよう。

22:29
シャワーを浴びて、ひげも剃った。これが今回の旅行で最後のシャワーとひげ剃りとなってしまった。部屋に戻って不必要なものを片っ端からすべて捨てることにした。T-シャツもほとんど捨てた。これは捨ててもいいようなものを選んで持って来たからだ。シャンプーやトイレットペーパーはこの部屋に置いていくことにした。誰かが使ってくれればいい。そして、鞄からすべて物を出して、本当に必要なものだけを鞄に詰める。そうすると、かなりのスペースが空いてきた。土産も整理して、詰め直す。いらなくなった本は、これから旅をする日本人の子にあげた。おとついの日にこの部屋に入ってきた子だ。これからスペインへ行くらしい。がんばってほしいものだ。僕のことも少し気にかけているらしくて、「今日で終わりですね!!」と話しかけてくれた。今はシャワーにでも行っているのだろう。それから明日の予定をチェックして寝ようと思う。十分睡眠をとろうと思ったけど、かなり遅くなってしまった。明日は8時過ぎに出発しよう。
明日で終わりというのは、嬉しいような、悲しいような。
最後に再チェックして今日は寝よう。最後の夜なんで、いい夢でも見たいものだ!!

《宿泊場所》
 Young & Happy Hostel
   1泊:97.00F
   朝食なし バス・トイレ共同
    80 Rue Mouffetard 750005 Paris (M° Pl. Monge)
    TEL:01 45 35 09 53  FAX:01 47 07 22 24





Travel in 1997 -- フランス〔パリ〕編 Part 2 --

2005-01-24 23:45:43 | Travel
4月1日(火)
12:53
リコンファームも無事に終えることができたので本当に気分がいい。天気もいいのでよけいに嬉しい。
あれから凱旋門に行き中に入った(23.00F[学生割引あり])。そして階段を登って凱旋門の頂上へ。眺めは最高!!ここから見るエッフェル塔も最高!!頂上では本を広げて、20分ぐらい日なたぼっこをする。頂上から見て実感したけど、凱旋門はシャルル・ド・ゴール広場の真ん中に建っている。この広場からは12の道路が星のようにのびているので、別名エトワール(星)広場ともよばれている。
それから行くところを決めて、今はエッフェル塔に来ている。ちょうどこのベンチに座って右手の方にエッフェル塔が建っている。目の前には、、もうチューリップが咲いている。エッフェル塔には登らないつもりだけど、近くを通って次の場所に行こう。エッフェル塔は、89年には100歳の誕生日を迎えた。
今日はかなりの時間が残っているので、沢山楽しむことができる。やっぱり、ここには日本人が多い。凱旋門の所でも日本人に道を聞かれて、気分もよかったので、とても親切に教えてあげた。
写真ももっともっと沢山撮ろう。

15:42
あれからエッフェル塔の下を通り、何枚かの写真を撮る。この写真がきれいに撮れていたら拡大しようかなぁ。それからまた歩いてナポレオンの墓があるアンヴァリッドへ行く(27.00F[学生割引あり])。ここでも学割りがきいた。水も買った(12.00F)。そしていろいろな展示を見る。
次の目的地はグラン・パレだ。ここでの目的はプラネタリウムだ。最初は間違えて、パリ大学に入って行き、係りの人に止められ、少し話し納得してそこを出た。実は建物が同じで入り口が反対側についていたからだ。しかも、大学の係員が言うには今日(火曜日)は休みらしい。でも一応行ってみると、女の人が入り口の所で入ろうとしていたけどやっぱり閉まっていたらしく、僕が「Closed ?」と尋ねたら「Yes」と言って、休みだということを英語で説明してくれた。そして今はその近くのベンチにいる。目の前はシャンゼリゼ通りである。沢山の車や人たちが自分たちの目的にあわせて動いている。
これを書いていたら黒人の夫婦が、フランス語で道を僕に尋ねてきたけど、地図を見ながら英語で教えることができた。本当にわかったのかなぁ?少し不安だ。でもフランス語で「ありがとう」と言って行ってしまった。そして何分かしてもう一度さっきの夫婦が僕の前を通り、そのとき女の人が僕のほうを見て微笑んでくれた。フランスの人たちはとてもいい人ばっかりだ。とても人に優しく見える。だからこちらからも気軽に話しかけることができる。あと1ヵ所廻ってから、帰ることにする。

21:02
やっとゆっくりとこのノートを書くことができる。
コンコルド広場を見ながら写真を数枚撮り、再び歩いてここまで戻って来た。
帰る途中でまたフランス人の夫婦に道を聞かれたので、またまた地図を見ながら教えてあげた。そして、このドミトリーの直前にサンドウィッチ屋さんがあったので、そこでサンドウィッチとコーラーを買って帰った(17.00+8.00F)。そしてロビーの机のところで食べた。その机の所には日本人の女の子がいたので話しかけた。それで、しばらくその子と話してから近くのスーパーに買い出しに行く。そこで明日の朝食とお菓子を買って来た(33.30F)。そしてまたロビーのところに行くとまだ女の子がいたので、ずっとお互いの今ままでの旅行のことについて話しをしていた。その子は今日、日本に帰るらしく、買い物に行っている友達を待っているらしい。そして友達も来て3人で少し話しをしてから見送ってあげた。ひょっとしたら、人を見送ったのはこの旅行の中で初めてかもしれない。今まではずっと見送ってもらってばっかりだったからなぁ。それから部屋に戻ってシャワーを浴びて、荷物の整理をしてから今これを書いている。本当に今日はよかった。歩き疲れもしたが、なによりリコンファームのことが嬉しい。明日は筋肉痛になってるかもしれない。あと少し昨日のお金の計算をしてから寝ることにする。
明日もよく歩くぞ!!



4月2日(水)
09:29
今日は昨日の疲れのせいか、ゆっくり寝て、8:40ぐらいに起きる。少し体が痛い。よく歩いたせいだろう。でもこれも心地よい痛みだ。そして朝食を食べる。朝食もちゃんと食べたのも久しぶりのことだ。朝から食べるというのはやっぱり大切なことだ。朝食を食べながら今日の予定を決める。まずはノートルダム寺院まで歩くとしよう。その前に水でも買っていこうかなぁ。
さぁ、ラスト2日スタート!!

14:24
サント・シャペルのステンドグラスはすごかった。写真にも撮ってみたけどはたしてちゃんと写っているのだろうか。そして、帰り際に日本語のパンフレットをもらう。お兄さんは優しく日本語で「ありがとう」と言ってくれた。そしてここで地図をなくしたことに気が付いた。またドミトリーのレセプションでもらわないといけない。でも今日行くところは大体地図を見なくても行けそうなので、なんとか地図なしでやってみよう。帰りも帰れるだろう。
それからルーブル美術館に行った(45.00F)。行ったのはいいがすごい行列だ。30分ぐらいは並んでいて12時過ぎに入れた。それからまたX線のチェックがあり、ここも大丈夫だった。ここは学割りがきかなかった。45.00Fもしたけど、これぐらい取ってあたりまえだと出口を出たときにそう思った。
ここでも、日本語版のパンフレットがあり、それをもらって絵を見に行くことにした。でもとても広い。最初はどこにいるのかわからないくらいだ。係りの人に聞くがフランス語なのでまったくわからない。パンフレットを見ながら行くと慣れてきたので場所もわかるようになってきた。それからいろいろな絵をゆっくり見たが、僕には「すごい!!」としかわからなかった。
そして有名な『モナリザ』も見たけど、これには少しがっかりした。この絵はとても小さい。僕が思っていたのは、よく図書館などに飾ってあるくらいの大きさだと思っていたからだ。しかもガラスケースで覆われていた。写真も撮ったけどちゃんと写っているのかなぁ。少し心配。
それから、『ミロのヴィーナス』も見た。これは思っていた通りすぎて、これも感動はなかった。でもめったに見れないヴィーナスのおしりを見てきた。どんな写真でも『ミロのヴィーナス』は前からのものしかないから、後ろからのアングルの写真も撮って来た。これは珍しいと思う。そして、写真を撮っていると、カメラの電池が点滅を始めた。1ヵ月、毎日使っていたからしょうがないけど。よくここまでもってくれたことに感謝!!
そしてまだ見る場所はあったけど、もう見たいものがなかったのと、つまらなくなってきたのと、歩き疲れたので、出ることにした。出る前には、父さんの土産の本(120.00F)と絵はがき(20.00F)を買った。父さんには、ネクタイを土産にしようと思ったけど、やっぱり、本の方が喜ぶだろうと思って本にする。原稿の資料にしてくれれば幸いだ!!そして外に出て、今はベンチ。
これから昨日閉まっていたグラン・パレへ行き、プラネタリウムを見てゆっくりしよう。

18:10
プラネタリウムを見る前に、アイスクリームを売っていたのでそれを買う(10.00F)。イタリアでもそうだったけれど、こっちのアイスはこってりしていてとてもおいしい。そして下のコーンのところがパリパリなのもまたいい。このアイスを食べながらプラネタリウムへ急いだ。ここで失敗!!プラネタリウムだと思い入り、チケットを買ってしまった。そして係員に聞いたら「ここはプラネタリウムではない」と言う。そして何か話しかけられても、僕が理解できなかったので、係員はあきらめたのか、チケットとお金を交換してくれた。ここでもパリの人はいい人だと思った。そしてプラネタリウムの場所を聞き、確認しながら入場できた(30.00F)。でも今日のプラネタリウムはそれほどよくなかった。ドイツのようなものとは違って、すべて人がその場で説明して、それに合わせて映像が少しだけ変るというものだった。しかもフランス語の説明だから何を言っているのかわからないし、見学の高校生がうるさいし、あまりよくなかった。
それから両替をするために両替所を探したが、さすがパリ、あちらこちらに両替所があり、簡単に見つけることができた(US100$→478.00F)。それからパリの絵はがきを買う(12.00F)。その後また、歩いてここまで戻って来た。途中でほしい絵があった。もし明日もあったら買うことにしよう。
今から下へ行き、もう1泊したいということと、地図をもらいに行ってくる。本当なら明日は最終日なので、いいホテルにでも泊まろうとしたけど、やっぱりここは居心地がいい。だからもう1泊することに(97.00F)。

5分後!!

手続き完了!! 地図もGet!!
今から買い出しと夕食でも食べに行ってくる。


Travel in 1997 -- フランス〔モナコ→パリ〕編 Part 1 --

2005-01-23 22:12:48 | Travel
今日は昨日オープンしたアップル直営店に行ってきました。。
さすが、カッコいい。おしゃれです。。
僕が好きな空間でした。
でも、お目当ての『iPod shuffle』は売り切れでした。。
1日過ぎるとやっぱり厳しかったですね(笑)。

今日から最後の国、フランスです。


3月31日(月)
20:39
今日はとても疲れた。精神的に疲れている。まだとても重要なことが終わっていないからだ。それはリコンファームである。これをしないともしものときには、帰れないことになってしまうのである。
今日は、パリとかローマ、ミラノ、日本の支店にまで電話するがすべてつながらない。電話をするために、テレホンカードも初めて買った。電話をするために、何回もボックスに入り、何回もボタンを押した。でもつながらなかった。テレホンカードも何枚も買った。
ついでに何日振りかの家への電話!!かなり連絡が取れていなくて、家族も心配していたらしい。手紙もうまく着いていなかったらしい。でも、こちらとしてはすぐに電話を切って、リコンファームの手続きをしたかった。ともあれ、家族の連絡はこれでO.K.
本当なら、今日はモナコで1泊する予定だったけど早くパリに行くことにした。明日パリに着いたらさっそく日本にもう一度連絡してちゃんとしないといけない。このことが頭にあり、今日はとても疲れている。列車の乗り継ぎはうまくいったのだけど……。
モナコの方はとてもよかった。モナコというのは、バチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さい国だ。でも、リッチで華やかなイメージが思い浮かぶ。そのイメージを支えているのは高級社交場としてのカジノ、そしてグレース・ケリーが嫁いだことで有名な大公家だ。またもう一度来たいところだ。今度はゆっくりと2、3日は滞在したい気がする。F1のコースも30~40分かけて1周した。それも歩いて、しかも重たい荷物を持ちながらだ。
このモナコという国は一言で言うと「お金持ちが集まる国」とでも表現しよう。すごすぎる。それにこんなにUP DOWNのきつい所だということもわかった。モナコは本当にもう一度来たい国だ。最高!!
I LOVE MONACO.
ここでは、両替もしたし、土産も買った。両替には少し戸惑ったけどね。そしてここでも、リコンファームのためにパリに何回も電話したけど、まったくつながらない。
モナコに来るまでの地中海の景色もすごくよかった。もう泳いでいたりする人もいる。中には裸で肌を焼く人なんかもいる。海はエメラルドグリーンでとてもきれいだ。沖のほうには白いヨットが何そうも走っていて絵になる風景だ。今日の会計はよくわからないくらいにいろいろと使った。特によく買った物はテレホンカードだ。本当に今日は電話に泣かされっぱなしだ。
明日こそは無事にリコンファームをすませたい。今日もよく歩いた。
今日はこれ以上する気が起こらないので、明日ゆっくりと会計のほうもしたいと思っている。
でも、この寝台列車はいいのだろうか?後から追加料金を払わなければならないのだろう。車掌さんが来たら聞いてみよう。
本当に明日、リコンファームが無事に終わりますように。今日は本当に疲れた。



