小学生の授業にて
ジュクチョ:「私には小学生の頃くらいから、40年以上も解決していない謎があります。
1.ウルトラマンが怪獣を倒した後にシュワッチと言って飛び去っていく行く先はどこなのか?
2.勉強は何のためにするのか?
3.人間の魂は死んだ後にどうなるのか?
今の3つのうちのひとつがそうです。どれもすごい謎だけど、40年以上も気になって考え続けている謎はひとつだけです。それはどれでしょう。」
小学生の授業にて
ジュクチョ:「私には小学生の頃くらいから、40年以上も解決していない謎があります。
1.ウルトラマンが怪獣を倒した後にシュワッチと言って飛び去っていく行く先はどこなのか?
2.勉強は何のためにするのか?
3.人間の魂は死んだ後にどうなるのか?
今の3つのうちのひとつがそうです。どれもすごい謎だけど、40年以上も気になって考え続けている謎はひとつだけです。それはどれでしょう。」
それはズバリ1でしょう!
2や3みたいな哲学的なことを先生が考えるはずがない!!!!!!
確かに解決はしていないんですけどね、1はそんなに謎だとは思っていません。謎と言うよりはむしろ、「自由に想像してみましょう。」みたいな。
ちなみに私なりの1の答えは、
「その時々で異なるので特に決まっていない。」
です。
ついにブログが完成したんですね!!
また新しい感じでいいですね!
なんだろう?
先生がよく話しているのは2ですねたぶん
だから2かな?
ウルトラマンもおもしろいけどw
ご来訪ありがとうございます。
>先生がよく話しているのは2ですねたぶん
それが仕事ですからね。正解です。
ただし、2の答えも1に似ていて、特に決まっていないと思っています。
その先がずいぶん違ってくるはずですが・・・(笑)
1→私はM78星雲だと思ってます。
2→ジュクチョの生業なので、ジュクチョなりの答えが出てると思ってます。
3→(多分)経験した事ないだろうから・・・正解は3だと思ってました。
書き込みありがとうございます。
3ですか。3はもちろん謎なんですが、もうどうでもいい感じです。「どうせ最後には分かるし。」みたいな。(笑)
>ジュクチョなりの答えが出てる
お察しのとおりです。それでも2が永遠なのは、その時々で自分の持っている答えに自信がなくなるからなんですよ。
例えば今は、「幸せになるため。」が一応の答えなんですけど、自分の周りを見てみると、勉強が原因で不幸になっているように見える人のなんと多いことか・・・
昨日ブログの存在をしっておじゃましてみました。
勉強は何のためにするか、ですか。。
よく『人生の可能性、選択肢、を広げるため』とか言いますよね~
ぼくはむしろ逆だと思ってるんですが。
1週間前の書き込みにコメントするのってどうかと思ったんですが、ここが一番コメントしやすかったので。。。
はじめまして。こちらでもよろしくお願いします。
>ぼくはむしろ逆だと思ってるんですが
ん、そうですか?
私としては
>『人生の可能性、選択肢、を広げるため』
は、正解のひとつだと思っていました。
しかし、なぜ逆になっちゃうのでしょうね。
もしかすると、ADさんがそのように感じるのは、「勉強をしながら人生の選択肢をひとつずつ選んで絞り込んでいかなければならない」からでしょうかね?
そうだとすると、そのことと勉強をすることが直接関係があるわけではなく、それは勉強をしようがしまいが関係なく、大人になることによって迫られる必然性ではないかと思います。
話は少し変わりますが、私の尊敬する友人に、「勉強は好きだけど、学校の勉強は嫌いだ」と言う人がいます。
もしかするとその人も、ADさんと同じようなことを言いたいのかもしれません。
まあ、いずれにせよそういう話になってくると、勉強という言葉の「定義」の問題になってきます。
まともに勉強していなかった私が若い頃にわかるはずもない話ではあります。(苦笑)
ぼくは勉強と聞くと、国数社理英、と自然に思ってしまうけれど、それだけじゃないですよね。
逆って言い方が不適切だったかもしれません。
ぼくは勉強は『人生の可能性を縮めないため』だと思ってます。
生まれたときはみんな同じ可能性を持っていて、(まったく同じではないと思うんですが)勉強したりすることは、その可能性をなくさないため、と。
でもこれ、モチベーション的にはどうなんですかね?
『今勉強がんばれば○○になれる!』と『今の自分は○○になれるのに、勉強しないとだめになる・・・』
う~ん(´・ω・`)
ぼくの考えだと勉強に対してネガティブっぽくなりそうです。
なるほど、そういう意味でしたか。
だったら意味としては近いところでしょうね。
>モチベーション的にはどうなんですかね
どうですかね。個人的に感じ方が異なるはずですから、そちらは人それぞれでどちらでも良いのではないでしょうか。
まあ、どちらにしても、われわれを取り巻くその時々での環境(広い意味でも狭い意味でも)の影響は大きいですね。
特に時代を背景とする価値観を基にみると、「しないとダメになる」のほうが今の日本や世界の状況に近い気がします。
自分で問題として出しときながらいまさらですが、そういう考え方自体、つまり、勉強を「道具・方法」扱いすること自体が好きではないのだと最近気付いたところです。
長いこと答えが出なかったのは、自分の定義づけに問題があったことが原因だったのかもしれません。