4月1日(火)
10:43
今の気持ちを一言で言うと「ヤッター!!」である。なぜなら、昨日からずっと気にかけていたリコンファームが無事に終わったからだ。昨日のモナコで1泊する計画を変更して早くパリに着いたのがよかった。でも最初は焦った。まずはパリに着いて、日本の支店に電話したけど、まったく取り合ってくれない。「自分でしてくれ」ってことしか言わない。なんて冷たいんだと思った。支店ならもっと連絡とかを密に取り合ってそれぐらいのことはやってくれてもいいのにと思った。しょうがなく、パリの支店にも何度も連絡したけど全然つながらない。だからまずは宿探しからすることにした。昨日からドタバタしていて、あまり調べてなかったので、駅の中で立ちながら、本を調べ、地図で場所を確認していろいろと調べた。もちろん値段のことも考えた。結局、今日の宿も、地球の歩き方に載っていた宿にした。駅(リヨン駅)から宿まではかなりの距離あったけど、いつも通り歩いて行くことにした。地図も簡単なものしかなかったので少し心配だった。細い道に入って行くとそれらしい建物が見えてきたので少しホッとした。朝早かったこともあり、予約なしでも泊まることができた。建物は古そうだけど、店の人や雰囲気なんかはとてもいい感じだった。ここでは2泊(194.00F)する予定だ。YHよりは高いけど、ホテルに比べたら安いのでO.K.だ。
荷物を宿に預け、市内の地図をもらい、地図でアエロフロートのパリ支店の場所を宿の人に教えてもらってその場所に行くことにした。支店は、シャンゼリゼ通りにあるらしい。シャンゼリゼ通りはコンコルド広場から凱旋門に向かう道だ。
ここでも電話BOXがあるとすぐに入って連絡をするがまったく通じない。そしてまた歩く。その繰り返しをかなりの数しただろう。
ある程度歩いて行くと、支店の看板が見えてきて、中に入り人がいたときは1回目の感動。そして、リコンファームがO.K.になったときはこの2日間で最大の感動だった。店の女の人は日本語をしゃべってくれた。僕がため息をつくと、にっこりしてくれて、フランス語で「ありがとう」と言ってその支店をあとにした。これでちゃんと日本に帰れる。そして、嬉しくなり家にTELする。少し長い電話となってしまった。
すべてが終わると、一気に疲れと空腹間が出てきた。今は、近くのマクドナルドでメニュー(30.00F)を食べている。久しぶりの食事らしい食事だ!!昨日はほとんど何も食べてなかったからなぁ。気分もいいし、とてもおいしい。これからはゆっくりとフランス、パリの見物にでも出かけよう。ここにくる途中にも写真を撮りたかったけど、リコンファームが終わるまではと思いまったく撮っていない。だからこれからは残りのフィルム3本を使い切るぞ。よく考えてみると、ここに来るまでにはいろんな有名なところを通ってきている。ノートルダム寺院やルーブル美術館、コンコルド広場そしてシャンゼリゼ通りなどだ。この辺は明日ゆっくり廻ろうと思った。
そして今日は宿に帰ったらこの2日間の会計をちゃんとしてみよう。あと3日間パリをおもいっきりEnjoyしよう!!
さぁ、これから行くぞ!!


Travel in 1997 -- イタリア〔ローマ→ピサ→フィレンツェ→〕編 Part 3 --

2005-01-22 15:17:29 | Travel
今回の写真はこの旅行でのベストショット!!
ピサの斜塔です。
青い空と白い斜塔(ドラマに似てる(笑))のコントラストもバッチリ。。
いかがでしょうか??



3月30日(日)
08:03
今日は7:30に起きてひげを剃る。最近、ひげの伸びが遅いような気がする。栄養不足なんだろうか?
昨日の夜は、なぜか熟睡ができなかった。夜中に何回も目が覚めて、変な夢ばっかり見ている。特に昨日のピザのことが頭からはなれない。そのことを考えていると寝れなかった。自然に頭に浮かんでくる。早く次のいいことでも起きない限り無理なのだろうか?早く忘れたい。早いけど、そろそろ出発しようと思う。高須君はまだ寝ているので、置き手紙をしていこう。それと、両替をして、絵はがきを買おう!!今日も1日がんばれ!!

《宿泊場所》
 HOTEL FERDY
   1泊:35,000ITL
   朝食なし バス・トイレ共同
    00185 ROMA Via Principe Amedeo, 76
    TEL:06 4828420 

09:51
今日からヨーロッパはサマータイムである。つまり、時計を1時間早めなければならないのだ。だから、イタリアにいながら日本との時差が7時間なのである。今日からサマータイムだというのは知っていたけど、駅にも早めに来てよかった。でもなんか変な感じだ!!そしていつもの所で両替をしようとしたら、「ここじゃなくて、5番窓口へ行け」と言われて、行き両替成功(US50$→80,500ITL)。少しおろしすぎたかもしれない。でもこれは念のためであって1日ですべて使うわけではないし、できればリラに替えるのをこれで最後にしたかったからだ。これで懐も暖かくなったので、絵はがきを買いに行く。適当なものを選んで7枚買った(7,000ITL)。やっぱりレジがあるところは信用できる。これからはこういう所で買い物をしたいものだ。嫌なことは早く忘れよう!!今日は必ずいいことがあるから!!そろそろ列車も出発するころだ。今日は予定を代えて、ピサに寄り、フィレンツェに行くことにした。

14:25
13:15にちゃんとピサの駅に着いた。
それから、Informationを探したが、日曜ということもあって閉まっていた。しょうがなく、地球の歩き方の地図を見ながら斜塔まで20分ぐらいかけて歩いた。斜塔が見えたときには少しの感動があった。本当に傾いている。しかもかなりの角度である。北側と南側では70の高さの差がある。今はこの斜塔の寿命を伸ばすために中に入ることはできない。斜塔の近くには、ドゥオモや洗礼堂や納骨堂もあるが、時間的にカットした。でも写真と絵はがきは(4,000ITL)はちゃんと手に入れた。途中で、ピザを食べた(3,000ITL)。今度は店をちゃんと選んだし、値段も書いてある店にした。店の人もいい人だった。これもおいしかった。それからまた歩いて駅まで戻る。結局、ピサの滞在時間は1時間30分ぐらいの短い時間だった。
駅に来て、時刻表を見て、予定とは違う列車にすることに決めた。なぜなら、この列車の方がフィレンツェに早く着くからだ。早く着いてYHを探さなくてはいけない。

16:36
今、ドミトリーからだ。フィレンツェの駅には、5分ぐらい遅れて着いた。それから地球の歩き方の地図を見ながらまずはYHに行ったがやっぱり今日も満員だった。しょうがなく近くのドミトリーに行くことに決めた。歩いていると老人が僕に近づいて来て、僕が困っていると見えたのだろう。僕が指差す住所を教えてくれたではないか。なんともありがたい。イタリア人のこういう所はとても嬉しい。中にはいい人もいるんだけどなぁ。そしてチェックインを済ますことができた。朝食なしで、1泊24,000ITLだ。昨日の所よりも安い。そしてここにも日本人(板橋亨)がいて、少し話しをする。彼は留学をしようとしているらしい。そして、僕はジュースを買って(1,000ITL)これを書いている。手紙は夜書くことにしよう。
これからスーパーを少し探したり、町を少しのぞいてこよう。

19:33
町の散策から帰り、シャワーを浴びて今は下に下りてきて机のあるところでこれを書いている。フィレンツェの町もゆっくり廻りたいけど、どうも時間がない。美術館とかも入ってみたかったけど。やっぱりここは観光客が多い。いろいろな国の人たちが地図を片手に持ちあちこちを見ている。ここは、もう一度時間を作って来たいと思う。
町を廻れないので、ここでも絵はがきを買った(8,000ITL)。でもこれでは不十分かもしれない。明日、もう一度のぞいてみようと思っている。
これから手紙を書いて、明日の予定をたてる。明日はリコンファームをしなければならない。とても重要な仕事だ。

22:24
手紙を書き終えて、また新しい友達(Stephen)ができて、写真を撮る。住所も聞いたので、写真を送らなければ!!話しもした。ピサの斜塔の話しで盛り上がった。いろいろジェスチャーを交えながらだったので面白かった。それから明日の予定を決めたがかなりハードになりそうだ。朝の4時にはこのドミトリーを出なければならない。それから、11~12時間の列車の旅!!いろいろ乗り換えなければならない。今日は寝ようか、寝ないか迷っている。どうしよう。もしかするとモナコ見物ができなくなるかもしれない。うまくいくように!!



3月31日(月)
04:36
今日は、3:30過ぎに目が覚める。それから周りの人に迷惑をかけないように静かに準備する。準備ができてから静かに部屋を出て、外に出て駅まで歩きだす。駅に着いてみると乗るはずの列車がない。時刻表で調べてその列車のプラットホームに行き人に聞いたら、今日はこの列車はないらしい。ここで予定外!!最初からつまずいた。この先が思いやられる。でもここはすぐに考え直して一度ボローニャへ行き、そこからジェノバを目指すことにした。後はうまく行くことを祈るだけ。今から予定の再確認だ。

《宿泊場所》
 Pensionato Pio X
   1泊:24,000ITL
   朝食なし バス・トイレ共同
    Via dei Serragli 106
    TEL FAX:225044

06:14
再びボローニャに来てしまった。でも列車の乗り換えのためだけである。第2関門まで突破したかなぁ。少しドキドキだけど、何か楽しくなってきた。

Travel in 1997 -- イタリア〔ローマ〕編 Part 2 --

2005-01-21 18:33:00 | Travel
みなさん、、大丈夫ですか??
去年の30倍。。。そう、、花粉です。。
僕は徐々に反応し始めてます。目と鼻が。。。。
外国では大丈夫でした。花粉症。。


3月29日(土)
08:43
今日はかおりちゃんとは別々に行動することになり、再び1人旅だ。まずはホテルを探さなくてはいけない。かおりちゃんとも今日で別れる。お互いの住所の交換をして、手紙を書くことを約束する。
それでは僕は先に出発することにする。

《宿泊場所》
 HOTEL MILO 
   1泊:50,000ITL
   朝食なし バス・トイレ共同 個室
    00185 ROMA VIA PRINCIPE AMEDEO 76
    TEL:06 47 40 100 FAX:06 47 45 360

09:01
ついさっき、昨日までのホテルのチェック・アウトをすませる。1泊が50,000ITLだった。少し高かったのだろうか?桁が違っていてよくわからない。そして同じ建物の中にあるドミトリーにチェック・イン。なんか感じも良さそうだし、とてもいい。実はここは、昨日来たところだった。1泊、35,000ITL。昨日よりは安い。でもYHよりは高いけど。それはしょうがないことだ。まずは駅に行き、少し両替をしなくてはいけない。明日は日曜日だから。今日は昨日行けなかったところに行こう。
ローマの遺跡も楽しみだ。

10:03
ホテルを出て、忘れ物をしたので前のホテルへ行くけど、もうどこにもなかった。まぁ、忘れ物と言っても、水とパンぐらいだけど。貴重品を入れてなくてよかった。水を忘れたのはこれで2回目だ。そして駅へ行き両替をする(US40$→64,600ITL)。それから地下鉄の切符を買って(1,500ITL)、コロッセオの駅まで来て、今はコロッセオの中にいる。コロッセオという名前の遺跡の形は日本人にとってはなじみ深いもので、目の前にすると、ああ、はるばるローマまで来たんだという実感がわいてくる。中は案外狭いが、アレーナ(床面)はいくつも部屋のように仕切られていて、これは猛獣の檻に使われていたとか。ここで残酷な闘技が、超満員の市民の熱狂の中で行われていた。今は猛獣どころかノラ猫の住みか。時も変れば住人も変わる?ここでは国際学生証は役に立たない。一般的にイタリアは学割がきかないのだろうか?その点ギリシアはとても学割してくれる。このコロッセオの入場は、1階部分は無料で、2階に上がると8000ITLだ。この建物もやっぱりすごい。日本に帰ったら、ローマの歴史などを勉強したくなった。天気もいいし、とても素晴しい。
さてと、次に行くことにしよう!!

13:55
今は、カラカラ浴場の中にいる。コロッセオからフォロ・ロマーノに行った。ここはすでに人が並んでいる状態であった。最初は入口がわからなくて迷っていたが、この人の列で何となくわかり、確かめてから僕も並んだ。約30分くらい待ってから入ることができた(12,000ITL)。中に入ってからこの旅で初めてのサングラスの使用となった。
フォロ・ロマーノの遺跡もやっぱりすごい。バシリカ、神殿、凱旋門など今は廃虚だけど、当時の雰囲気にひたりながら歩いていると、ひとつひとつの遺跡が意味を持ってせまってくる。規模がまったく違う。だからすべて見るのに2~3時間は平気で過ぎてしまう。僕の場合でも2時間は余裕で過ぎてしまった。ここでも写真を沢山撮った。フィルムも残り少なくなってきたので、気を付けないとなぁ。ここで父さんに感謝!!フィルムをかなりの数持たせてくれたからだ。僕はまさかこんなには使わないと思っていたのに。
そして、フォロ・ロマーノのすごい遺跡を後にして、次に来たのがここ、カラカラ浴場である。ここは、実際に6世紀まで使われていて、1600人が同時に入浴できたなんて驚くべきだ。とても広い。もちろん今は廃虚だが、残されているモザイクの床などで当時を偲ぶことができる。すべてが石でできていて、中に入るとこれもとても重圧感というか、威圧感がある。ここでも昔の人のスケールの大きさには驚かされる。昔のままなのかなぁ?屋根がないのは?大きな空を眺めながらここにいたのだろうか?昔の人になって体験してみたい。今は公園みたいな所でこれを書いている。少し僕のいたところが影になり、寒いのでそろそろ帰ることにする。途中で何か食べよう。

15:17
カラカラ浴場の近くに露店が出ていたので、そこでピザとコーラーを買う。本当なら12,000ITLだったのに、57,000ITLもとられた。店の兄ちゃんにやられた。実は僕が5,000ITLと50,000ITLの札を間違えて出してしまったのだ。店の兄ちゃんは気付いていたらしく、僕の顔をじろじろ見ていた。様子をうかがっていたのだ。ヤラレタ!!これは買った後に少ししてから気が付いたのでもう遅かった。兄ちゃん教えてくれよ!!旅行者相手にボッタくるな!!くやし~~~!!今日はついているのか、ついていないのかよくわからない。
それから地下鉄に乗ってドミトリーへ(1,500ITL)。払わないで乗ろうとしたけど、止めた。ちゃんと払った。それからまた駅で両替をする(US20$→32,200ITL)。
そしてドミトリーに来てみるとベットが代わっていた。でも、おばさんがちゃんと説明してくれたからいい。もうイタリアのお金はイヤだ!!

21:08
今日の夕食は豪華にいった。たまにはいいだろう。イタリアに来て初めてのスパゲティーだ。とてもおいしかった。そして久しぶりのアルコール。ワインも飲んだ。そしてメインはローストチキン!!僕たちが思っているのとは違って、スパゲティーは前菜のようなもの、本来ならスパゲティー以外にメインの物を頼まなければならないのがこちらのルールなのだ。だから「郷に入れば郷に従え」の言葉通りにした。少し高くなってしまったけど、おいしかったし、話しもはずんだし、とても満足している(30,500ITL)。店を出て近くの店に入り、カプチーノを飲む(1,500ITL)。これもおいしかった。これから毎日、カプチーノを飲まないといけない。おいしくて、癖になってしまいそうだ。お金を使ったけど満足しているのでいいだろう。でも、ボッタくられた50,000ITLはイタイ!!
この旅行ではお金にまつわる失敗が多いような気がする。

Travel in 1997 -- イタリア〔ブリンディッシ→ローマ〕編 Part 1 --

2005-01-20 23:29:43 | Travel
今日は大寒。名古屋も寒いですね。
日記を載せるようになり、これも、これもと編集(抜粋)するのがもったいなくて、文章が長くなってしまって、読んで頂く人のことを考えていなかった感じでしたので、今回から日記は長くならない程度で。。。。
写真は多いかも。。。

再びイタリアへ上陸!!
新たな1歩を踏み出した。。


3月27日(木)
20:29
日本人の女の子とこの旅行の話しをする。彼女もヨーロッパの国々をいろいろ廻っているみたいだ。「スペインはとてもよかった」と言っている。みんな「スペインはいい」と言う。今度はスペインも行ってみたくなった。そして彼女は今はどこかに行ってしまった。彼女も僕と同じ列車に乗って「ローマへ行く」って言ってたのに。
それから、Barで絵はがきを買う(2,800ITL)。これから行く国々の絵はがきを買うことにする。今までの国々のやつも買ってくればよかった。少し後悔している。列車まであと2時間を切った。本当に”待つこと”が苦にならなくなった。今まで以上に!!


3月28日(金)
10:26
無事にローマの駅に着いたのはよかった。列車の中では、何回か切符の点検で起こされたことはあったが……。
それから、朝早く着いたのでInformationもやっていない。先に両替をすることにした。(US40$→64,600ITL)
それから昨日会った日本人の女の子(石元かおり)と会って、一緒にYHに行くことになった。まずは地下鉄の切符(1,500ITL)とローマのちゃんとしたマップ(6,000ITL)を買う。それから、地下鉄に乗り、YHの場所まで2人で話しをしながら歩いて行った。YHに行ってみると、すごい人で泊まることができなかった。復活祭の関係だろう。家族で、泊まってるらしくていっぱいだった。ここに来て、(YHまで来て)泊まれなかったのは初めてのことだ。しょうがなく、駅まで戻って(1,500ITL)、宿探し。いろいろ当たってみるが、とても高い所ばかりだ。すべて彼女の英語で交渉してもらっている。彼女の英語はすごい。旅行するためには、あれぐらいは出来たほうがいいのだろう。結局は1泊50,000ITLのホテルにすることになってしまった。今日も少し贅沢だ。またどこかで切り詰めないといけないな。明日は安いところが見つかってほしい。
そろそろ活動を開始して、ローマの町を楽しんでこよう。

18:49
今、ローマの散策から帰ってきたところ。
今日は、ホテルを探して、少し休んでから活動開始。そのとき、彼女を誘ってみる。そうすると彼女も行くらしく、1日中一緒に行動した。
まずはテルミニの駅で地図を手に入れて、地下鉄の1日券(6,000ITL)を買う。最初に、バチカン市国に行くことになる。地下鉄で近くの駅まで行き、そこから歩いて行った。そうすると、知らないうちに違う国(バチカン市国)に入っていた。これで6つ目の国だ。駅から歩いてくると、サン・ピエトロ広場に出た。この広場は、両側に半円形の回廊が渡っていて、ドーリア式の円柱284本が並び、屋根の部分には140人の聖人像が並んでいる大きな広場である。その正面にはカトリックの総本山、サン・ピエトロ寺院が建っている。その中にも入って写真を撮った。中では、結婚式らしいことがやられていた。
それから2人ともお腹がすいたので、ファーストフード店に入って、ピザとソーセージとコーラなどいろいろ頼んだ(18,000ITL)。2人で席につき、話しをしながら食べた。とてもおいしかった。食べてから、店の中で休みながら、今日廻りたいところをすべてチェックし、店を出て、再び歩き出した。
次はサンタンジェロ城に行った。それほどのものでもなかった。
次は地下鉄に乗り、コロッセオやフォロ・ロマーノへ行った。でも、今日はすでに閉まっていたので明日にすることにした。
そして次には、真実の口がある教会(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)を目指したが、何回も道に迷いお互いで地図を見て、話しながら行った。真実の口は、ウソをつくと手が抜けなくなるという言い伝えがある。本当かどうか、さあ、トライ。手を入れて写真も撮ったけど、これもあっけないものだった。それからパンテオンに行った。パンテオンとは、すべての神々の神殿という意味で、2世紀に再建されたものが今でも完全な形で残っている。これの中では、ミサか何かやっていてとてもよかった。教会の中に響渡るきれいな歌声は気分を”ピン”とさせてくれた。これは本当によかった。
そして、ローマの名物、トレヴィの泉へ行く。驚くほど人が多くて、思い思いに階段に座って休憩している。ただただ満員という感じなので、人を見ているというか、見られているというか……。後ろ向きでコインを投げ入れるというのはあまりにも有名なので、僕もコインを1つ投げた(100ITL)。誰が言い出したのかわからないが、いろいろコインの数によって願いが違うらしい。ここでも何枚か写真を撮る。そして、2人でアイス(ジェラート)を食べることにした。店に入り、適当に指をさしながら食べたいアイスをトッピングしてもらった(4,000ITL)。そして、「ローマの休日」のようにアイスを食べながら町を歩き、スペイン広場へと行った。アイスもとてもおいしかった。そしてスペイン広場では、似顔絵を描いている人たちがいてそれを2人で見ながら、「似てる」とか「これは違うよ」とか言いながら盛り上がった。スペイン広場はすごい人の数だった。
帰りには、1760年開店の歴史あるカフェ・グレコに少しよった。そして、地下鉄に乗って帰った。途中でスーパーで食べ物を買って帰った(4,300ITL)。今日もよく歩いたし、よく写真を撮った。少しいろいろなことを整理しよう。明日もできれば、かおりちゃんと一緒に行動がしたいものだ。

20:11
2日ぶりのシャワー!!とてもさっぱりした。やっぱりホテルはYHとは違う。湯もたっぷりと使えるので、とても気持ちがいい。でもやっぱり、YHの方が安いのでいいなぁ。まぁ、今回のは仕方がないと言えばそれまでだけど。明日もまた(安い)ホテル探しからだなぁ。あとで、かおりちゃんに聞きに行ってこよう。
今テレビを見ている。外国で見たテレビは初めてだ。ローマでは、日本のマンガ、セーラームーンとシティーハンターがやっている。言葉が違うので少し変な感じだ。

Travel in 1997 - ギリシア〔→パトラ→オリンピア→パトラ〕編 Part 3 -

2005-01-19 23:18:36 | Travel
4部構成の予定でしたが3部構成に変更です。。
ギリシア最終編です。
オリンピック発祥の地を訪れる。何かの縁だろうか??アテネオリンピックもあったから。。


3月25日(火)
03:48
またまた野宿!!パトラに2時過ぎに着く。外は大雨。このたびで初めて傘を使うはめになってしまう。どうも一人になるとついていないような気がする。そしてYHを探そうとするけどまったくわからない。町行く人にも聞くけど、みんな知らないらしい。ギリシアは本当に不便なところだ。もっと鉄道は発達すればいいのだが……。早く鉄道が発達しているヨーロッパに帰りたいよう。
ここで、スプライト(170×2Dr)を飲みながらこれを書いている。今日の予定は6時の列車に乗り、オリンピアへ行くことにする。オリンピアにもYHがあるから。今日はそこにでも泊まろうかなぁ。やっていたらだけどね。

09:43
オリンピアの駅に着いてYHの看板を見つける。少し期待が出てきた。すごくよくわかるところにあった。パトラとは大違いだ。しかもやっている。うれしい!!そして朝食なしで1,700Dr。とても安し、とてもアットホームな感じがする。おじいさんが受け付けをして、おばあさんが部屋の掃除なんかをしている。しかもおばあさんが僕のベットのシーツまでセットしてくれた。そして、僕が手伝おうとしたら、「いいよ」とジェスチャーでやってくれる。最後には、ギリシア語で「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」とギリシア語で答えてくれた。さてと、少し休憩をしてからオリンピアの遺跡でも見に行くことにする。ここには日本人は来ていないみたいだ。本当に今とても助かっている。

11:19
今日はギリシアの独立記念日(福音祭)であるのを忘れていた。だから、オリンピアの遺跡も閉められていて入ることができなかった。そして、帰りにパレードを見ることができた。写真も何枚か撮った。アテネでは、パレードがあるというのは知っていたけど、ここで見れるなんてとてもラッキーだ。それほど大規模ではないけど。
オリンピアの遺跡には、明日の朝1番で行こうと思っている。どれだけ時間がとれるかわからないけど。そのへんは今から十分に時間があるので考えることにする。
遺跡を見に行く途中に日本人を見つけて話しをする。ここでもやっぱりいた。彼はこれから、バスで、パトラまで行くらしい。彼は今はバスを待っている。でも、バスも、独立記念日のために少し遅れているみたいだ。
スーパーは沢山あり買い物(1,120Dr)するが、時間をつぶすところがない。でも今日の朝にオリンピアに来て正解だったと思う。もし、昨日パトラで2泊していたらオリンピアに来ただけで何も見ずに帰ったかもしれなかったからだ。昨日YHが見つからなくて本当はよかったんだと後になって思える。そのときは腹が立っていたけどね……。

15:15
少し明日の予定を考えるが、かなりハードな1日になりそうだ。予定では、朝早く起きてからオリンピアの遺跡を見て、すぐに列車に乗り、12時ぐらいにパトラに着く。それから船のチケットを買って船に乗り再びイタリアのブリンディッシヘ行くことになるだろう。時間もかなりあるので、久しぶりの手紙を書く。少しは両親たちも手紙を読んで、ほっとしてくれるだろう。今日は郵便局まで休みだ。明日パトラで出そう。
そしてもう一度遺跡の所まで見に行ったけどやっぱりダメだった。その帰りにこの町のメインストリートを歩いて、いろいろな店に入って見てみる。あまりほしそうなものはなかった。1件だけとても対応のいいおばさんがいた店があったけど買わずに出てきてしまった。
そしてすることがなく今、部屋で横になっている。これもまた久しぶり。明日は早く起きなければいけないな!!明日以降の予定の確認と変更を考える。


3月26日(水)
09:01
今日はついているかもしれない。
朝早く起きる(7:00くらい)。本当は寒さのあまり6時くらいには目が覚めていて布団の中で丸まっていた。2人の外人はまだ寝ているので静かに行動をしよう。まず起きて、寝癖を直して準備をする。オリンピア遺跡を見に行く準備である。早く準備ができたので予定より早く見に行くことにした。しかしまだ閉まっている。おじさんに聞いたら、「8時から」だと言っていた。今日は水曜日なので8時かららいし。本来なら8時30分からだそうだ。ツイている。
そしてパンフレットのような物を買う(300Dr)。そして8時まで、30分ぐらい待っていたら、見かねたのか、7:50ぐらいにおじさんが入れてくれた。ここでもツイている。国際学生証を見せると半額の600Drだ。ギリシアでは国際学生証がかなり発揮できた。そして、中に入って遺跡を早足で見て、沢山写真を撮った。朝1番だったので、ほとんど人がいなくて独り占め状態だった。ある程度時間が来ると高校生くらいの団体客が入って来たが、その頃にはほとんど見終わっていたのでとてもよかった。そして帰ることにした。出口を出ると、それまでやんでいた雨が急に降り出してきて、雨に濡れながら帰った。これも考え方によればラッキーなことだ。見学をしているときに振っていなかったのだから。今日は早足で廻ったので、古代に浸ることができなかったけど、この遺跡のすごさには浸ることができた。
帰りには郵便局もやっていたので、日本まで手紙を出す(150×3Dr)。
係りの人もとても優しい人だった。
そして今YHでこれを書いている。
これからは何事も早め、早めの行動をしようと決める。30分くらい早いが、そろそろ出発でもしよう。

09:45
今はピルゴスに向かう列車の中にいる。
YHでチェックアウトを済ませて気合いも入れて外に出る。そうすると、雨もすでに止んでいてとてもいい。途中にスーパーにより買い物(800Dr)。ついつい甘い物に手が出てしまう。店の人もいい人だった。それから歩いて駅まで。ここは本当に遺跡以外には何もない町かもしれないが、人々はとても暖かい。駅に来て、駅の写真を撮って、いつもどうり人に行き先を確認して列車に乗る。とてもすがすがしい気分だ。今は!!

《宿泊場所》
 Youth Hostel
   1泊:1,700Dr
   朝食なし バス・トイレ共同
    Praxitelous Kondili str.
    TEL:0624 22580

13:53
無事に1時間半ぐらい遅れてパトラに着く。
そして駅の目の前の代理店らしいところでチケットを買う。きれいなお姉さんが出迎えてくれた。そして、「ブリンディッシまで行きたい」と言うと、「ユーレイルパス持っている?」と聞かれ、「Yes」と答えると、本当は聞いてくれないはずの船のカテゴリーまで聞いてくれた。そうすると、お姉さんのとなりに座っていたおじさんが「コンニチハ」と日本語で言ってきたので、びっくりした。僕が驚いて、「オーッ」と答えるとお姉さんは笑っていた。そして、手続きも終わり、説明も聞いて礼を言って出ようとすると、またおじさんが「アリガトウ、バイバイ」と言ってきたので僕も日本語で答えた。今日は本当にツイている。いい人に出会えたからだ。今、ポートタックスとパスポートを見せに来たけど、お休み中。3時からするらしい。それまで待つことに。1度、電話を試してみよう。
船(6,500Dr〔キャビン〕) ポートタックス(1,500Dr) 昼食(600Dr)

15:34
ポートタックスをどこで払っていいのかわからない。いろいろな人に聞いてもはっきりしたことはわからない。1人に聞けば「オフィスに行け」と言われ、行ってみると閉まっているし、もう1人に聞けば「今は閉まっている。8時に開く」と言う。よくわからないし、時間があるので買い物をする(1,300Dr)。それから歩いてこの教会まで来た。この教会は、アギオス・アンドレアス教会と言うらしい。とてもきれいな教会だ。まだできて新しいのだろうか?写真を何枚か撮って帰ろう。途中で、暑くなったので服を1枚脱いだ。ギリシアに来て1番天気がいい日になった。気持ちいい。

19:00
どこでポートタックスを払えばよいのかわからないまま待合所へ。そうすると、昨日オリンピアでばったり会った日本人に今日もばったり会ってしまった。2人で笑いながら少し話しをする。どうも、同じ船ではないらしい。彼もまだ、ポートタックスを払っていなくて時間待ちの状態。お互いにボケーッとしながら時間をつぶす。それから17時を過ぎたのでオフィスを見に行けばやっているではないか。そしてすべての手続き(ポートタックス)を終え、パスポートを見せに警察の所へ。そして、スタンプを押してもらい出国手続完了。とてもあっけない。またスタンプが増えて嬉しい。彼も手続をすべて一緒に終えた。そして両替をしに行く。両替は、ドラクマ(Dr)からリラ(ITL)へと替える(6,760Dr→40,000ITL)。再び桁の大きいリラだ。そして少しまだ余っているので、食料の調達へ(1,000Dr)。ここでもやっぱり水を買うことに!!海外旅行では、水は必要だ。なくなると、すぐに次の水を買っている。あとは船に乗り込むだけだ。ギリシアとも今日でさよなら!!今日は少し贅沢をして、キャビンにした。ゆっくりできる。個室だからね。

22:26
今、部屋から出て、外の様子を見て来た。月が満月になりつつある。今日はオリオン座を見つけることはできなかった。
どうもこの部屋は僕だけのようだ。
この船にはなんでも揃っている。とても快適だ。
今日も早いけどそろそろ寝ようかなぁ。


3月27日(木)
07:22
今日は、7:00に起きて、トイレを探すついでに外の様子を見てくる。今、イグメニッツァの港だろう。船は止まっている。
そろそろ出発のようだ。エンジンが動きだした。まだまだ先は長い。もう少し寝ておこうかなぁ。
再び横になる。

09:53
時計を再びイタリア時間(時差8時間)に戻す。
外はとてもよく晴れている。とても気持ちがよかった。天気がいいと、気分まで最高だ。あと7時間ぐらいの旅だ。今回の旅は、飛行機あり、鉄道あり、船ありととても楽しい。

13:57
少し船に酔っているのだろうか?気分が悪い。しかしさっきのカフェみたいなところがやっていたので朝食を食べる。セルフサービスで自分のほしいものを取って後で精算するというやり方だ。かなりの量と品を取ったけど、とても安い。少し残してしまった (24,500ITL)。今は、船酔いと、食べすぎとで気持ちが悪い。こっちの料理は、オリーブオイルを沢山使うので胃がもたれる。胃薬を持ってくるのを忘れたのに気が付く。
あと3時間ぐらい横になる。

《宿泊場所》
 ADRIATICA〔PALLADIO〕(フェリー)
   PATRASBRINDISI キャビン:6,500Dr
ポートタックス:1,500Dr


Travel in 1997 -- ギリシア〔アテネ→コリントス→アテネ〕編 Part 2 --

2005-01-18 23:34:28 | Travel
この日記を載せるようになって、編集(抜粋)するために再び読み返しています。
その当時のことや忘れてたようなことも鮮明に思い出してきてます。。
日記してよかったと思ってます(笑)。。
本当に!!

それでは今日もお楽しみ下さい。。


3月23日(日)
23:02
今日は書くのをサボってしまった。朝食を食べてから予定を決めた。朝食といってもビスケットだけど………。そして今日は天気もよかったので、スニオン岬に行くことにした。そうしたら、山田君も行くことになり、2人で下に下りて行くと、もう1人の日本人(矢野貴久)も行くことになり、結局3人でスニオン岬に行くことになった。まずは、シンダグマ広場まで行きそこでバスを待つことになる。30分ぐらいでバスは来ると書いてあったのになかなか来なかった。ここで近くのキヨスクで水を買う(100Dr)。「Water ,please!」と言ってもなかなかわかってもらえなかった。つまり、英語は通じなかった。これがほしいと言って水を持って行ったらわかってくれてちゃんと買うことができた。 ここでバスを待っていると、日本語を話すギリシア人が来てなんかの店の名刺を僕に渡して、少し話しをする。そうすると、「次のバスは12時に来る」と教えてくれた。でも、12時前にはバスが来てそれに乗ることになるが、沢山の人がすでに乗っていた。立ったままで2時間も行くのかとうんざりしていた。チケットはバスの中にちゃんと係員がいて、ちゃんと1人づつに売りに来る。 沢山人のいる中を移動してである。スニオン岬まで1,150×2Drだった。まぁ、日本に比べたら2時間でこの値段は安いと思う。しかも往復でだ。そして、途中、アポロ・コースという海岸線をバスは走って行く。海もまあまあきれいだったような気がする。ここには夏に来るべきだろう。中には、泳いでいる人やスキューバーダイビングをしている人なんかもいて、とてもいい。しかも、沖のほうにはヨットが走っていていい感じだった。もっと晴れていてくれていればよかったのだけど、その点は少し残念だった!!あれこれ海を眺めているとあっという間に時間が過ぎてしまって目的地スニオン岬に着く。そして、お腹がすいたので、店に入りまたビスケットを買ってお腹を満たした(350Dr)。近くには1つだけレストランがあるけど、高いので3人ともパス!!3人とも、お菓子で腹を満たした。 それからポセイドン神殿を見る。今日は日曜日ということもあって入場料は無料。ポセイドン神殿の写真もある程度撮って少し休憩した。夕暮れがとてもきれいらしいので見たかったのだけど、バスなんかの時間もあり見ることは無理だった。この神殿も思っていたよりもがっかりだった。全体的にギリシアの神殿にはがっかりさせられっぱなしだ。そして、雨が降ってきたので、高そうなレストランに入って、ギリシアコーヒーを飲んだ(550Dr)。そんなにおいしいものではなかった。 このコーヒーでこの値段は高い!!このレストランはアテネ行きのバスを待っている時間つなぎのようなものだった。レストランの近くの土産物屋にも入ってよさそうなアクセサリーを探したけど少し高かったのであきらめることにした。そして、バスが来たので乗って帰ることにした。帰りはゆっくりと座ることができた。途中ウトウトとしながらオモニア広場の近くでバスを下り、YHまで歩いて帰った。それから山田君のリコンファームのためにYHの外にTELしに行くことになる。でも、どうも留守らしくうまくつながらなかった。一応、山田君に「明日、もう一度かけ直すように」と言っておいた。それから今日行動した3人で夕食を食べに行った。僕はあまり持ち合わせがなかったので、400Drのサンドイッチのようなものを食べる。でもとてもおいしかったし、店のおじいさんも優しかった。 2人はとてもいいものを食べていたけど。僕はケチッているわけではなくて、たんに両替するのを忘れていただけである。今度から人に迷惑をかけるといけないので多めに両替をしようと思った。そして、YHに戻り、キッチンでコーヒーをいれて飲み、日本人のグループに入れてもらい、いろいろ人の旅行話しや自分の話しをして盛り上がった。人の話しを聞いていると、また行きたい所が増えてきた。ここで思ったのだが、一生懸命働いて、お金をためて、そのお金を旅行につぎ込む人生もまた素晴しいと思った。かなり話しが盛り上がったので、手紙を書くことはできなかった。話しもある程度きりがついたので部屋に戻る。これが23時すぎだった。それから今日、もう1人この部屋に泊まる日本人がいて、その人と話しをして再び盛り上がり、今0時45分。明日の朝はすることが沢山あるのでもう寝よう。明日の仕事はまた宿探しからかな。でもパトラのYHはわかりやすそうだ。また無事に着きますように。それと、今日で山田君ともお別れだ。また1人旅!!新しい友達をまた作ろう。



3月24日(月)
08:42
シャワーを浴び終えて、荷物の整理をする。今日の朝食も質素である。やっぱり朝食付きのYHの方がいい!!沢山食べれるし、パワーも付くような気がするからだ。今日は久しぶりの列車。再びイタリアに戻るためにパトラまで行くことに。僕が思うに、ギリシアは夏に来るべきだ。冬は天気も悪いし寒い。今度来るならやっぱり夏だな!!朝に手紙を書こうとしたけど、やっぱり失敗。今日の夜にでも書けたら書きたい。

《宿泊場所》
 Youth Hostel
   1泊:1,500Dr
   朝食なし バス・トイレ共同 ロッカー完備(鍵なし)
    16 Victor Hugo St.
    TEL:5234170  FAX:523401


21:49
今日も書くのをサボってしまった。
今日はとてもいいことと、ドキドキすることの連続だった。朝、山田君より先に下りて行き、チェックアウトしようとしたら、係りのおやじ(愛想の悪いおやじ)が、「一緒じゃないとダメだ」と言うので、山田君が下りてくるまで待っていた。そのとき、矢野君と会って、僕はリンゴ、彼はオレンジを食べながら話しをする。彼は今日、日本に帰ってしまう。最近、僕が会う人で帰ってしまう人が多い。山田君もそのうちに帰るし、かおりちゃんはもう昨日帰ったから今ごろは日本だろうし。僕もつまずいたりすると早く帰りたく思う。
そして山田君と一緒にチェックアウト(4,500Dr)を終えるが、山田君はもう1泊する予定だ。
それから2人でコリントスまで列車にゆられて行くことに。だいたい2時間ぐらい。久しぶりの列車に少しドキドキした。そしてコリントスの運河を通り、コリントスに着くが、2人とももう一度運河が見たかったので1駅戻ることにした。そして運河の見えるところまで2人でリンゴを噛りながら行き、素晴しいものを見ることができた。お互いに写真を撮りながら、楽しんだ。この運河はすごい。いろんなアングルから写真を撮る。運河なのでタンカーなんかも通る。向こうのほうからタンカーらしきものが来たので、いいタイミングで記念写真を撮る。僕たちは上から、下を通っていく船の船員たちに手を振ると、船員たちは手を振り返してくれた。それも写真に撮った。船員たちもたぶんびっくりしていただろう。写真の現像が楽しみだ。
それから駅に戻ってみると次の列車まで1時間半ぐらい待たなければならなかった。2人でベンチに座っていたけど、我慢できずにヒッチハイクをすることになった。親指を立てて手を伸ばし、車の運転手に見えるようにする。誰ひとりとして止まることはなかった。僕たちの方を見てはくれるのだが……。そうしていると列車が来た。それに乗ってコリントスへ再び行く。しかし2人ともお金を持っていなかったので、まずは両替所を探したが 銀行はどこも閉まっているし、旅行代理店は取り扱ってくれない。そして、駅を降りたときに僕たちに話してきた日本人のおじさんに聞いても「もうやっていないよ。コリントスには何もないよ。」とまで言われるしまつ。2人はあきらめて(遺跡見物を)、再びアテネに戻ることに。しかし、アテネの両替所もやっている可能性はなかった。ここで、今日最大のドキドキ!!最悪の事態(つまり、両替ができない場合)には、2、3日アテネにとどまって、船が出る日を探し、後半の予定が大幅にカットされるという事態におちいる可能性がある。いてもたってもいられない状態だった。少しの間ペンを置く。列車が来たようなので……。
列車に乗り込む。
今日は一体、何回同じ道を行くのだろうか。
話しを元に戻して、一応、町の中を探してみる。ここで2人ともいい匂いにつられて、店に入り、食べ物(300Dr)を買う。とてもおいしかった。僕は山田君から1,000Dr借りた。それからアテネ行きの列車に乗り再びアテネへ。本当ならコリントスで両替えして、そのあとにパトラまで行く予定だったのに。
再びアテネに着き、2人とも必死で両替所を探す。どこに行ってもそれらしき物はなく、ますます僕は焦ってきた。歩いても歩いても、目をキョロキョロさせてもそれらしい物はない。30分くらい歩いて、やっとやっている場所を探すことができた。この時はめちゃくちゃ嬉しかった。両替所のお姉さんにも何回も礼を言うほど嬉しかった(US100$→25,980Dr)。
それから僕は今日の夜、最終列車でパトラに行くことを決めた。
まだ時間が十分にあるので、山田君が荷物を預かってくれた。本当に山田君にはよくしてもらった。何て言っていいのかわからないけど、本当に嬉しい。肩の荷物がなくなったので、とても動きやすくなった。時間が来るまで、山田君とアテネの町を廻ることにした。最後のアテネだからなぁ。まずは美術大学の中に入って行くけど何もなかった。どこの大学もあんなものなのだろう。
それから、リカビトスの丘に登りに行くことにした。まずはケーブルカーを見つけるのにかなり歩いた。見つけることができ、まだやっていたので乗って頂上に行った(往復2,000Dr)。頂上では夜景がとてもきれいだった。でもパルテノン神殿などはライトアップされていなくて少し残念だった。夏にはライトアップされるらしいのに。ここでも写真を撮るけど、ちゃんと映っているのだろうか。そして10分くらいいてすぐにケーブルカーで戻る。それから夕食を食べに行く。昨日僕が買った所へ行く。そこのおじいさんは、僕のことを覚えていてくれたらしく、笑顔で対応してくれた。ここの食べ物はボリュームもあっておいしかった(950Dr)。そのあとまだ時間があったので、YHに戻って時間をつぶす。部屋には、オーストラリア人がいて少し話しをする。僕が、「これからパトラに行く」と言ったら、驚いた顔をしていた。
ある程度時間が近づいてきて、そろそろ出発しようとすると、山田君ともう一人の日本人の子(久保興平)が下まで下りてきて見送ってくれた。別れ際には、2人と握手をして別れた。何回も書いているが、別れるのは本当につらいものだ。そして駅の待合室でこれを書き、今は列車の中でこれを書いている。
パトラに着いたらまずはYHの手続きをしないといけない。宿探しからだ!!
アテネともこれでお別れだ。今度は夏に来たい。
書くのを忘れていたが、コリントス運河で化石を見つけたので、お土産に持ち帰る。

Travel in 1997 -- ギリシア〔イグメニッツァ→アテネ〕編 Part 1 --

2005-01-17 23:24:36 | Travel
今日はまだ仕事場です。
ちょっとマシンがトラブってしまって、再インストール中。。
Updateしたら急に動かなくなって。。だからWindowsは嫌い。。
バックアップも取れないし、最悪。。
作業は信用できるMacです。。

今日はあこがれのギリシアです。。今回の最大の目的地でした。
内容がコイので4部構成です。。


3月21日(金)
06:52
6:45ごろ日の出!!
何枚か写真を撮ったけどちゃんと写ってるかが心配だ。とてもきれいで、神秘的だった。まさしくギリシアにぴったりって感じ。
今日の仕事は宿探し。
宿に着いたらまずすることは洗濯してシャワーを浴びて、早く寝ることだ。

《宿泊場所》
 MINOAN LINES(フェリー)
   BRINDISIIGOUMENITSA デッキ:44,000ITL
                 シート:デッキ+14,000ITL

11:12
8時過ぎにイグメニッツァに着いた。
バスのチケットを買った所で日本人(山田裕介)に会う。そして友達になってアテネまで一緒に行動することになる。アテネまで8時間の長旅になる。
まずは銀行に行き両替をする(US50$→12,450Dr)。
そして昼食を食べる。ピザとパンを買う(450Dr)。それから2人で公園みたいなところで話しをしながら食べる。
ある程度時間もきたので、スーパーまで買い出しに行く。あたりまえのように大きいサイズのミネラルウォーターを買う(120Dr)。
ギリシアに来て、物を買ってすべてが安いということに気付く。日本の1/3ぐらいだろうか。
今は山の中を通ってアテネに向けて進んでいる。天気もとても良いしもう最高だ!!ここでは写真を撮らないでおく。

15:58
パスだけでアテネに行くと思っていたら途中でフェリーを使った(110Dr)。
そして目的地であったパトラへ来てしまった。でもパトラは帰りにして、アテネをおもいっきり楽しもう。フェリーには20分ぐらいしか乗ってない。あと3時間ぐらいでアテネだ。それから宿探し。これで今日はゆっくり眠れそうだ。

22:10
夕方ごろにアテネに入る。
でも、僕が思っていたアテネとは違っていた。アテネにも近代化の波が押し寄せているのか、いろいろなところで工事をしている。僕が思っていたアテネは今もなお古代の跡があちこちで目に付くものだと思っていたのだが……。
バスも無事に着くがどこに着いたのかよくわからない。Informationで地図をもらおうとしたけどなかったし、持っていた地図にもその場所は載ってなかっし、散々だった。ここは山田君が機転を利かせて、この旅初のタクシーのお世話になることにした。そしてタクシーでYHの近くまで来た(550Dr)。タクシーも思っていたよりも安くすんだ。アテネもすべてが安い。
そしていつも通りに人に聞いてYHを見つける。ここでも少しは迷ったけど。人に聞くのはいいけどギリシア語はまったくわからない。
ここのYHにも日本人の姿を見つけることは難しくはなかった。本当に今の時期どこに行っても日本人はいるものだと再び思う。
このYHは今までのYHに比べると部屋は狭いような気がする。朝食もない。でも一番安いし、一番ベットが広い。しかもお金はチェックアウトのときに払うというシステムになっている。その点は嬉しなことだ。
そして山田君と夕食を食べに行く。いろいろと歩いててごろな店に入ってお腹いっぱい食べる。食べた物は、パン、スパゲティー、そして、ギリシア料理のムサカ。飲み物はスプライト。とてもおいしかった。そして、余ったパンは持ち帰って明日の朝食にすることにした。しかも彼は僕のことを気遣ってくれて夕食の僕の分を2,000Drにしてくれた。ありがたい。だだでさえこの2日は使いすぎているような気がしていたのでとても嬉しい。
今、シャワーを終えてこれを書いている。
そろそろ髭も伸びてきたので剃らなくてはならない。洗濯もしなくてはならない。
今日寝るのは12時過ぎてしまいそうだ。

23:37
部屋でお金の整理をしていたら、ブリンディッシで船が別々になってしまった2人組みのスペイン人(Gabriel と Marcos)とまさかの再会!!2人で声を上げて喜んだ。こんな偶然があるなんとても信じられない。Gabriel と Marcosは僕が船にいないとわかったときとても心配してくれていたらしい。だから僕は「I'm sorry」と言って謝った。
今日は本当にいいことがあった。
明日は、一緒にアテネを廻ることにした。
今日は少し夜更かしをしよう。


3月22日(土)
09:49
山田君が市場へ行き、卵とオレンジを買ってきてくれた。そして料理までして朝食を作ってくれた。とてもおいしかった。今日はゆっくりできた。
そろそろ活動開始かな。
Gabriel と Marcosとはここで別れた。また寂しくなった。彼らはこれからトルコに行くらしい。気をつけて行ってほしいものだ。
Good-Bye, Gabriel and Marcos.

13:00
今、アクロポリスを廻ってきてこのイロド・アティコス音楽堂にいる。
今日は10時過ぎに行動開始!!
山田君やGabriel たちとはそれぞれ別々に行動することになる。
僕がギリシアに来た目的でもあるアクロポリスにまずは行くことに。YHから歩いて行くが、長い歴史の旅を一瞬で体験できたような気がする。古代から現代へと自分の立場を変えることのできる不思議な都市がこのアテネで、現代ギリシアの首都と人々の生活を見ながらアクロポリスに行くことができたような気がする。小さな道がいくつもあり少し迷いながらも来ることができた。かなり高いところにあり、歩くのには少し疲れた。
そしてまずはアゴラ遺跡を見学(600Dr[学生割引あり])。”アゴラ”という言葉は、現代ギリシアでも「市場」を指す語として使われているが、古代ではもっと広く政治、宗教、文明的施設が集中したところという意味を持っていた。
遺跡の中には博物館(アタロスの柱廊博物館)もありそこにも行った。この建物は”アタロスのストア”といって、ギリシアの遺跡中、ただひとつ完全に復元された建物でもある。かつてはこの辺がもっとも人通りが多いところだったという。中に入ってみても驚かされることが多かった。紀元前600年ごろの文明のすごさにも改めて驚かされる。しかも、現在まで残っているすごさにもびっくりするほどだ。やはり見学者も多く、中には日本人もいて、「写真をとってほしい」と頼まれて、その人と少し話しをする。
それから古代のすごさに浸りながら長い間、遺跡を廻っていた。
次に、パルテノン神殿に向かった。アクロポリスの一番の目玉であろう(1,000Dr[学生割引あり])。入場券を買ってアクロポリスに入り、すぐに通過するのはブーレの門。ちなみにここは海抜150m、市街地からは70mの高さにある。前門(プロピレア)を通過すると目の前には古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿がドリス式の石柱に囲まれ、雄大な姿を見せて建っている(横31m、縦70m、柱の高さ10m)。アテネの守護神アテナと祀ったパルテノン神殿は市内のいたるところから見え、すべて加工大理石を重ね合せ建てられているので、遠くからだと冷厳な感じを受ける。しかし、神殿の近くに寄るとある種の柔和ささえ感じてしまうのは、2500年という長い歴史の所以なのだろうか。ここでもやはり、古代人の技術のすごさには驚かされる。今でもあんなのは造れないんじゃあないのかなぁ。とても大きく、とても立派なものだ。神殿を見ると、巨大な列柱とその数に圧倒される。でも、残念なことに復元のための工事だろうか(?)鉄パイプが所どころにあって目障りに感じた。その鉄パイプさえなければもっともっと素晴しかったと思えた。
アクロポリスにも博物館がありそこにも入ることができた。ここで見られるものは各神殿を飾っていたレリーフ、彫刻などである。このほかに様々な神話や人々の生活をテーマにした芸術作品があり、アクロポリスを中心とした古代都市の様子とその歴史が見られる。
日本の遺跡とかはあまり見たことがないのでわからないけどギリシアの遺跡は素晴しい。天気も所どころに晴れ間が見えてきてよくはなってきているのだろう。でもやはり風は冷たくて寒い。
そうそう、ここでも日本人の女の子に「写真を撮って」と頼まれた。だから僕も撮ってもらった。そして少し話しをしたら、どうも同じYHに泊まっているらしい。
アクロポリスに来てよかった!!
これから、ディオニソス劇場とゼウス神殿にでも行こう。リカビトスの丘には行かなくてよさそうだ。風景を見るのにはアクロポリスでもよかったからだ。アテネの町並も見ることができた。古代の遺跡と現代の建物の共存もどことなくおもしろい。
さて行こう!!

14:15
今、ディオニソス劇場(500Dr[学生割引あり])に来て、一通り見てから少し高い所から中央のステージを見下ろしながらこれを書いている。太陽も出てきて今はとても気分がいい。この劇場の見どころは、半円形の舞台後方に半分だけ残っている彫刻像とレリーフ。ここは、ヴェローナのアレーナよりはそんなに形は残っていない。こういうところでは時間の流れというものを本当に忘れさせてくれる。ここでも古代の素晴しさを満喫することができる。ここに来て国際学生証がかなり威力を発揮してくれている。うれしいがぎりだ。今ここにいる人は11人だけどこの中に日本人らしい人はなんと僕を含めて7人もいるではないか。やっぱりこの時期学生の旅行客が多いのだろう。ギリシアに来てまでこんなに日本人に会うとは思ってもみなかった。昨日のYHでもロビーで休憩していたとき、そこにいたのはほとんどが日本人で、日本語が飛び交っていた。嬉しいのやら悲しいにやら。
あと少しここにいて、次はゼウス神殿に行こう。ここからでもゼウス神殿の大きい柱が見えている。

20:39
スーパーに買い出しに行き、夕食を作ることになる(620Dr)。山田君は料理が得意らしく、任せて料理を作る。メニューは、野菜のトマト煮、小さい鳥の丸焼のようなもの、それから久しぶりのご飯。いろいろ試しながらの料理だったがうまくできたような気がする。ご飯もなんとかできた。少し水っぽくなってしまったが外国の女の子が「おいしい、おいしい」と言って僕たちのご飯お食べていた。なかなかの人気だった。それから少しその子と喋ったが、会話になっていないような気がした。もっともっと喋れたらもっと仲良くなれたのに。それと、市場でリンゴを5個買う(470Dr)。これは明日の朝食にでも食べようと思っている。それと、スーパーでおかしや水も買う(820Dr)。
今日はとても満足している。今日1日は本当によかった。今まで行きたいと思っていたところにすべて行けたから。古代のすごさにも浸れることができたのもよかった。
今は部屋でゆっくりとこれを書いている。さっき外国の女の子と話しをしに下に行ったけど、その子は友達と話していたのでやめることにした。山田君は今でも下で日本の子たちと話している。そろそろシャワーでも浴びよう。今日も疲れた。よく歩いたよ!!
書くのを忘れていたが、夕食を食べていたら、パルテノン神殿で会った女の子がとなりに来てご飯を食べながら話しをした。

Travel in 1997 - イタリア〔ボローニャ→ブリンディッシ〕編 Part 3 -

2005-01-16 23:41:03 | Travel
今日の話は、初海外。初野宿(笑)です。。
お楽しみ下さい。。


11:13
朝食を食べてチェックアウトする。
それから、僕を含めた日本人5人でバスに乗り中央駅へと向かった。イタリア人はとても優しく、空いている席があり、僕が「座ってもいいか?」と聞くと、笑顔で「どうぞ」と言ってくれる。かわいい女の子のとなりに座ることができた。
書くのを忘れていたが、今日の朝食はパン2個とコーヒーで少しお腹も満たされている。そして駅に着き、時刻表で自分の乗る列車の時間とプラットホームの確認をする。そして4人の日本人と話しをしながら待合室みたいなところで待っている。ここで重大なことが判明した。今日、ストライキかなんかで動かない列車があるらしい。そして3人の人達は今日の予定を変えるはめになってしまった。幸いにも僕の乗る列車は動いてくれていたので大助かりだ。これからも順調にいってほしいものだ。そして待合室で話しをしながら住所の交換をする。
それから両替もした(US150$→243,750ITL)。今回の両替では少してこずってしまった。というのも、係員がいないうちに自分のサインを書いてしまったからだ。こちらはただ早く済ませたかっただけなのに。そして、係員に見ている前で違う紙に自分の名前を書かされて、チェックされた。少し厳しいような気がするが、これが正しいのだと思った。この係員に拍手を送ろう。これで船にも乗れるくらいの額にはなったと思う。
そして日本人の友達とも別れて、Barみたいな所に入り、水を買う(2,800ITL)。レジとかで値段が表示される所ではすんなりと買い物はできるが……。言葉で言われると、どうも聞きとれができないような気がする。でもがんばろう。
今はまた1人で13:00に出発する列車を待っている。
家に電話をしようとするがなかなかうまくいかない。少しでも無事を伝えたいのだが……。
今日船の中で手紙でも書こう。
それと今回のボローニャでのバスはすべてタダ乗りをしてしまった。どうもすみません。許して。ボローニャもいい所だった。
今日の仕事は船に乗ることだ。
今日は少し風もあり寒い!!

13:32
他の列車がないせいかとても混んでいる。しかも40分ぐらい遅れている。ハプニングが発生してしまった。40分遅れは少しいたい。一応、船の出発までには2時間30分はあるのだけど。
船の手続きは順調にいってほしいものだ。今から7時間ぐらいの列車での長旅だ。この混みようは一体どこまで続くのだろう。
日本人らしい人をみたけど話さなかった。どこまで行くのだろう。ギリシアに行くのだったら一緒に行きたいものだ。
やっと列車が動き出しそうだ。ブリンディッシに向けてGo!!

15:02
非常にヤバイ!!今日船に乗れないかもしれない。
今、1時間遅れでリミニに着いた。イタリアの列車だからこれからの挽回に期待する。
早く動いてほしい。本当にヤバイ。1日棒に降ることになるかもしれない。
早く、早く………。

23:27
残念ながら目的達成ならず!!
この駅に着いたのが22:40!!どうしようもないが、一応港まで行くことにした。駅を出てまっすぐ行けばいいのでとてもわかりやすい。あちこちにチケット売り場もあり、明日はそこで買おうと思った。
港に着き、Informationらしき所に行ったけど、そこには警察官が沢山いた。警察官と話してみると、「フェリーはもう出てしまったらしく、ここは難民の人たちが収容されていて、危険だから駅に行け」と言っていた。だから、再び駅に戻ってきた。
そして今、列車に一緒に乗ってたおばあさんからもらったパンを食べながらこれを書いている。予定外の出来事に少し戸惑いを感じている。あと23時間どうやって過ごそうか?寝るところもないし、明日の予定とこれからの予定を再検討してみよう。でも、列車での出会いというのはいいものだ。お互いに言葉は通じなかったけどこの駅(ブリンディッシ)に着いたとき、寝ている僕を起こしてくれて「着いたよ」と教えてくれたし、おじいさんのほうは窓から顔を出して見送ってくれた。とてもいい人たちだった。2人の写真を撮るのを忘れた。
今、雨が降っていないだけまだましだろう。少し寒いけど……。風邪をひかないようにしないといけないな!!

[メモ]
YOUTH HOSTEL
Via N. Brandi, 2-Brindisi / Casale


3月20日(木)
01:32
待合室を発見!!これで寒いのは防ぐことができる。少し寝たいけど、荷物が心配で寝れない。

06:13
寒い!!少しだけウトウトとしたのだろう。でもとても眠たい。
1度、待合室の掃除のために外に出される。外は寒いので歩き回っているけど全然暖まらない。
今日こそは船に乗りたい。そしていいことも沢山起こってほしい。残りの旅は、いいことばっかりであってほしい。
早く代理店よ開け。そしてすべてうまくいき、早く船に乗って眠りたい。

09:49
なんとまぁついていない。パトラ行きの船がない。途中にギリシアのどこかに寄ってそこからバスでアテネに移動することになってしまった。それでもこれ以上は野宿はできないのでそれにすることに決定した。すべて含まれて44,000ITLだった。そしてギリシアのお金と両替した(90,000ITL→11,000Dr)。それから出国手続きをしてパスポートにもスタンプが1つ増えた。
そしてまたスペインの人(Gabriel & Marcos)と友達になった。彼は僕がまったく英語を理解していないのを笑っていたが、とても悪い気がした。住所も聞いたし、一緒に写真も撮った。とても楽しかったけどギリシアには一緒に行かないらしいので少し寂しい。

12:20
少し陽が差してきたけどまだ風が冷たい。
待合室のベンチで手紙を書いた。久しぶりの手紙だ。書いたあとに郵便局に行って出す(1,250×2 ITL)。本当は電話のほうがいいけど、うまくつながらない。
近くのスーパーマーケットで食料と水を買う(10,750ITL)。久しぶりの昼食も取ったし、早くギリシアに行きたい。ギリシアもこんなに風が冷たいのかなぁ。
あと6時間30分も待たないかんけど、昨日から比べたらどうってことないだろう。
早く船に乗りたい。

19:19
念願の船の中。夢に見た船の中。とても嬉しい。でも交渉がうまくいけば、目的地パトラ行きのやつがあったのかもしれない。その点は少し後悔した。でも今日はうまくいったのでよかった。
ここでも朝友達になったスペイン人(Gabriel & Marcos)と再び同じになり話しをした。彼らは、「今日の船には乗らなくて、ローマに行く」って言ってたのに。
でもまた会えて、YHに泊まることも話したのでたぶん一緒に泊まるはずだったし、ギリシアは楽しくなりそうだった。でも、Gabriel と Marcosたちとは違う船になってしまいまたまた別れてしまった。
でも、アテネのYHで再び会うことを期待している。今度は早くアテネに無事着いて宿をGetしたい。

21:15
まだ船は出ていない。昨日の疲れが出たのかウトウトし始めている。ぐっすりと寝たいけど、ここでもやっぱり回りがうるさいのと、少し寒い気がする。
明日は十分に眠れるところを探したいものだ。もう眠たい。
明日の朝、日の出を撮りたいものだ!!

Travel in 1997- イタリア〔→ボローニャ→イモラ→ボローニャ〕編 Part 2-

2005-01-15 18:29:38 | Travel
今日は雨から雪という予報でしたが、はずれたのでしょうか。。。
受験生は、第一関門の『センター試験』。懐かしいです。
現役のとき、(実は一浪しました。これもいい経験です。)センター試験で大失敗なことをしてしまいました(笑)。。
今は笑い話ですが。。。
さてなんでしょう(笑)??


3月17日(月)
14:26
11:47にボローニャの駅に着く。まずは両替をして(US20$→32,500ITL)それから隣のInformationで地図をもらい、YHの場所と行き方を聞く。
まずはバス停探しからだ。20というバス停がどこにもない。いろいろ人に聞いてはみるがなかなか見つからない。そして、旅行者のような人に聞いてみてやっとのことでわかった。(旅行者じゃなかった。実はビジネスマンだった。)バス停は、駅からかなり遠いところにあった。
バス停に着きバスが来たので確認をせずに乗ったら違う方向のバスに乗ってしまい、途中で降りてひき帰すことに。運転手に聞いたけどちゃんと理解できなくて地図を見ながら適当な場所で降りる。でもここがどこかわからずにまた人に聞く。でもみんなは20と言うがどうも違うらしい。今度は20のバスの運転手に聞くと、とても親切に教えてくれて、しかも次に乗るバスまで教えてくれて、そのバス停の近くまでタダで連れて行ってくれた。とてもうれしい。その前におじさんにも聞いたら、このおじさんもとても親切で、バスの乗り方まで教えてくれた。運転手が言うには「93のバスに乗れ」だったので、今度は93のバスに乗ることに。ここまで、何人の人に聞いただろう?

14:46
やっと目的のYHを見つけることができた。
バス停が近くなると、バスに乗っていた人が僕の姿(大きなリュックを下げている)を見て、僕に「ここで降りろ」と教えてくれた。イタリア人は本当にとても親切だ。とてもFriendlyだ。
93のバスの中にはここを目指して来てる2人の旅人を見つけた。1人は男で、もう1人は女の子である。男の名前はポール(Paul)で少しだけ仲良くなった。
今、まだ時間じゃないのでYHの前である。宿探しがこんなに大変だとは思わなかった。3時間ぐらいはずっと迷っていたような気がする。
ここまで来るとさすがに日本人はいない。言葉の障害はかなりある。あと3週間、英語Onlyでがんばろう。
今日のバス代はすべて払っていない。どうもすみません!でも、買う場所もわからなかったのでしょうがないかな。

21:22
町に行かないと思っていたらPaulが「町に行かないか?」と誘ってくれたので行くことに決めた。93のバスに乗り町に行く。
バスが来るまで2人で話しをしたが、全然会話になっていない。Paulの発音もどことなく癖があって簡単な単語でもわからなくなって、最後には辞書を引きながらの会話になってしまった。それでもPaulはイヤな顔をせずに僕の話しに乗ってくれた。これはとても嬉しいことだった。
[#IMAGE|c0013272_1836244.jpg|200501/15/72/|left|120|160#]バスに乗り、目的地を過ぎたのも2人は気がつかなかった。そこでバスに乗っている人に聞いて適当な場所で降りて僕がもらった地図を見ながら目的地に行く。もうかなり日が沈んでいたのであまり写真は撮らなかった。
そのあとでPaulに案内されながら夕食の店を探すがほとんどが閉まっていて、最後にはマクドナルドになってしまった。(8,200ITL)2人で笑って「 Italian food !!」と言って食べた。今日は昼を食べてなかったし、何も飲んでなかったからおいしかった。
ここでPaulについて、彼は、オーストラリアから来て、すでに結婚していて、僕と同じ歳だ。でも今、またはこれから何週間もヨーロッパを旅するらしい。奥さんとけんかでもしているのだろうか?あまり深くは聞かなかったので僕にはわからなかったけど。
話しは戻って夕食を食べたあとYHに戻ることになったが、またまたバスがわからなくなってしまった。またバスで迷ってしまった。運転手に聞いてもイタリア語だからまったくわからない。Paulもイタリア語はわからない。2人で顔を見合わせながら「ふーっ」とため息をついた。最後に乗った運転手が英語が話せたのでここはPaulに任せた。
そしてバスを降りて2人でYHに向けて歩いた。ここでもいろいろな話しをした。この話しは秘密にしておこう。
そしてやっとYHに着き、お互いのアドレスを交換して僕はシャワーを浴びてこれを書いている。今日1日はバスに泣かされた。
明日はイモラに行く。とても楽しみだ。
今日も遅くなってしまった。
I like Bologna , but I don't like Bus !!
この言葉をPaulに言って2人で笑った。


3月18日(火)
11:33
レセプションの自動販売機で水を買う(800ITL)。1,000ITLを入れたらお釣が出てこない。ボタンを押しても何をしても出てこない。
おばさんが来て「お釣は出ない」と言う。僕は「お釣がほしい」と言うと、おばさんは200ITL返してくれた。そしてこのYHは閉め出しがあるので、早いけど駅へ行く。
まずはバス停に行くとPaulがいるではないか!!そして少し話すとバスが来てそれに乗る。そのバスには日本人もいて話しする。(実は同じところに泊まっていた人)また夜にでも話しをしようと思った。そして迷うといけないので、前に乗ったバス停で降りて、駅まで歩くことにした。
早く着きすぎて、2時間もここで待たなければならない。待っているとまたPaulを見てしまう。何か運命的なものを感じてしまう。
そして時刻表に僕が乗る列車が示されたのでホームに行く。今は、6番乗り場の待合室でこれを書いている。

14:04
テレビでは何回かこのコースのグランプリ(サンマリノGP)は見たことはあるが直接見たのは初めてだ。セナの勇姿は鈴鹿で1度見たことはあったけど、ここでも見てみたかったものだ。
今、セナが亡くなった場所を見て来た。今でも花束やセナへのメッセージなどが残っていた。今は近くの公園のベンチにいる。あれを見ると何か考えさせられる。
少しのあいだ、ここでセナと語り合うことにする。

[#IMAGE|c0013272_18364434.jpg|200501/15/72/|right|160|120#]「あなたは一体何を見たのですか?」
「神を見たのでしょうか?」
「あなたが死を選んだことで、レースの危険性を示さなくてのよかったと思います。」

とても皮肉なことに、あなたが亡くなってからこのコースは少し変ったし、F1の規則自体変りました。あなたのいないF1は僕にとってあまり面白くありません。僕は、赤いレーシングスーツを着て、トレードマークのヘルメットをかぶって、マクラーレンに乗る姿が好きでした。
もっとここにいたいのですがそろそろ時間になってきているので帰ります。今度はモナコで会いましょう。僕の旅行の成功を見守っててください。
最後にメッセージを残して帰ります。

      Forever Ayrton Senna

17:04
サーキットをあとにして再び歩いて駅まで戻る。
そしてボローニャ行きの列車が来るまで待っている。
[#IMAGE|c0013272_1837367.jpg|200501/15/72/|left|120|160#]そしたらおじいさんが僕の少し離れたところに座り、なんかこちらを見ているなぁと思っていたけどほっといておいた。そしたらおじいさんから「ジャポネーゼ?」という声が聞こえた。そしてイタリア語でいろいろと言ってくるがまったく理解できない。英語で「イタリア語は話せない」と言ったらおじいさんは何となくわかったのか僕のほっぺたをつかんで「ノー、イタリアーノ」と言って笑っている。まだまだおじいさんは話してくる。そして僕の伸びている髭を見て、「ワシと同じ」とでも言っているように自分の髭をなでている。話しが通じた(?)ときなんかは、強く握手したり、キスなんかもしてくる。かなりの数キスされた。そして僕の旅行のことを地図を見て言ったり、写真なんかも撮ったりした。言葉は通じなかったけど、心が通じたような気がしてとても嬉しかった。そうしていると列車が来て、おじいさんと握手とキスをして別れた。列車に乗ると、僕の顔が見えるところまでおじいさんがやって来て手を振ってくれた。とてもいい出来事だった。
そして駅に着きマクドナルドで今日の夕食を買う(7,200ITL)。そして慣れたような顔をしてバス停まで歩いて、慣れたような顔をしてバスに乗り、YHのあるところで降りる。YHに戻ってジュースを買う(1,000ITL)。これは量が少ないのに少し高いような気がする。
そして朝バスの中で話した子がバスケットをしているのでそこに行き今日のことをいろいろと話しをした。そしたらその彼は、今日かなりの額のお金を取られたらしく、とてもBlueな気持ちで、気晴しにバスケットをしているらしい。そして飛行機のこととかこの先のこととか少し相談に乗った。でも僕もそんなには詳しいわけでもないのであまり役に立てなかったと思う。今日はこれでこのYHからは出ないだろう。


3月19日(水)
07:51
久しぶりに天気がはっきりしない。今のところ雨は降っていないようだけど……。どうかこれからも降らないでほしい。
今日は、早く起きた。そして準備に取りかかる。
でも今日の列車も遅い。また駅で立って時間をつぶさないといけない。
朝食は友達になった日本人と一緒に食べることになった。
憧れの地、ギリシアに向けて出発!!

《宿泊場所》
 OSTELLO DELLA GIOVENTU' S. SISTO - DUE TORRI
   1泊:18,000ITL
   朝食付き バス・トイレ共同
    di Sergio Carenza
    Via Viadagola 14 o 5 - 40127 - Bologna
    TEL:051 519202 501810 FAX:519202

Travel in 1997 -- イタリア〔ミラノ→ヴェローナ→ミラノ〕編 Part 1 --

2005-01-14 23:44:20 | Travel
今日も仕事が終わり、忙しい日でした。
ただこの時期になると、唇がカサカサになって痛いです。。
リップクリームが手放せません。

今日はイタリア編。イタリアもいろいろあり3部構成です。。
しかも往路です。。
それでは。。。。。。



3月14日(金)
17:00
4つ目の国イタリアに来た。
ミラノの中央駅に着いたらまずは両替(US90$→136,400ITL)。こちらのお金の桁の大きさにびっくりする。
それからInformationへ行き、地図をもらい、YHの場所と行き方を聞く。
それからメトロ(地下鉄)に乗り(1,500ITL)YHのある場所まで行く。それでYHにつき手続きをすませる。ここでは3泊する予定(69,000ITL)。手続きをするときにまたお金の計算でてこずってしまった。もう、この国のお金の桁の大きさにはうんざりする。
部屋もそんなによくないし、ロッカーも怪しい。フロントのおっさん自体よくわからない。

18:57
YHで少し休んでから夕食の買い出しに行く。途中で人にスーパーの場所を聞き、スーパーを探すことができた。みんなイタリア語!あたり前だけどまったくわからないし、通じない。ジェスチャーで何となくわかった程度。
違う店で食べ物を買う(3,950ITL)。店のお兄さんがとてもいい人で、親切に接してくれたし、笑顔で言う事に耳を傾けてくれた。明日もここに来て夕食を買いたいと思っている。買い物をすると、ますます値段の錯覚に陥ってしまう。
桁が大きいので、すごく高い買い物をしたように感じる。今は、シャワーを浴び終わり、日本の人と話しながらこれを書いている


3月15日(土)
09:05
ここの朝食はとても質素だ。今まで廻ってきたYHの中で一番質素!
パン1つとコーヒーだけだ。しかもそれほどおいしくはない。
これからミラノ見物に行ってくる。

15:10
まずは駅まで行き売店で列車の切符を買う。今日は1日券(5,000ITL)を買うことにした。この辺は駅員もいいかげんだ。切符をなんで売店で売ってるんだ。それに、改札口を通る時まったく見ていない。でもこちらの人にしてみればこれが当り前なのだから仕方がない。
それから列車に乗りドゥオモを見に行く。駅について上に上がってみると人が多い。僕たちが辺りをキョロキョロしていると一人の男が寄ってきた。彼は、観光客を相手に何枚かの写真を撮って、それを高い値段で売るカメラマンだった。実は写真を撮られた。そのときの様子を少し書いておく。辺りを見ていると、一人の男が近寄ってきて、鳩の餌を無理やり渡してきて、鳩が集まってきたところを4、5枚写真に撮られた。しかも写真を撮るのも無理やりで、こちらの訳がわからないうちに何枚か撮られてしまったのだ。そして撮られた後に、その人の店(写真屋)に連れられ、「この写真を80,000ITLで買え」と言われた。80,000ITLというと日本円で大体6,400円だ。4、5枚でこんな値段というのは”ぼったくりだ”と思い「こんなのは買うことはできない」と強く言うと、どんどん値段が下がっていき、1/4まで下がっていった。でもやっぱり「こんなのは買えないし、欲しくない」と言うと店の人が諦めたらしく買わなくてよかった。日本人は金持ちだと思われているのだろう。回りには沢山の日本人と会うけど、みんな声を掛けられているようだ。しかも、写真を撮る人が何人もいて次から次に声を掛けてくる。
屋根に登るためのエレベーターを探す。探しているときにでも、何人かのカメラマンにまた声を掛けられた。エレベーター(8,000ITL)を見つけて屋根まで登り外に出ることができた。ここで少し休憩する。日が当たってるのでとても気持ちがいい。写真も沢山撮った。
地下鉄に乗りレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館に行く。駅を出て、間違った方向に歩いていて、なかなか目的地に着かないと思い地図を見直して修正をしてやっとのことで着くことができた。ここの入場料は6,000ITL[学生割引あり]だった。とても広くてまあまあ楽しむことができた。展示物もおびただしい数だ。
そして次の目的地は、サンタ・マリア・デッレグラツィエ聖堂に行き、『最後の晩餐』という絵を見に行くことにしたけど、残念なことにもう閉まっていた。仕方がないので、外の写真だけ撮って帰ることにした。日本人の女の子2人も入れなかったらしく、外で写真を撮っていた。
それから列車に乗ってYHまで帰ってきたけど、門が閉まっていて中に入ることができない。説明を見ると16時まで開かないらしい。それまでベンチに座ってこれを書いている。近くでは地元の人達が、車のラジオでサッカー中継を聞いて盛り上がっている。サッカーの中継は僕のところまで聞こえてくる。
そしてこれを書いていると、多くの日本人がやってきた。たぶん今日ここに泊まるのだろう。その人達とも少し話しをした。もう少しで16時だ。部屋に入り、少し休んだら洗濯をしよう。

19:51
ミラノの行きたかったところもほとんど廻り、1日早く発とうと思いフロントに行って話してみるが、払ったお金は返ってこないらしくて、やっぱりもう1泊することになる。明日は何をしようかなぁ。
それから昨日行ったマーケットに行き、同じところで買い物をする。
今日はかなり買ってしまった(12,150ITL)。とてもお腹いっぱいになった。
それからシャワーを浴びて、何日ぶりかに髭を剃った。気分もバッチリ。寝る態勢もバッチリ。いつでも寝れる!!


3月16日(日)
13:54
今アレーナ(4,000ITL)の最上段でこれを書いている。とてもいい。ここは、1世紀に造られたという巨大な円形劇場である。
でも昔の人の技術というのはとてもすごいと思う。とても素晴しいと思う。ここに座っているとそんな気がしてくる。あと30分ぐらいはここにいたいと思う。それから次のところに行こう。

17:21
広場からとても近いところにジュリエットの家らしいものを発見。2人が愛をささやいたあのバルコニーらしきものも写真に撮る。
それからすぐ横にあるランベルティの塔にもリフトで登る(3,000ITL[学生割引あり])。この塔のある広場のまわりの建物はいずれも中世からルネサンス期に建てられたものである。景色はとてもきれいだ。写真も沢山撮った。
ここの景色は茶色一色だ。
ところどころに白い色の教会が建っている。遠くの山の上には城(サン・ピエトロ城)がある。この塔からは、アレーナの全貌も明らかになった。
次に川に沿って行こうとしたけど行き止まりで違う道を歩いて行くとまたまたアレーナに出た。この町の中心はアレーナだろう。
アレーナのあるブラ広場では、何かのバンドが演奏をし始めた。これはジャズだろう。とてもいい。音楽を背に右の路地を進むとまた城に出た。
これが目指していた城(ヴェッキオ城)だ。でも、ヨーロッパの城はどれもよく似ている。外国人からしたら、日本の城も同じように見えるのだろう。それからまた歩いて駅に戻り、列車に乗ってYHまで帰ろう。途中で何か食べてから、YHに帰ろうと思っている。

20:33
18:40ごろにミラノ中央駅に着く。
近くのピザやで夕食を食べる(6,900ITL)。食べてからYHに戻ってくる(1,500ITL)。地下鉄(メトロ)もこれで大丈夫だろう。
YHに着いてみると、もうみんなが着いている。今日は僕が一番遅かった。今日は1日のんびりと過ごせたような気がする。
今日、メトロから降りて地上に出て空を見ると、僕の一番好きなオリオン座が輝いていた。
シャワーを浴びたいけど、今とても混んでいてなかなか入れない。当分入れそうにないので、ボローニャの下調べをする。またまた寝るのが遅くなってしまう。シャワー、明日にしようかなぁ。


《宿泊場所》
 Ostello Pietro Rotta
   1泊:23,000ITL
   朝食付き バス・トイレ共同 ロッカー完備(鍵なし)
    Via Martino Bassi 2 
    TEL:      FAX:39267095

Travel in 1997 -- スイス〔チューリッヒ〕編 --

2005-01-13 17:25:12 | Travel
今日も外は寒いね。
夜は予定が入ってるので、早めにUpすることに。。
仕事と仕事の合間に気分転換を兼ねてのUpです。。←決して仕事はサボってないよ(笑)。


3月12日(水)
14:47
さっき、入国管理員らしき人が来て、パスポートを見て行った。とても簡単な確認だったがあんなのでいいのだろうか?僕はまたスタンプでも押してくれるのだと思っていたので少しがっかりしている。

18:14
チューリヒの中央駅についてまずは両替。(US100$→143.00SF)ここは手数料が取られないのでとても嬉しい。そしてInformationに行き地図(1.00SF)を手に入れる。
それからバス乗り場に行くが、バスの乗り方(ゾーン制)がわからずにいろいろな人に聞く。親切なおじさんが「このバスに乗るんだよ」と教えてくれたけどチケットを買っていないので乗ることはできなかった。今度はチケットの買い方がわからない。また人に聞いて教えてもらうが、チケットを買うための自動販売機は、札は使えずにコインのみのものだった。聞いた女の人が言うには「レストランで何か頼んで細かくしてもらったほうがいい」と言う。
レストランに行きアイスコーヒーを頼んだけど、来たのがコーヒーのパフェだった(8.90SF)。しかもとても高くてびっくりした。お金を払ったけど、必要な分だけ細かくならず、結局高そうなホテルに入りフロントで両替をしてもらうことになった。嫌な顔されなかったのが嬉しかった。一体あのパフェはなんだったのだろう。
それからバスのチケットも無事に買い(3.60SF)、10分くらいバスに乗って目的地について今度はYHを探す。YHの場所もわからなくてまたまた人に聞き、やっとのことでYHに着くことができた。ここのYHではパスポートを預けなければいけない。でもそのほうが安全でいいような感じがする。YHはやっぱり安い。ここも設備はとてもいいし、鍵が徹底してるので安全だ。YHの人もとてもいい人だ。僕のことを、「さん」付けで呼んでくれた。少しは日本語も知っていそうだった。1日の仕事は宿探しからだ。宿を探さなくていい日は気分的に楽だ。

19:33
シャワーを浴び、部屋に戻り布団のシーツをひく。めんどくさいがなんとかかたずけた。部屋では日本の人もいて少し話しをする。どうもチューリヒはドイツ語圏の中で一番物価が高いらしい。


3月13日(木)
09:00
今日は8時過ぎに起きて朝食を食べる。とてもおいしかった。なんて言ったって量がすごく多い。朝からとても沢山食べれるし、とてもおいしい。
今部屋で手紙を書いている。いつ出せるかはわからないけど………。明日にも出せれたらいいと思っている。
今日は10時くらいから活動開始。それまでの時間で手紙を書く。

14:22
今日の目的は、自転車をレンタルして、チューリヒ湖を一周することだ。そのためにレンタルできるところを探している。なかなか見つからない。2、3時間ぐらい人に聞いたりしてずっと探していた。結局中央駅の荷物を預かるところでレンタルの手続きをしていた。だからそこで手続きをして自転車を借りることができた(18.00SF[学生割引あり])。
マウンテンバイクで乗り心地も最高。人と人の間、車と車の間をスイスイ進んで行きいスタートした。
今は中央駅から自転車で2時間半ぐらいかけてやっと半分のところまで来ている。目の前には沢山の鳥たちがいる。膝は痛いし、おしりも痛い。

19:11
今、シャワーを浴び終えてこれを書いて今日のことを思い出している。
今日はもう散々だった。休んでいたベンチのところがちょうど半分だと思っていたけどこれがこれが全然半分じゃなかった。少しカフェみたいなところで疲れを癒すために甘いアイスを頼む(9.80SF)。とても高い。それから一周しようと張り切って行くが途中で道に迷った。道に迷ってしまったので犬の散歩をしていたおばあさんに聞くけどおばあさんはドイツ語しかしゃべれなくて何を言ってるのかわからなかった。でもそのおばあさんは優しくて、英語のしゃべれる人のところまで僕たちを連れてってくれた。そしてなんとなくだが何を言ってたのかわかってきた。おばあさんは「近くの駅から列車に乗って中央駅まで行けば」と言うアドバイスをくれたのだと思ってそうすることに決めた。ちゃんとドイツ語でお礼を行ってからおばあさんと別れた。とても親切にしてくれて嬉しいもんだ。
駅は”Lachen”という名前だ。駅に着いて列車を待ち、列車が来たら自転車を積んで中央駅まで立っていた。ドイツの列車には自転車も積んでもいいのでこれはラッキーなことだ。あの距離を再び自転車に乗って帰る気にはなれなかったからだ。Lachenの駅から中央駅までは50分かかっていた。よくこんな距離を自転車で来たものだ。
本には、チューリヒ湖は自転車で一周できるって書いてあったのに。騙された。
それから中央駅で自転車を返してからバス(3.60SF)で戻ってきた。途中でスーパーによって夕食を買う。今日の夕食はピザとジュースだ(5.00SF)。
今日もとても疲れた。今から手紙の続きを書こう。それからもう寝ることにしよう。
明日も早くなりそうだ。もうチューリヒ(スイス)は来ないだろう。いい思い出は作れなかったなぁ。少し残念だ。


3月14日(金)
09:01
朝食を食べて部屋でゆっくりしている。
列車は11時台のに乗ることに決定。それまで少しゆっくりできる。
今日は昨日の疲れがまだ残ってるし、筋肉痛だ。まだ少し寝たい。

《宿泊場所》
 YOUTH HOSTEL ZURICH
   1泊:29.00SF  2泊目:26.50SF
   朝食付き バス・トイレ共同 ロッカー完備(鍵なし)
   コインランドリー(5.00SF)
    YH Zurich, Mutschellenstrasse 114, 8038 Zurich Schweiz
    TEL:01/482 35 44  FAX:01/481 99 92


10:51
YHのチェックアウトを9時半にすませる。そして預けていたパスポートとメンバーズカードを返してもらう。そしてお姉さんの笑顔とお別れ!!出るときに「Thank You !」と言って別れる。
それからバスに乗って(3.60SF)中央駅に行く。バスを手前のバス停で降りてしまい中央駅まで歩くはめになってしまった。これは僕の間違い。
駅についてまずは郵便局を探して、手紙(1.80×2SF)を送った。値段がうまいこと聞きとれずに、沢山のコインを出したら、沢山のコインが返ってきた(僕が出したコイン)。日本に送ってほしいというのはちゃんと伝わった。
それからコインを減らすためにジュースを買う(2.80SF)。今度はちゃんと値段を聞きとれて、ちょうど出すことができた。
そして家に5分ぐらい電話する。

12:06
まわりはアルプスの山々だろうか?とても高い山々が見えてきた。この景色は言葉で現わすことができないくらいに素晴しい。写真も何枚か撮ってはいるが果たしてちゃんと写っているのだろうか?疑わしい。